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『ピーターラビットのおはなし』の初訳を読む(1)

『ピーターラビットのおはなし』の本邦初訳とされる、『日本農業雑誌』(明治39(1906)年11月)に掲載された「悪戯な小兎」の全文を読んだ。新聞記事では「お伽小説 悪戯な小兎」となっていたが、本文には「お伽小説」という語句はない。また同誌翌月号には、「悪戯な小兎 後日談」が掲載されている。両方とも「田園文学」のコーナーに掲載されており、この連載記事の前後には川柳や俳句のページがある。

時代的な制約はもちろん考慮に入れなければいけないが、はたしてこれを「翻訳」とよんでいいのか、ということをまず感じた。「ピーターがマグレガーさんの畑に行って、命からがら戻ってくる」という物語の基本的な路線は外していないのであるが、それ以外では、削除、書きかえ、説明がくり返され、むしろ、ポターの作品を松川二郎が「翻案」したと考えるべきであると感じた。もちろん、このあたりのことについては、同時代の翻訳の状況と比べて考えなくてはいけないだろうが。

新聞記事を見た時にははっきり確認できなかったので、前回のブログには書かなかったのであるが、「フロプシー」が「エロプシー」、「ピーター」は「ペター」と表記されている。さらに、これも原文にはないのであるが、4匹のウサギたちの名前の由来が説明されている。

エロプシーと言ふのを、人間の言葉になほしますれば、駈落者といふ意味で、モプシーは始終ふて口をして居る佛頂面、コツトンテールは木綿の尾(しっぽ)、ペターは旋毛曲(つむぢまがり)の我儘者と言ふ事になるのですけれども、駈落者だの木綿の尾だのと言ふのは、除り可笑し過ぎて人の名のやうでは―否(いや)サいくら兎としても、斯(こん)な名は冗談めいて居て、眞實(ほんとう)の名のやうには思へませぬから、矢張りエロプシーとかコツトンテールとか、兎仲間のことばの儘で呼んで置くことに致しませう。(p59)

ちなみに手元にあるThe Penguin Dictionary of First Names で調べてみたが、Flopsy(Elopsy)、Mopsy、Peterについて、ここに書かれているような記述は見あたらなかった。というより、Flopsy(Elopsy)もMopsyもこの辞書には採用されていない。『フロプシーのこどもたち』の原書出版年が1909年だから、少なくともこの雑誌が出版されている時には出ていないし、件の本では、フロプシーは子どもを愛する母ウサギであり、「駈落者」でもない。しかも、松川は「フロプシー」を「エロプシー」と表記しているのである。単なるミスなのか、意図的に変えたのか気になるところだ。

ピーターたちのお母さんは「未亡人(ごけさん)で、兎の毛の手袋や靴下を編んだり(中略)兎の仲間が甘(おいし)がって喫む巻煙草だのを賣って、小供の大きくなるのを樂しみに暮らし」(p60)ているのだそうだ。また、ピーターたちの「阿父(おとう)さまは知らずに彼處(あそこ)へお這入りになって。懀い懀い杢平爺の爲に桶伏になって御殺されのになったんだからネ」(p60)ということだ。

「桶伏」というのは、江戸時代に行われた私刑の一種で、年貢を払わない農民や金を払わない遊郭の客を桶に入れて見せしめにしたのだそうだ。文化の違いによる訳語の改変や説明をよく調べてゆくとたいへん興味深いが、最後に一つ、石井桃子さんの訳では、確か「かみつれのお茶」になっていた"camomile tea"は、松川版では「熱さましのカモマイル茶―人間ならば葛根湯」(p64)となっていておもしろい。当時は「正露丸」はなかったのだろうかと、余分なことを考えてしまった。(この項続く)

この記事のコピーをとってくださったKSさんに感謝!! ありがとうございました

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やっぱり

こんにちは。私もまず、雑誌じたいを見たいなあと思っているのですが、わしこさまのエントリーを見て、少しつかめた気がしました。名前の由来も、お父さんのいない理由も、この某さんのオリジナル。ますます「興味深い」史料ですね。

「悪戯な小兎」

宏枝さま:コメントありがとうございます。時間を見つけて書きついでいきます。また訪問してくださいね。ところで、毎日新聞が5月26日付けで後追い記事を掲載しています。ちょっと、ねぼけている?

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