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「清兵衛と瓢箪」

朗読教室(3回目)に参加した。このところのお天気のせいか、体調を崩した人がいたらしく、欠席者が目立った。

「笠地蔵」は前回であげてしまったので、志賀直哉の「清兵衛と瓢箪」の練習にはいった。一人ずつ順番に読んだあと、作品について、それぞれ感想をいいあった。私は、作品中の「おとなvs子ども」の二項対立のなかに、作者の「おとな」に対する皮肉な視線を読んだ。また、どれほど「真実を見抜く目」や「天賦の才」を持っていようと、それをあっさり捨ててしまう子どもの「無垢」を感じた。しかし、残念なことに、先生がこの作品をおもしろがるほど、作品そのものを面白いとは感じなかった。だから、隣のご婦人が、「感動した」と、ご自身の生活に根ざした感想を言った時には、正直羨ましかった。

例えば、清兵衛の「真贋を見抜く力」は、正統のなかにものの本質を捉えるという、至極まっとうで基本的なものであると解るのであるが、作品そのものにはひかれない。

朗読を完成させるためには、まず、作品解釈が必要とされるが、さらに朗読者の作品に対する「思い」が、朗読をふくらみのあるものにするのである。小説の神様といわれる(小林秀雄か)志賀直哉の日常の一コマに人生の機微を見る手法は、悲しいかな、私の精神には響いてこなかった。瓢箪に対する思い入れも、今ひとつ共感できなかった。ちょっと悲し。

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