わしこの読書日記

子どもの本や絵本について研究しているわしこの読書日記と身辺雑記。

旭爪あかね『稲の旋律』を読む

この本の情報をどこでどう手に入れたのか、もはや解らなくなってしまった。おそらく、「母の自立」「母と娘」をキーワードにネットの海をさまよい、本を読みあさっているときに、引っかかってきたに違いない。どなたがどんなふうに書いていたのかも思い出せないのであるが、この本とめぐりあわせてくれたことに感謝したい。ありがとうございます。

主人公の千華は、25歳で大学を中退して以来、正式に就職したことがない。30歳を目前にして、ようやく就職した会社も、3ヶ月ほどたつと出社できなくなってしまった。他人の目が気になり、不安と焦燥感に駆られてしまうのだ。ある時、千華は現実から逃げるように電車に乗り、その景色に誘われるまま降りた「三善」の田んぼに、ペットボトルに入れたSOSのメッセージをおいてきた。そのメッセージをひろった広瀬という男性との間に交わされる往復書簡で作品が構成されている。

作品を読み進めるうちに、千華が「引きこもり」状態になってしまったのは、「母の娘」である重圧に耐えきれなくなったためであったことがわかる。すると、これは、先日ここでも触れた、おとな版『マリオネットディズ』である。いや、『稲の旋律』が2002年の出版だから、『マリオネットディズ』が、YA版『稲の旋律』ということか。いずれにせよ、時代が抱える問題が、子どもの文学でもおとなの文学でも書かれているということだ。この2作を比較してみると、YAの限界が見えてしまうのも悲しい。

『稲の旋律』では、千華の問題が彼女だけのものにとどまらず、千華の両親の関係や二人の子ども時代にまで、その根っこがあることが作品の中で示される。「高度成長時代を支えてきた人間」を送りだしてきたことが最大の誇りである元教師(校長)の父や辛い子ども時代を封印している母には、千華が農業に生きていくことの意義を見つけてゆくのも理解しがたいだけでなく、嫌悪感すらもっている。

稲の海に風が吹きわたり、そこにパッヘルベルの「カノン」の音色を聴いた千華が再生してゆく過程は、説得力があり、希望がある。さらに、日本の「食」についても、問題意識を刺激される。途中から、千華と広瀬が会い行動を共にするため、書簡体小説が技巧的に不適切にならざるを得ない部分が見えるが、まぁ、これはご愛敬ということで…。

●旭爪(ひのつめ)あかね『稲の旋律』。新日本出版社、2002年。


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