2008.04/15 [Tue]
石井桃子さんと児童図書館
このところ石井桃子さんの著作や石井さん関連の著作を集中的に読んだ。その中でとくに問題意識を刺激されたのは、『ユリイカ<特集石井桃子:100年のお話>』に掲載された松岡享子さんの「石井桃子さんと子どもの図書館」である。
松岡さんは当該評論で、石井さんの業績はさまざなな点から論じられているが、石井さんと子どもの図書館活動の関わりについて言及しているものはほとんどないとして、石井桃子さんが日本の児童図書館の歴史に果たした役割を、きわめて的確に説得力をもって述べている。松岡さんは、以下のように書く。
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[石井桃子さんは戦前にも子ども文庫の開設(白林少年館)を試みているが、彼女が]図書館についての認識を深め、かつら文庫の開設を決意したいちばんの契機は、やはり1954年から55年にかけて、ロックフェラー財団の研究員として、欧米を視察したときの体験にあると思われる。
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この視察(ある意味での留学だと思われる)については、『児童文学の旅』(岩波書店)に詳しいが、財団の研究員としての渡米が決まったとき、石井さんはまず、戦前から交流があったバーサ・マホニー・ミラーさんと連絡を取ったのである。ミラーさんは、合衆国ではじめて子どもの本の専門店を開き、のちに、子どもの本の書評誌である『ホーンブック』を発行した見識のある女性であるが、当時、ミラーさんは石井さんの北米での視察のアレンジを一手に引き受けたのである(実は、このことでALAがむくれるということも起こるのであるが、なんだかALAの権威主義的な部分が見えて、傍目にはちょっとおかしい)。
この視察旅行で、ミラーさんのアレンジで石井さんが出会った人々というのがすごい。主な人たちだけをあげてみると、アン・キャロル・ムーア、リリアン・スミス、エリザベス・ネズビット、メイ・マッシーなどで、そうそうたる顔ぶれなのである。
この人たちは、アメリカにおける児童図書館の創生期をつくった人々で、石井さんの渡米時には、ほとんどの人が70歳を超えており、すでに現役を退いていたことと思う。とはいえ、子どもの本や図書館などについては継続的に活動していたことだろうから、自分たちの経験や理想や情熱を惜しみなく石井さんに伝えたことと推測できる。
石井さんは、いわば、アメリカ児童図書館を作った綺羅星のような人々が、最後の光を放っていた時代にアメリカを訪問したといえるだろう。この視察旅行が大きな契機となって「かつら文庫」の開設に至るのである。石井さんは、かつら文庫の記録である『子どもの図書館』で以下のように述べている。
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[欧米では]児童図書館というものが、よい創作活動を推進し、またその結果を本にする出版事業の支えになり、さらにまた、その本を直接子どもの手にとどけるという三つの仕事を一つでひきうけている、べつのことばでいえば、この五十年間、子どもの示す反応から学びながら、本の指標を高め、それを堅持してきたのは、児童図書館の大きな功績だということをみてきました。(『子どもの図書館』。p4。)
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たとえば、メイ・マッシーは、児童図書館員を経て、ALAで『ブックリスト』の編集に携わり、その後、請われて、ダブルディ社、ヴァイキング社で子どもの本の編集を手がけている。彼女の編集した本は「メイ・マッシーブックス」と呼ばれ、エッツ、ベーメルマンス、マックロスキーなど絵本の古典とされているものが多く含まれている。
まさに、児童図書館が「三つの仕事を一つでひきうけて」いた時代を石井さんはつぶさにみてきたといえるだろう。そして、石井さんは、その視察旅行で得た「宝物」を文庫活動や翻訳というさまざまな形で、私たちにあますことなく与え続けてくれたのである。私たちは、石井桃子さんにいただいた「宝物」が何であったのかをきちんと知り、彼女の志をさらに次の世代にわたすべく、守ってゆかなくてはいけない。
石井桃子さん、どうぞ私たちをお守り下さい。
松岡さんは当該評論で、石井さんの業績はさまざなな点から論じられているが、石井さんと子どもの図書館活動の関わりについて言及しているものはほとんどないとして、石井桃子さんが日本の児童図書館の歴史に果たした役割を、きわめて的確に説得力をもって述べている。松岡さんは、以下のように書く。
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[石井桃子さんは戦前にも子ども文庫の開設(白林少年館)を試みているが、彼女が]図書館についての認識を深め、かつら文庫の開設を決意したいちばんの契機は、やはり1954年から55年にかけて、ロックフェラー財団の研究員として、欧米を視察したときの体験にあると思われる。
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この視察(ある意味での留学だと思われる)については、『児童文学の旅』(岩波書店)に詳しいが、財団の研究員としての渡米が決まったとき、石井さんはまず、戦前から交流があったバーサ・マホニー・ミラーさんと連絡を取ったのである。ミラーさんは、合衆国ではじめて子どもの本の専門店を開き、のちに、子どもの本の書評誌である『ホーンブック』を発行した見識のある女性であるが、当時、ミラーさんは石井さんの北米での視察のアレンジを一手に引き受けたのである(実は、このことでALAがむくれるということも起こるのであるが、なんだかALAの権威主義的な部分が見えて、傍目にはちょっとおかしい)。
この視察旅行で、ミラーさんのアレンジで石井さんが出会った人々というのがすごい。主な人たちだけをあげてみると、アン・キャロル・ムーア、リリアン・スミス、エリザベス・ネズビット、メイ・マッシーなどで、そうそうたる顔ぶれなのである。
この人たちは、アメリカにおける児童図書館の創生期をつくった人々で、石井さんの渡米時には、ほとんどの人が70歳を超えており、すでに現役を退いていたことと思う。とはいえ、子どもの本や図書館などについては継続的に活動していたことだろうから、自分たちの経験や理想や情熱を惜しみなく石井さんに伝えたことと推測できる。
石井さんは、いわば、アメリカ児童図書館を作った綺羅星のような人々が、最後の光を放っていた時代にアメリカを訪問したといえるだろう。この視察旅行が大きな契機となって「かつら文庫」の開設に至るのである。石井さんは、かつら文庫の記録である『子どもの図書館』で以下のように述べている。
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[欧米では]児童図書館というものが、よい創作活動を推進し、またその結果を本にする出版事業の支えになり、さらにまた、その本を直接子どもの手にとどけるという三つの仕事を一つでひきうけている、べつのことばでいえば、この五十年間、子どもの示す反応から学びながら、本の指標を高め、それを堅持してきたのは、児童図書館の大きな功績だということをみてきました。(『子どもの図書館』。p4。)
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たとえば、メイ・マッシーは、児童図書館員を経て、ALAで『ブックリスト』の編集に携わり、その後、請われて、ダブルディ社、ヴァイキング社で子どもの本の編集を手がけている。彼女の編集した本は「メイ・マッシーブックス」と呼ばれ、エッツ、ベーメルマンス、マックロスキーなど絵本の古典とされているものが多く含まれている。
まさに、児童図書館が「三つの仕事を一つでひきうけて」いた時代を石井さんはつぶさにみてきたといえるだろう。そして、石井さんは、その視察旅行で得た「宝物」を文庫活動や翻訳というさまざまな形で、私たちにあますことなく与え続けてくれたのである。私たちは、石井桃子さんにいただいた「宝物」が何であったのかをきちんと知り、彼女の志をさらに次の世代にわたすべく、守ってゆかなくてはいけない。
石井桃子さん、どうぞ私たちをお守り下さい。

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