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里の女VSやまんば

里の女が「頼み事」をしてきた。あのときあれだけ私を痛めつけたのに、平然と、そんなことなどなかったことのように、責任を感じさせるような、それでいて、慇懃な物言いで。

私は、試されているのだろうか。あるいは、私が断ることを承知の上で、あるいは、それを見越して、こちらの反応を伺っているのか。しばらく忘れることのできていたあの「ざらざら感」が戻ってきた。

個人の問題を組織の問題にすり替えてしまったことすら気づいてない女(たち)には、もはや言うべき言葉がない。もう、これ以上私は「汚されたくない」。

やまんばのくせに里の高校生のようなことを言っているのは十分承知だ。しかし、藤谷治の『舟に乗れ!』(全3巻)を一気読みしたいまは、しばし、この世界に浸っていたい気持ちだ。いやしい卑劣な人間になるのなるくらいならば、ここにいてはいけないのだろう。

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ネットでは向こう側にいるわしこ先生の気持ちがわからない里の女なのでしょう。
きっとそういう人は目の前にいる人の心さえもわからないのかもしれません。それともその心が何を思っているかがわからないのか。

思いやりとは、人の心になり切ることなんじゃないかと思います。

いつか、山に行きたいと思います。

思いやり

どういうことをさすのでしょうか。
よく分かりませんが、
わたしには「共感する」こと、という気がします。
相手の喜怒哀楽を自分もそっくり感じるというような。
なので、相手に対して感じることのできる感情はすべて自分自身の中にあるものなのでしょうね。
自分の目(これまでの体験)を通して相手の経験を推し量ること。
人とかかわると我が身の器の小ささを思い知らされることがよくあります。
でも、大切な人であるならば、その人の感情を受けとめて「共感」することはできます。
肯定することと似ているのかもしれません。

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