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朗読の発表

敷地内の文化祭で行われた「朗読」の発表会を見にいった。先日、私の「八郎」を聞いてくださったAさんの朗読が目的である。とてもよかった! 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の「極楽編」を語ったのであるが、声の雰囲気、リズム、テキストの読みこみなど理想的な状態で完成していたと思われた。

彼女は「1人で練習していると、煮詰まってしまう」と嘆いていたことがあったが、そのトンネル状態を抜けた上にできたパフォーマンスだった。極楽の平和的でおだやかな、そして、それ故残酷な世界とそこに泰然と存在しているお釈迦様の姿が聞いている私のなかに立ちあがり、蓮の池の情景が目にうかんだ。解釈と声とリズムが3拍子うまい具合に揃った朗読であった。

そのほかに、複数での「魔術」(これも龍之介)が朗読されたが、こちらは、ナレーター(2人)のテキストの読みこみ不足が露呈されていて、残念ながら出来はよくなかった。全体的に「読んでいます感」が濃厚であった。

また、耳で聴いているだけでは理解しにくい漢語系の言葉、カタカナ言葉などを粒立てないでサラッと読まれてしまうと、こちらはストーリーを追いかけることができない。ほとんど全員がずっとテキストに目を落としたままであるので、その聴き手の戸惑いに気づいていないことも悪循環をつくっていたかもしれない。つまり、スピードが速くなるのである。

著作権の問題なのか、朗読のテキストやパフォーマンスでは、夏目漱石や芥川龍之介、新美南吉、宮沢賢治などの作品が使われる事が多いが、彼らは必ずしも「声に出す」ことを意識して作品を書いているわけではない(賢治の作品には「声」が感じられる)。したがって、「朗読作品」として完成させるためには、テキストの徹底的な読みこみや発声、滑舌、アティキュレーションなどの技を磨くべきであると痛感した。自分の朗読や語りを分析するのはとても難しいが、他人パフォーマンスを聴いて学ぶべき点が明確になる。

バレエも朗読(や語り)も地道な努力、基礎的な訓練の積み重ねであるとしみじみ実感。なんだか、教師のお説教のようなエントリになってしまったが、朗読は「声」の芸術(!)であるだけに、誰もがすでに獲得している言葉の力を使って表現できると思われているので、技や才能の差が見えにくいし、その分だけ努力の積みかさねを怠りがちではないかと感じる。いや、怠るというより、自分の声や技術に全面的に頼ることがはじめることが多いが、でも、そうだろうかこという疑問を感じ始めている。

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