スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

左手の薬指

不注意で左手の薬指を詰めてしまい、指の腹側が紫色になっている。使わなければほとんど痛みはないので、見た目よりもこちらのダメージは少ない。しかし、PCを打つとなるとこれがとても大変なことがわかった。いつも左手の薬指で打っているキーは小指で打っているので(さすがに痛む)、それに連動して、他の指の動きも不自然になり、左手の領域に右手が侵入してくることにもなっている。人間の体って、不思議でよくできているのだなと、あらためて感じ入った。

先週末にようやく高楼方子訳の『小公女』を読み終えた。手に取れば早いのに、なかなか手が出なかったのだが、CSで「小公女セーラ」(セーラ/志田未来、ミンチン先生/樋口可南子)の再放送を見て、高楼訳を手にしたのである。テレビドラマの方は、地上波で放映中にたまたまゼミで The Little Princess を扱っていて、ドラマを見た学生が「原作とはまったく違う」と憤慨していたことがあったので、あまり期待はしていなかった。しかし、「バーネット原作」と称してドラマをつくるのであれば、ドラマ自体が原作への批評になるわけで、今回はその視点から再放送を見た。樋口可南子をセーラに相対するミンチン先生として準主役にすえたあたりに作品に対する新たな読み(解釈)を見せようとする意気込みはあったように思われたが、最終的には尻切れとんぼで終わってしまったのというのが、私の感想である。惜しい!

高楼版では、東京女子大学の原田範行先生の「学校、インド、想像力」と題する解説がとくに秀逸であった(夫の感想の第一声でもある)。イギリスの教育制度やダイヤモンド鉱山についての歴史的な解説は、作品理解に多いに貢献している。本文にしても、翻訳者が児童文学作家だけに、日本語もとてもこなれていて読みやすく、原作との齟齬もほとんど感じられなかった。端正で丁寧なよい翻訳だと思う。で、高楼方子繋がりで『11月の扉』も読み直してしまった。

しかし、気になった所もある。アーメンガードに「でもいいの。全然いいの、そんなこと」(p153)と言わせているのには、びっくりした。会話では、「全然」が、「全然~ない」と使われずに、強調として使われるようになって久しいが(学生のその言葉使いを訂正する意思をもくだけさせるほど濫用されている現在である)、文章でお目にかかったのは初めてかもしれない。翻訳つながりでは、河合祥一郎氏訳の『ドリトル先生航海記』についても思う事があり、そのうち「翻訳」についてじっくりまとめて見たいと思っている。

ところで、上記の学生の「原作とまったく違う」発言は、「原作とは全然違う」と言いかえても、不自然に感じないが、如何だろうか。この場合の「全然」は強調として使われている。ということは、「全然」にはもともとそのような意味が含まれていたのだろうか? しかし、私は心して「全然大丈夫」などとはいわないようにしているが、ひょっとして無意識に使っていないだろうか。こわい。

薬指のことだけを書いて閉じようとしたこのエントリだったが、ぎごちない指動きでかえって、筆が進んでしまったのはどういう訳か。

コメントの投稿

非公開コメント

ぜんぜん

こちらが謝ったときに、
「ぜんぜん!ぜんぜん!」と返ってきたことがあります。
「いいのよ、全然気にしないで」ということらしいです。

わたしは人の言葉遣いが気になるほうなのに、自分の話し方は要領おえなくてしどろもどろになるのが悩みです。

小公女

こんにちは。
高楼さん訳の小公女,私も読みました。続けて,訳そうと思った切っ掛けになったと書かれていた緑の模様画も読みました。小公女を読みながら,今の小学生たちがこの本を自分から手に取るのかなとも思いました。
私は,高楼さんのセーラを読みながら,自分の小学生時代の友達を思い浮かべていました。今思い出すと,あの大人びたセーラに似ている子だったんです。
高楼さんの訳を読んで,セーラの印象が変わりました。
それほど読み比べたわけではありませんが,外国文学は,翻訳で受ける印象は変わりますね。

Re: 小公女

natumeさま:コメントありがとうございます。子どもたちが手に取るかという問題ですが、わたしは、「どう」したら手にとってもらえるかということを考えています。幼いときからどう「本」を手わたしてゆくか、システマティックに考えないといけないと思います。秀吉の心境ですね。

先日、新訳の『ドリトル先生航海記』の挿絵を見て、がっかりしました。著作権の問題もあるので、従来のイラストレーションは使えないのでしょうが、それにしてもと思います。でも、幼い頃ときにどんな絵を見ているかということも考えなくてはいけません。テレビだけでなく巷にあふれかえる漫画的な絵(最近流行のゆるキャラもふくめて)を見ていれば、そういうものを子どもたちが選ぶのは必然でしょう。

新しい翻訳本

はじめまして。
何かの検索をしていた折、御ブログ「わしこの読書日記」を拝見いたしました。
子どもの本に対する確かな目と、時折出てくる美味しい料理、学生たちへの愛と苦言!
最初から読み始め、「私もそう思う」「この本を読んでみよう」と思いながら、最後まで読んでからコメントをしようと思っていたのですが、ここにきて、その気持ちを抑えきれずにコメントいたします。
最近の翻訳本をどうとらえたらいいのか、自分でも混乱しております。

新訳の『ドリトル先生航海記』の挿絵は、私が小さい頃から知っているドリトル先生ではありません。ただ、学校司書の話では、「この本だと読まれる。前の本は読まれない」ということです。
『赤毛のアン』でも同じようなことがあります。

ある時期から、主人公のイメージ(イメジと入力しようとするとパソコンが反応しません)が違ってくるのではないかと思うのです。
が、「訳」だけをみると、今の子どもにとっては読みやすいのかしらとも、思います。
なんとか、子どもたちに読んでもらおうと、ブックトーク(図書ボランティア)をしていますが、どの本にしたらいいのかと悩んでいます。

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

月別アーカイブ

最近のコメント

プロフィール

わしこ

  • Author:わしこ
  • 無断転載ご遠慮ください。
FC2カウンター
最近の記事
カテゴリー
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。