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子どもたちとわかちあった本など

ボランティアに出かけている小学校で読んだ絵本や資料の整理をした。私がお手伝いをしている小学校では、「読み聞かせ」を終えたボランティアは、学年別に用意されているノートに自分の読んだ本の書誌事項や感想、子どもたちの様子などを記入することになっている。その記録をまとめるために、学期末にノートの当該部分をコピーして、そのまま机の上に放り出していたのであるが、ようやく「えいやっ!」と、決心して、昨日一日がかりで資料をつくった。

タイトルしか記入されていないものを、ネット(アマゾンjp、bk1、googleなど)で検索し、原作者名、正式なタイトル、出版者名を入れた簡単な書誌を作った。絵本だけでなく、「朗読」「詩の朗読」「語り」などもあったので、それぞれ、追跡できるところまで記入し、学年別に「○年生に読んだ本」としてデータ化した。

ずらっと並んだタイトルを見ていると、「ざわざわ」が静まってゆく教室の雰囲気や子どもたちの様子がきれぎれに思いだされてくる。初めて「もう一回読んで!」とリクエストをもらったときのこと、「えーっ!」という驚きの声がだんだん大きくなっていったときのこと…。先生もほとんどが子どもたちと一緒になって「読み聞かせ」を楽しんでくれたのだが、中にひとりだけ、自分の作業をしながら(採点?)、お話に集中できない子どもに注意を与える先生がいた。絵本を読みながら「ありえねぇ」と感じたが、今ふり返ってみても、あの先生の態度は問題である。先生だって一緒にお話を聞いているからこそ集中できない子どもに注意をする大義名分があるのではないかと思うのである。私としては、あまり神経質に子どもに注意はしてほしくないのだが…。

「読み聞かせ」の時間だけが、教師が教師としてではなく子どもたちと同じ目線で黒板の方を向き、お話を共有できる。ある意味では、ボランティアによる「読み聞かせ」というのは、学校のヒエラルキーを崩す数少ない行為の一つであるといえるだろう。この「ディコンストラクション」をどう使うかというのも、教師の資質が見えてくる。子どもたちにとっては、先生も一緒になってお話を楽しむというのはとても大切なことだと思う。

私が小さいとき、両親やまわりのおとなが自分と同じところで面白がったり、感動したりすることを目にしたときの驚きやよろこびは、いまでも言葉に尽くせない何ともいえない感動をもって思いだされる。そこから、その人への信頼や愛情が育まれるのだと思う。

先生、静けさをことさら求めたり、感想をいわせようとしないで! 子どもたちと一緒に物語の世界に入って、経験をわかちあい、自分の素直な心の揺れを子どもたちに見せてあげてほしい。そこから私たちはどれほど多くのことを学ぶのか。

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同感です!

八洲で先生の児サのスクーリングを受講しておりました。楽しい授業ありがとうございました。
私もボランティアでよみきかせをしておりますが、私に気遣ってか、よみきかせの最中に児童の後を巡回する先生がなんと多いことかv-12
そんな緊張感溢れる中でのお話は楽しくありません。私も児童もきっとそうです。
お話を聞きたくない子はいいのです、
でも私はお話をからかって聞く子や、聞きたくない子に向けても話しかけているつもりです。
そして次回の選書に燃えるのですv-42

お話に…

ぐりぐらさま:コメントありがとうございます。お話に集中できない子や関心を持たない子は、たしかに気にかかります(でも、聞きたくない子には無理矢理聞かせるのもどうかなと思います)。どんなお話だったら、興味を示してくれるだろうかと、私も、ぐりぐらさんのように燃えます!

『うえきばちです』は小さい人から大きい人まで楽しんでもらえるほんですね。

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