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ストーリーテリング入門講座(第5回)

10月から始まった櫻井美紀先生の「ストーリーテリング入門講座」が、14日で終わった。最後の会は、私たち生徒の「語り」の発表だった。朗読が4人、パーソナルストーリーを語ったものが3人、ストーリーテリングが1人だった。みんなとても素敵だった。

年配の方が多いせいか、必ず枕に「みなさんお上手で、私のなど、、、」と謙遜なさっていたのだが、どうして、どうして、それぞれ個性的な語り口を持ち、楽しいパフォ-マンスだった。それぞれが選んだ作品は、その人にぴったりと合っていて、「すごいな」とも感じた。みなさんご自分のことをよくわかっているし、その作品や語りに愛着を持っているのが、とてもよく伝わってきた。

私は、最近のお気に入りである『吸血鬼の花よめ』(福音館書店)から「たまごを売って子ブタを買って」という話を選んだ。ストーリーテリングまでには至らなかったのが残念。「捕らぬ狸の皮算用」型の昔話である。先生からは、「語り」とは語り手と聴き手の共同作業であるから、聴き手のイメジができるのを待つことが大事という注意をいただいた。「間」という表現もできるかもしれないが、「間」は語り手が自分で推し量ってつくりだすもの、先生の意図は別のところにあるようだ。言葉ではない語りの手「語り」とそれを受けとめる「聴き手」といかに心を合わせるか、ということであろう。安易な言葉を使わない櫻井先生の見識に感心した。

ある作品を自分の語り口に作るまでは、最低50回以上読むことだというアドヴァイスもいただく。アシスタントでいらしていた方たちの中には「100回」といわれた方もいる。すごい。100回の「読み」に耐える作品を選ぶ私たちの眼力も問われることにもなる。テクストから「語り口」を作ることのむずかしさを痛感している。語りで聴いたものや、自分の中のイメジや思い出を語るもの(パーソナルストーリー)は、しっかり自分のイメジができているが、テクスト先行だと、ついテクストに頼ってしまうのだ。すこしづつレパートリーもふやしたい。

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繰り返されることばのなかに

先日ラジオで自作の朗読をやったんよ。
けど、声にした瞬間、なにかが離れていく。
自分のことばなのに、自分の声がうそをつく。作品からはぐれていく。
でもそれはあと50回繰り返すあたりから、きっと向きを変えて、こちらにやってくると予感したの。そのことを、この日記と平行して考えてました。

りえりんさん:コメントありがとうございます。「自分のことばなのに、自分の声がうそをつく」というのは、自分の言葉が作品の内奥に進むことを拒否するということでしょうか? 自分が読むから、そういうことがあるのでしょうか。自分の声が、作品の言葉を再解釈し直そうとしているとか、、、。
「声にだして読む」ことは、あのお方がおっしゃっていることとは別の次元でとても大切だと思います。何回も何回も読んでいると、「作品のウソ」が見えてくることもあります。『あらしのよるに』はまさにそのような作品でした。

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