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石井桃子『幼ものがたり』を読む

いままで『幼ものがたり』を一気に通読したことがなかった。いくつか短い回想を読んでいるうちに、私の精神は、石井さんの子ども時代を離れて、自分の幼い時代のことを彷徨い、忘れられた記憶の断片を思いだすのがつねだったからだ。そうして、なんだか切ないような、悲しいような、そして寂しい思いとともに本は閉じられたのである。そして、また忘れた頃に『幼ものがたり』を手に取るのだった。しかも、いままで読んでいたのは、福音館版(日曜日文庫)だったのだが、今回は『石井桃子集4』(岩波書店)で読んだ。なんとそこには清水眞砂子さんの解説がついていた!

一気に読んだといっても、やはり私の精神は、どこか遠くに彷徨い出てしまい、時には、なかなかここ(『幼ものがたり』)に戻ってくることが難しかった。畑や田んぼに囲まれたおばあちゃんちで過ごした幾たびかの休暇についてのことや子ども時代の悲しみが、きれぎれに押しよせてきたのである。

清水さんも「誰の回想記かなどはどうでもよくなって、気がつくと、いつの間にか自分の幼年の日々にひき戻されている」(「解説」p262)とお書きになっているが、まさにその通りだったのである。しかも、こんなふうに、自分の幼年時代にひき戻されるのは、70年代後半に生まれた人たちにも共通しているのだそうだ。

かつて、櫻井先生のストーリー・テリングの講座で、「回想」というレッスンをやったことがある。あのときは、私はなぜが自分の幼い時代を回想することが嫌で、頭で思いだした話をしたように思う。しかし、石井さんの著作は、もっと「魂」の深みに入ってくる感覚がある。

おばあちゃんちの畑の一角の小さな坂を、妹が何回も何回もぶつかるように私に飛びつき、そのたびごとに彼女をしっかり抱きとめたときの感覚。ちょっとした遊びに見せかけて、母のいない寂しさを、二人でわかちあったのだろうか。思いうかべるたびに、涙であふれそうになる。

しあわせだったのか、悲しかったのかわからないが、いま私は、あふれかえる幼い頃の思いでに満たされている。

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