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朗読教室

朗読教室(第2次)に申し込んでいたのだが、前回と違って今回は授業のためほとんど出席できずに、残すところあと2回となった。今回のメインは「走れメロス」である。同じ棟に住む知人が、学校を休んだ子どもに「宿題」を運んできてくれるがごとく、進捗状況を伝えてくれていたので、教室の一員であるという自覚だけは何とか失わないでいた。

というわけで、件の知人と「走れメロス」の朗読自主トレを行った。先生からはいくつかの「ダメ」が出ているので、まず、全文を2人で交互に読みながら、作品の解釈を確認していった。ひとりで黙々と声を出して練習するより、相手がいるのがいい。それは、相手の解釈に裏打ちされた読みを知ることで、自分の読みを修正したり確認することができるからだ。声を出して読んでいると、知らず知らずのうちに身体に力が入り、大きく足を広げて踏んばっていることに気づいた。

今回はとくに「メロスの独白」部分を丁寧にさらった。密かに故郷に別れを告げて、約束を守るために出発したメロスは、濁流を渡り、山賊を打ち負かしたところでくじけそうになる。そこから、「自己嫌悪」「自己弁護」「自己憐憫」「自己肯定」をたどって再生されてゆく過程は、ついつい熱く感情移入してしまう。足の踏んばりは、これが原因だ。

火曜日にある久しぶりの朗読教室が楽しみである。私たちの先生は、「役者系」の先生なので、イントネーションにはあまりうるさくない(らしい)。「アナウンサー系」の先生の発音矯正はハンパじゃないらしいということを経験者からきいた。

ところで、先生の朗読をもし先日の図書館員が聞いたらなんと言うだろう。「劇的」すぎてひっくり返ってしまうんではないか。ときどき私は、メディア・スクーリングで行った自分の授業を聞くことがあるが、自分で感情をこめているつもりでも、意外に平板に聞こえるものだ。つまり、「読みが伝わっていない」、「羞恥心で感情が抑制されている」と感じることがある。語りでも朗読でも「感情をこめる」ことは、じつは自分で意識しているよりもずっと難しいように思うのだが…。

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