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『風林火山』を読む

大河ドラマの「風林火山」総集編にどっぷりはまってしまい(内野聖陽の迫力にまいったのである)、原作『風林火山』(井上靖)を読んだ。ドラマを見ているうちに、「アーサー王伝説」の舞台となった時代と日本の戦国時代が奇妙にオーバーラップしてきたので、なぜなのかを確かめたかったからだ。それは、武田晴信に仕える軍師山本勘助の姿があったからだと思う。彼は軍師とはいえ、王の語り部のような存在だったのかもしれないとふと考えたからだ。

勘助は、戦国武将に仕えたからこそ、「軍師」としての役割を果たしたし、映像でも作品でも、その部分がクローズアップされていた。しかし、勘助の姿を注意深く追えば、彼の「語り部」的側面が軍師としての彼を生かしていたことに気づく。冒頭部分、武田家に仕えるために甲斐へ向かう時の勘助は、次のように思いをめぐらせている。

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彼は平生遠隔の地からきた旅人に会うと、そこから詳細にわたっていろいろな知識を引っ張り出すことを忘れなかった。記憶力や想像力は、自分でも驚くほどに非凡だった。一度聞いたことは決して忘れなかったし、ただ一つの知識の欠片から、際限もなくいろいろなものを引き出すことができた。(新潮文庫版 p29)

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この非凡な想像力と記憶力こそが語り部にとって必要不可欠な能力であろう。

勘助は、諸国を漫遊しているとのもっぱらの噂であったが、それは、噂にすぎす、自分の故郷と駿河の一部しか知らない。けれども、はじめて甲斐の国へ足を踏みいれた時、その山景が自分が想像したものと寸分違わないことによろこびを感じ、あまつさえ、古府(甲府のことか)に来るのは3度目だと「騙り」さえする。「騙り」は「語り」に通じる。

世が世なら、どれほどすぐれた語り部になっていたことだろう。いや、この戦国時代であったとしても、勘助は、戦術や攻撃指南のあいまに、過去の数多の戦いを物語り、これからむかえる雄々しく激しくくりひろげられるであろう武将の闘いを予言し、語り、自分の仕えるお屋形さまの士気を高めたに違いない。

プロの語り部は、自分の生活を支える独自のレパートリーを獲得していなくてはいけないといったのは、ベン・ハガーティであるが、この点でも、勘助を語り部とよぶのにふさわしいだろう。

スーザン・プライスの作品にKing's Head というものがある。王の語り部が戦場で死にきれずに、首だけになってもなお、敵方の人に語り続けながら、囚われた王に会おうとする枠組みを持った作品だ。この時、語り部グリムセンが敵方の人びとに語る物語は、昔話や伝承をプライス風につけしたものだが、この語り部が王とともに参戦していた時には、勇敢な英雄や英雄の戦いの物語を語ったことであろう。

『風林火山』の勘助に語り部を見たことは、これが、私の全くの想像であったとしても、なんだかワクワクするのである。

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