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『あらしのよるに』私見

『あらしのよるに』(偕成社)ほかを授業で読み、学生に紹介した。一時、アマゾンのトップページに映画の宣伝がされていたり、テレビでも大きく取り扱われていたからだ。やはり、原作を先に知っておいて欲しいと思ったのである。

「映像メディア」と「活字メディア」を同じように比較することはナンセンスだと思うが、しかし、その違ったメディアを受けとるのは私たちにほかならない。映像であれ活字であれ、受けとめる側は、自分の五感を使って作品と向きあうのである。発信方法は異なっていても、受信機は一つということである。

この作品、確かにおもしろい。しかし、何回か声に出して読むと、どうしてもひっかかる部分がある。「読者の気を持たせようとするわざとらしい物語作り」「大げさな感情表現(とくに、笑い声、擬音など)」が気になった。確かに、物語をひっぱってゆく原動力となっているものが、「ありえない友情」であるから、そのシチュエーションにリアリティを持たせるためには、二人が関係を築いてゆく過程はとても重要であろう。けれども実際の物語の流れは、その「過程」を追うのではなく、「いつお互いの正体がばれるのか」という視点で、読者をひっぱっている。だから、嵐がやみ小屋の前で再会を約束して終わった第一巻に続き、そのあとどうなったのだろうと第二巻『あるはれたひに』に手をのばす読者は、肩すかしを食らってしまうのである。

『あるはれたひに』は、再会を果たした二人(匹)が、お互いの正体を知り、認めてからの展開となる。「おひるごはんといっしょに、おひるごはんをたべる」という、おおかみのきわどいジョークをも受けいれられるのだというところから出発するのは、いささか「ずるく」はないだろうか? ガブ(この時点では、まだ名前がない)の「なによりもゆうじょうをたいせつにする」という言葉にも、その裏づけとなる、プロセスがないのだ。「おひるごはん」と再会の約束をしたおおかみがその場に立ったとき、何を感じて、何を考えたのか? そしてその葛藤をとりあえず、どう乗りこえたのだろうか? 説得力を持ってそこを語るためには、『あらしのよるに』における小屋での二人の関係が、さまざまな点での類似性だけでなく、もっと本質的なものでなくてはいけなかったのではないだろうか?

ライトなシチュエーションのなかに、かなりシビアな関係を持った物語が展開されること。つまり、シチュエーションが要求するライトな会話で、シビアな関係を(読者に)読ませることに違和感を持った。こういった設定も「あり」だとは思うが、私にとって、この作品は「不合格」である。

しかし、最初にこの物語を読んだときには、おもしろがり、楽しんだことも事実である。

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あらしのよるに

わしこさま:
 『あらしのよるに』の私見、興味深く読ませていただきました。わしこさまの感想を伺い、実はホッとしました。わたしも同様に感じていたからです。涙がでるほど感動するお話ということで読んでみて、正直がっかり。あまりいい作品ではないと思いましたが、まわりがあまりにも絶賛するので、口に出せずにいました。(よって、書評投稿サイトでも、この作品の投稿はパス。)理由は、意図的な演出と会話の荒さ、雑なイラスト(これがスタイルなのでしょうが……)でした。1番気になったのは、会話です。こういう日本語、子どもに聞かせたくないな、と。なぜなら、子どもたちは日常メディアを通して十分このような言葉を耳にしているでしょうから。息子は「次はどうなるの?」と続きを気にしていましたが、それも表面だけのエンターテイメントだと思いました。うちでは1巻を読んでそれでおしまい。続きはまったく読んでいません。

 この感想は、同じ著者の『きむら式、童話のつくり方』を読んで裏付けられたと思いました。「童話作家ほどオイシイ商売はナイ」の一言に心のあり方、子どもの本に対する姿勢が表れています。子どもにかかわる分野では、「心」抜きでは成り立ちませんよね。根幹に「心」がないので、『あらしのよるに』からもハートが伝わってこなかったのだと納得できました。この新書、最後まで読めませんでした。子どもの本って、こういうものじゃない!という憤りとともにページを閉じました。

あすかさま:
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり『きむら式童話の作り方』もいただけませんね。私も何回も放棄しそうになりながら、いちおう目を通しましたが、まったく内容がない著作だと思いました。彼の見識に疑問を感じます。真意は別のところにあるのだろうと善意には解釈したいのですが、子どもの文化に関わるものが「紙に字をちょっと書くだけで、それも夢があっていいなと言われて、さらに当たればずっとお金になる。それが童話作家」などとお書きになるのは、とんでもないことだと思います。

あべ弘士さんは、すぐれたイラストレーターだと思います。『どうぶつえんガイド』(福音館)、『どうぶつ句会』(学研)などがおすすめです。彼は、日本でいま一番人気のある旭山動物園(北海道)の飼育係だったこともある人です。お気に入りの一冊を見つけてください。

わしこさま:

 あべ弘士さんのおすすめ絵本、どうもありがとうございました。機会を見つけて、お気に入りをさがしてみようと思います。「丁寧さ」が感じられないと、よほどの画力で描かれない限り、どうも「子ども向きでない」と感じてしまうのです。

 ところで、ブログのテンプレートを変えられたのですね。透き通った冬のイメージが美しく、わしこさまのブログらしいです。思わず、『急行北極号』(映画)の北極の街を思い起こしました。

ご無沙汰してます。

背景が冬景色に変わりましたね。早いもので、2005年もあと半月です。そんな中、またまた多くの作品が映画化されるようですね。来年は、ナルニアとゲドが予定されているみたいですね。

そういえば、今年の夏、「チャーリーとチョコレート工場」を見てきました。さすがに、映画のインパクトは絶大でした。後から読んだ原作は、ちっとも私の想像力を掻き立ててはくれないのです。読み進む度に頭の中に浮かぶのは、映画の中のストーリーや登場人物ばかりでした。

意識して見ている40代の感性が衰えつつあるおばさんでさえ、この体たらくです。無意識で何の先入観もない子供たちが、映画を見たら映画を原作だと思い込んでしまうでしょう。映画は、画一的な映像を印象づけるたげで、想像力を育む余地がないのです。本来なら、原作を読みながら十人十色の物語の世界を構築できるはずなのに・・・。

こう考えると、活字離れの影響は深刻ですね。早急に活字離れを阻止しないと、良い作品をたくさん読んで、心の奥深くな沢山の自分だけの物語を秘め、育てることのできる感性の豊かな子供が、どんどん失われてしまうでしょう。

あすかさん、ラムさん:コメントありがとうございました。ここのところの子どもの文学作品の映像メディアかにはほんとうにびっくりしています。みなさん、柳のしたのドジョウを狙っているんでしょうね。また、これだけ子どもの文化が話題になり、おとなの受容者がいるということは、どうなんでしょう? 子どもの本に感心が集まるのは、たいへんうれしいことだと思うのですが、それが「知性の未熟」にあるとしたら怖いです。子どもの文化に成熟した人間としての知性と見識で評価できるおとなが注目しているのであればよいのですが。

『ゲド・・・』のアニメ化にもびっくりしました。しかも3巻だけなのですね。どんなふうにできあがるのか、心配です。アメリカではテレビドラマ(実写)になったと聞いていますが、まだ実写版のほうが納得できるような気がします。最近の状況を見ていると、子どもの本の世界が、商業主義の草刈場になっているような気がするのですが、、、。

 嵐のよるに .......そうなのです。そうなのでした。昨秋 所属する劇団で 嵐のよるに 朗読劇を上演しました。わたしはどうにもからだが受け付けなくて 結局練習にも行かずに終わりました。声にだすとはっきりするのですが 台詞がつくりすぎで 気持ち悪いのです。泣かせよう感動させようという作者の意図がまず先にある。その目的のために物語が構築されている.....という感がしました。

 わたしはナルニアもゲド戦記も映画は見ないと思います。視覚はもっとも強力ですから あえかな想像の世界は跡形もなく霧散してしまうでしょう。

  わたしの貧弱な想像の世界のなかで指輪物語のフロドも いとしいひとも すっかり影がうすくなってしまいました。映像にとって替わられてしまったのです。今の映像はとてもリアルで説得力があり想像力を働かせる余地がありません。
 読む力とどうように聞く力もとてもたいせつです。ものがたりを聞くとき ひとはひとりではなく それぞれの世界に思いをはせながら なお大きな物語の磁場が聞き手 語り手を包んでいます。そんな時 わたしは語り手であることの喜びを深々と感じます。
 
 つい 話しこんでしまいました。時期はずれのお邪魔でごめんなさい。

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