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「おばけ」と「かいじゅう」

E=ラーニング大学で久しぶりのオフ会があった。「資料組織法演習」と「児童サービス論」の合同で半期に一度開いている。強烈な雨女か雨男(誰だ!)がいるらしく、またもや雨の中の開催となった。

ふだんは全国各地に散らばっている学生が集合するのだから、自己紹介をして近況報告や雑談をするだけでも楽しいのだが、さらに何かお楽しみをということで、今回は1冊の絵本をトピックにあげた。というのも、ある学生(公共図書館の司書)が3年がかりで、『いるいるおばけがすんでいる』(以下『おばけ』と表記)を手に入れたという情報を仕入れたからだ。

『おばけ』は、子どもの本に関わっている人で、この本の存在を知らない人は「もぐりである」と断定してもよいほどの絵本とされる『かいじゅうたちのいるところ』(以下、『かいじゅうたち』と表記)の別バージョンである。私自身もその存在は知っていたのであるが、実際に実物を目にしたことがなかった本である。というわけで、『おばけ』と『かいじゅうたち』の読み比べをしてみようということになった(した?)のである。ついでといってはなんだが、それならば、英語の原文も読んで、絵本を解釈してみようと、言い出しっぺの私がしゃしゃり出ていったのだった。

事前に『かいじゅうたち』を読んでくること、可能ならば持参することとの告知をしてあったので、会場に来たそれぞれが、手元に絵本を置きながら、じっくりと観察、鑑賞することができた。また、なかなか手に入らない『おばけ』の方も図書館から借りてきてくれた参加者もいた。さすが図書館学の学徒である。

さて、66年出版(原書は63年)の『おばけ』は、当時の子どもの本の出版事情、受容状況、日本の経済状態などを反映したものであることが、訳文からも、絵本に付録として添えられていた冊子(マザーズブック)からも把握できた。『マザーズブック』には、原文と原文の忠実な訳、日本語訳を作るにあたっての編集委員会の見解、丁寧な解説があって、じっくり読むと興味は尽きないのであるが、やはり気になるところは、「wild things」が「おばけ」と訳されている点と、「おとな目線」の訳文であろう。

『マザーズブック』の「親のための原文研究」の章には、「おばけ」と訳した根拠として、以下のような記述がある。

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Wild には、野生の、野育ちの、乱暴な、手におえないなどの意味がふくまれています。本文では、それらの意味から、さらに、幼い方々にもなじめることばとして「おばけ」と訳しました。ただし、日本的な「おばけ」よりずっと野性味のあるものとして受け取らせてください。したがって、本書のタイトルも本文の一節をとり、「いるいるおばけがすんでいる」と、原文からはなれて訳しています。
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翻訳者(『おばけ』版は翻訳者として個人の名前が挙がっておらず、翻訳編集委員会が翻訳の責にあたったと推測される)の意図は理解できるものの、あの絵を「おばけ」とされると違和感を禁じ得ない。また、訳文全体からも、この編集委員会が、作品の核となっている「子どもの心の世界」をきちんと理解していたのだろうかと疑問を持ったが、「孤独な子どもの脳裏に浮かびあがる幻想を重要なテーマにしている」との見解も示されている。解釈が日本語訳に反映できなかった不幸な例だったのだろうか。66年にいったん翻訳されたものが、75年に別の出版社から訳し直されるというのはどのような事情があったのだろうか。考えれば考えるほど気になるところが出てくる。

75年版で「wild things」を「かいじゅう」とした経緯については、訳者の神宮輝夫先生にお伺いしたいところであるが、これも時代背景が大きく影響していることを発表者から示唆された。男の子にとっては、「かいじゅう」といえば、「ウルトラマン」と分かちがたく結びついているらしい。「ウルトラマン」の放映が始まったのが1966年、その後「ウルトラマン」は幾度となく再放送されていたそうだ。そのウルトラマンが戦う相手は、「怪獣」であったいう。古くからあった「怪獣」という言葉を、「凶暴なものと不可解なものと畏怖すべきものを併せもった存在に定義しなおした」(碧岡烏兎)時代と文化が浮かびあがってくる。

子育て中の親にとって、時に子どもは「かいじゅう」として立ちはだかる存在であるが、ことによったら絵本『かいじゅうたち』が、その名づけに一役買ったのかもしれない。『かいじゅうたちのいるところ』によって、私たちが子どもの「かいじゅう性」に気づき、その意味を与えられたことは大きい。

ところで、66年版の監修委員には、三島由紀夫やハル・ライシャワーの名前が挙がっているのも興味深い。

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こんにちは。興味深いエントリーでした。『わたしのぼうしをみなかった』を手に入れたときに、このウエザヒル翻訳委員会のすごい面々は、どういう経緯で集合したのだろうと思ったことがあります。並べてみると、本当に、時代が見えてきそうですね。

有難うございました(〃∇〃)

たった1冊の本の翻訳本を巡っての、あ~だこうだと大勢で上へ下への大騒ぎ。
私たちはいったい何者?

いや~ほんとに楽しい仲間、面白い時間でした。
熱血師弟に感謝!でございます。

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