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本田和子『子どもが忌避される時代』を読む

しばらく前に購入済だった『子どもが忌避される時代』(新曜社)を読んだ。帯には次のように書かれている。

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日本人は「子ども嫌い」になったのか?!
かつて来日外国人を驚かせた日本人の「子どもに対する優しさ」。それがいまは?/子育てがリスクと考えられるようになった原因を「子ども感」「子ども-大人関係」の変容として歴史的に跡づけ、対策を提言する。
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本田は「子どもが忌避される」心性の源流は、明治以降の「家制度」にたどることができるとして、「子ども」と「子ども観」を近代化の流れの中で捉えなおしている。「子ども」は国民国家のために存在するという大義名分はくずれ、「結婚」のロマンティック革命がおこれば、そのつぎには、「生み育てる権利」が個人のものとして了解されることは当然の流れであるという認識のもとに議論が展開される。しかし、「生み育てる権利」が個人の物として認識されるようになったからといって、「子ども」に関わるすべてのことが個人に帰属するわけではないところが問題の根源にあるのだ。

本田は、「少子化」の原因を「女性が子どもを忌避するからだ」と一面的に批判してはいけないと、注意を促すが、しかし、「生み育てる」ことにまつわるもろもろが、母親(女性)に大きくのしかかってきている実情を考えれば、批判の矛先は母親(女性)に向けられるのは避けられないことだと思う。

「自分らしさ」「個性」「個としての生き方」があらゆる場面で称揚され、そのことを当然のこととして受けとめてきた世代が「子ども」を目の前にしたとき、そこに大きな価値の転換や発想の転換を求められるのは必至だ。そうなったとき、さてどうすればいいのか。本田はこの点については明確な答えを出していないし、少子化に対する提言も、原理的ではあるけれどあまりにも非現実的だと思う。究極的に「そういう方向」に進むのだろうとは思うのだが。

かといって、佐々木正美氏のように「あなたの子どもを愛しなさい」「よろこびをみつけなさい」(『子どもへのまなざし』)とおっしゃるだけではあまりにもナイーブだ。どこをどうしたら「愛」が生まれてくるのか、「よろこび」を見つけることができるのか、そこを議論しなくては、子どもを忌避するほどまでに心を漂流させている人には伝わらないだろう。

私たちはだれしも「子ども」時代を経て、「おとな」になる。しかし、終着点は「おとな」になることではなく、「成熟」することであると思う。「成熟」というものさしを持つことは、いまさまざまなことに求められている一つであると心から思う。

注:佐々木正美氏の著作は基本的にはすぐれて、重要な著作である。

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