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「詩人トーマス」と「タム・リン」

スコットランドの語り手であるデイヴィッド・キャンベル氏が語るお話の一つが「詩人トーマス」(バラッド)であると聞いた時、「タム・リン」を連想して、「トーマス」と「タム・リン」を混同している事を指摘された。確かに、「タム」というのは、Tomのことではあるけれど、しかし、バラッドとしては別物のこの二つが、なぜ私の中で結びついていたのだろうか不思議だった。

それは、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『九年目の魔法』のためであった。この作品は、「詩人トーマス」と「タム・リン」を下敷きにした物語なのである。しかも、私は、章の始めに引用されている二つのバラッドをきちんと判別して読んでいなかったため、「銀の鈴のついた馬」もタム・リンの乗った「白馬」と一緒にしてしまい、自ら混乱を招いていた事も解った。情けない。というわけで、久しぶりに『九年目の魔法』を再読した。

これが何ともひどい翻訳で読めたものではない。結局、原書を取り出して、わけが解らず、意味の通らないところをチェックしながら読んだためにずいぶん時間がかかってしまった。なぜか「読まなきゃ」というオブセッションに捕らわれていたので、読みきったが、そうでなければ早々に放りだしていた事だろう。気になって、「グーグル」で読者の感想を探したのだが、「読みにくい」という感想は、ざっとながめたところ一人だけだった。えっ! 物語を楽しんだみなさんは、辛抱強いというか、寛大というか、私が「わがまま」なのか?

まず、最初から、日本語の使い方にひっかかったのだ(これは、以前読んだ時にも同じことを感じていた)。

「足をベッドの向こうに振りおろして荷造りを続ける前に、頭の上にかかった額を見上げた」(1994年初版一刷り、p13)

「足を振りおろす」って。確かに"swung"という言葉は使われているが、「振りおろす」なんて訳す必要はない。このように、英語の表現に引きずられての不自然な日本語はそこかしこにある。

「その人の手は大きかった。巨大で、長い指の列の下にたたみこまれ、こちらの手はまったく見えなくなった」(p27)

えっ? ここは、主人公の少女が、見知らぬ人に手をつながれる場面なのであるが、私には「長い指の列」を想像する想像力がない。悲しい。「大きな手につつみこまれ」あるいは、「大きな手に捕まれて自分の手が見えなくなってしまった」と書いては駄目なんだろうか。

「その日のうちに、お祖母ちゃんとニーナはポーリィが壁に釘を打ちこみ、横になった時に見えるよう、ベッドの上に額を飾るのを手伝ってくれた」(p55)

?????と疑問詞がついてしまう。まぁ、いいたい事はわかるけれど、申し訳ないが、こんな日本語を500ページも読まなくてはいけないなんて、私にとっては苦行でしかない。最近は2分冊になって出版されているらしいから、読みにくいところが直されている事を期待したいが、いかがであろうか。

ウィン・ジョーンズの英語は、そんなに難解だとは思われないが、彼女が紡ぐ物語世界は、かなり複雑で、知的遊戯にとみ、ぼんやりしていると取り残されてしまうことがある。そうでなくても、物語そのものが不可解な事も多い。そんなウィン・ジョーンズをこんな日本語で読まされるのはかなわない。時間をかけて読書したのに、物語を読んだ満足感、異界に遊んだよろこびが感じられない不毛な読書であった。

さて、「詩人トーマス」を下敷きにした物語をもう一冊みつけた。『吟遊詩人トーマス』(ハヤカワ文庫/アマゾンユーストで購入)である。今日はこれを楽しんで、お口直しといきたいところだ。

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思い違いも 思わぬ 発見!出会い!へと導いてくれることがありますよね。
とても興味深い展開ですねぇ。
『吟遊詩人トーマス』図書館で予約しました。(^-^)
11日までに読みたいと思います。

ぱたぽんさま:『吟遊詩人トーマス』読了しました。感想は、お目にかかった時にでも…。ぱたぽんさまの感想も是非きかせてください。スコットランドの昔話「あざらし女房」も語るかもしれません。

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