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五味太郎。『みんながおしえてくれました』、絵本館。(Ⅰ)

複数の書評や紹介文から疑問を持ちはじめてほぼ1年、満を持して、『みんながおしえてくれました』(五味太郎/絵本館)を授業で取りあげた。授業のテーマを「書評とはどのような行為か」「児童図書館員としての作品評価の姿勢」とし、事前に受講生から提出してもらった200字~300字の書評をじっくり検討しながら、作品を読み解こうという試みである。

授業の場では、ごく基本的な日本語表現についての疑問から、自分の読みをどのように言語化するのかというかなり高度で実践的な問題にいたるまで多くの課題が出てきたが、結果として、受講者全員が書評について基本的な問題意識を共有することができた、充実した授業であったと思う。

書評とは、①作品に対する自分の評価を言語化したものである。②評価をするためには、まず、自分の「読み」を検討し、提示すること。③作品を「読む」とは、自分と作品との向きあい方を問われることである。つまり、作品を通して、自分自身の世界観や価値観を再点検する機会であること。④「読み」は多様であるが、とりわけ、子どもの本のための書評では、「誤読」を避けるために最大限の努力をし、自分を鍛える必要があること。深く読む努力を惜しむ人は、子どもに関わるべきでない。ここを前提に、一つ一つの書評を検討した。

結論からいうと、『みんながおしえてくれました』は強烈な学校批判を含んでいる作品といえる。ところが、ネット上で見かけた「カストマーレビュー」や「おすすめ評」では、「周りから何かを見て学ぶ事、 色々な事に興味を持つ事、何でも良く考える事、積極的に人に聞く事、周りの人や生き物のありがたみ(中略)が、ごく自然に、シンプルに、ポジティブに描かれています」というようなごく表層的なコメントがほとんどで、前半(見開き15画面のうち4分の3をしめる12場面)と後半(見開き3場面)の連続性と非連続性を読みきれていないための誤読、後半部分のテクスト「それにそもそもわたしはかんがえるひとでもあるし」から始まり、「ほかにいろいろこまかいことはこのひとたちがおしえてくださいますし」「どうみてもりっぱんなひとになるわけです」のサーカズムの響きを理解できなくて、後半部分も前半の繋がりから「みんなに助けられていることの大切さを伝える」絵本であると読んでしまった評者も少なからずいた。

しかし、後半にはいると前半の「★★は☆☆がおしえてくれました」という包みこむような柔らかい調子が影を潜め、テクストは、一変して皮肉な調子で語られる。ここは、「字面」だけではよんではいけないところだ。字面だけを追うと誤読をしてしまうだろう。声に出して読んでみるとよい。前半の調子と違うことが体感されるだろう。

第1場面の「あるきかたはねこがおしえてくれました」から第12場面の「うたのことはことりにおしえてもらいました」まで、ひとつひとつの行動をそれが得意の動物たちに教えてもらうというテクストと絵の流れから、主人公の少女のよろこびがゆったりと伝わってくる。後半の3場面は、「自分の部屋で考える主人公」「学校」「友だち」の場面と続き、慌ただしく収束に向かっているとさえ感じる。とりわけ学校の場面では、校舎を背景に3人の先生が主人公の少女を待ちかまえて、「ほかにいろいろこまかいことは/このひとたちがおしえてくださいますし」と語られていて、絵もテクストも意図されたおざなり感がある。つまり、ここで五味は「学校では生きてゆくための本質的なことは教えない。こまかいことしか教えない」というメッセージを発信しているのだ、と読めないだろうか。(この項続く)

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