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子ども時代の読書

「子ども時代の読書」というテーマの授業のために、『橋をかける:子供時代の読書の思い出』(美智子皇后)、『本の虫ではないのだけれど』(清水眞砂子)、『児童文学最終講義』(猪熊葉子)などを引っぱり出してきて読み直した。とくに『青春の終わった日』(清水眞砂子)は、本格的にはじめから読み直している。

清水眞砂子さんは「本の虫ではなかった」といいながら、やはりたっぷりと物語の世界にひたっていたことを『青春の…』では告白している。引き揚げ者の厳しい生活や農業従事者の貧しい日常(米を作っているのに白米を食べられない生活)のなかで、年の離れた兄姉や従兄たちから、折に触れて本をプレゼントされて、読書に没頭している生活が見える。たしかに、今の状況からでは多くの人が想像できないような生活だったのだろうが(当時、ほとんどの日本人は貧しかったと思う)、その中でも、子どもたちはみな高等教育を受けているし、6歳年上のお兄さんは、浪人生活を送ってもいる。暮らしていた家も、古い大きな「屋敷」であったことが知れる(たぶん小作農家ではなかっただろう)。

家の手伝いをし、友だちやきょうだいたちと時を過ごし、けっして本ばかりを読んでいたのではないという意味で「本の虫ではないのだけれど」、その自伝的文章(たぶん自己点検的な意味あいも含まれているのだろう)の裏には、自分の出自や家族を誇り、自分の過ごしてきた人生を慈しんでいる様子が控えめながらきちんと書かれている。知的生活を送る兄や姉に輪郭を与えられ、そこで自己を育ててきた「私」がうかびあがってくる。

だからこそ、小谷野敦のように「教育実習でのエピソードに見られる優等生ぶり。その優等生ぶりを著者は嫌悪しつつ、結局今でも優等生なのだ、全共闘世代的な人なのだ、と思う。九人きょうだいの下から二番目に生まれて、兄や周囲の人々にいつも守られて、眞砂子一人まかり通る人生を送ってきたように見える」(アマゾンカストマーレビュー)という評価をする人間もいるのだと。今回の再読で、小谷野の気持ちが少しわかった。

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