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中学生にお話

「朝読書」の時間に地域の中学校にお邪魔して、「お話」をしてきた。今年度は3回目である。昨年度は、3人体制で、時間を見つけて勉強しつつ「お話」にこだわってプログラムを組んだのだけれど、今年から大幅にメンバーが増え、そういうわけにもいかなくなってきた。「ええ?」という絵本をお読みになる方もいるが、それはそれ、コメントは差し控え、おとなしくしている。漏れ聞く限りでは、「選書」に不安があるようだ。そうだろうなと思っているが・・・。また、毎年秋と年度末に開催してきた(5回ほど)お話会も開催が危ぶまれている。行事が多く、予定に組み込まれないらしい。秋のお話会は、文化祭と連動してきたのだが、今年度は、文化祭そのものも規模が縮小されるようだ。担当の教師も代わったし、温度差も感じる。

お話は、ジョーン・エイケンの「三人の旅人」である。大御所 I先生の翻訳もあるが問題を感じないわけではないので、原文を検討して「わしこ訳」で対応している。例えば、「それからふたりはポットいっぱいのコーヒーをつくって、旅人の話を聞くためにすわりました」という表現がある。もちろん誤訳ではないが、「・・・のために~した」という表現が気にかかる。いかにも学校文法でいう「不定詞の副詞用法的訳」ではないか。時系列からいっても、「コーヒーをつくって、旅人の話を聞きました」としたい。

また、このお話はかつて小学校6年生の国語教科書に収録されていたことがある(光村図書)。古びることのないよいお話であると思うのだが、なぜいまも収録されていないのかを考えると、興味深い話題も提供してくれるのだ。じつは、このお話を日本的国語教育方法(つまり、文章を解体してしまって読む方法)で読むと、物語に説明できない破綻が生じるからだろう(と、私は推測している)。しかし、耳から聞くお話にして、その部分をさらっと語ると、おそらくは問題になはならないと思う。「昔話」だって、国語の教科書に掲載され、日本的国語教育法で分解されて、解釈されたら、訳のわからない非合理的な部分が気になるのは必至だ。

語り終えた後、教室は余韻を残して、一瞬シンと静まりかえった。子どもたちの心にお話が落ち着いた事がよくわかる瞬間であった。その後、思い出したように拍手をいただいた。朝から、幸せな気分をいただき感謝。ここの中学生はとても良く聞いてくれ、たいへん有り難い聞き手である。だからこそ選書は大切にすべきであると思うのだ。

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