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デイヴィッドの語り

デイヴィッドの「語り」がカレドニア学会でも聴けるということで、開催校である神奈川県立外語短期大学に出かけた。大学は高台にあって(山の頂上かな)、最後の50㍍ほどの急坂がきついということだったが、予定通り、最寄りの駅から徒歩で行った。確かに、最後の坂はちょっと息切れがした。

デイヴィッドの語りは、「ケイリ」を意識しているようで、観客にも歌などで参加を促すものであった。お話は、「三人のドナルド」「雪女」「イグサの娘」など。とても楽しかったが、一つ気になることがあった。

「雪女」は、ハーン版のアレンジだったようだが、私が驚いたのは、デイヴィッドの「雪女」の解釈だ。お話の最後で、箕吉が妻にかつての恐ろしい夜のことを話してしまい、雪女が去ってゆくくだりを、デイヴィッドは、雪女の圧倒的な怒りを語ることで、「雪女」を表現していたのである。つまり、あの夜のことはしゃべらないと、吹雪の晩に固く約束したのに、破ってしまったことへの怒りが、語りに迫力を生んだのである。

それはそれで、もちろん語りとして成立している。しかし、私はむしろ、雪女の「悲しみ」や「諦観」を物語に見いだしていたので、彼の語りにすこし驚いたのである。この解釈の違いはどこから生まれたのであろうか、チャンスがあれば、少しつっこんでデイヴィッドと話をしたいと思った。また、この語りには、ハープで「さくらさくら」変奏曲がつけられていた。きれいな編曲ではあったが、「さくら」という曲想が物語に適していたかどうか、疑問が残る。「さくら」は私たちにとっては、「春」と分かちがたく結びついている。自分にとっての異文化を当該文化の中で表現するということの難しさを感じた。

また、デイヴィッドは時差ぼけで眠れないらしく、目にもくまができていて、体調が万全でないのが気の毒であった。今日から、移動してコンサートを重ねるさらに厳しいスケジュールが続くが、何とか体調を整えて、充実した日本滞在であってほしいと切望する。

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NoTitle

小澤俊夫先生が、「つる女房」の結末が西洋人には理解されないとおしゃっていたことを思い出しました。

デヴィットさんはどのような解釈だったのでしょうか。とても興味深いです。・・・しかし・・・ さくら  とはねぇ・・・理解に苦しみます。

・・・あまりにもエンターテイメント化?しすぎると純粋な「お話」の世界を邪魔しますね。

NoTitle

自分にとっての異文化を表現することの難しさを感じています。その後のデイヴィッドとのやりとりについては、あたらしくエントリーしました。また、感想を聞かせてください。

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