Entries
2006.08/19 [Sat]
「語りの二つの流れ」イギリスの場合(2)
「語り」が衰退してきた原因には、「活字文化」が台頭してきたことも大きい。ハイテク時代における、「語りのリバイバル」とはどのようなことを意味するのか、「リバイバル」が真の意味で「リバイバル」になっているのか、ベンは続ける。
「語り」とはその一瞬に存在する芸術である、と彼はいう。つまり「瞬間芸術」なのだ。お話を「語り手」と「聴き手」がわかちあう生の空間こそが「ストーリーテリング」である。彼はそれを「ジャズ」とよんでいる。「語り」は聴衆を眼前にして、語られるたびに、変化し、進化してゆくのである。
"There are no pens, the writing is on the wind."ペンなどいらない、物語は風の上に書かれている。
イギリスにおける「語りのリバイバル」には、まず「炉端の語り手」の存在があった。最近問題なのは、彼らが公の場で語ることを要請されるとき、「お金」がからみ、レパートリーに変化が見られるようになったことである。「炉端の語り手」の語りは、いわばおもてなしであって、「お金」は、基本的には介在していなかった。しかし、「炉端の語り手」が雑多なイヴェントに招待され、語ることで、「経済」が介入してくると、本来「語り」を生業としてきた語り手たちとの区別が見えにくくなる。また、「炉端の語り手」は、小さい集団や身近な仲間に語ってきたものだが、大きくしつらえられたステージで、見知らぬ人に語りはじめるとレパートリーが変わってくるのである。
スコットランド最後のトラベラー(語り手)といわれる、ダンカン・ウィリアムソンは、かつては自分の家で、一時間もの語りをしていたそうである。しかし、彼はいま、多くの聴衆を前にして、ジョークや少々センチメンタルなバラードを語るようになったという。ジョークなどの語りはたやすく笑いを生み、聴衆を引きつけるからであろう。
こうして、「炉端の語り手」と「プロの語り手」の垣根がはずれてしまったように見える現在、「ストーリーテラー」とはどのような人のことなのか、「語り」とは何をもって「レーゾン・デートル」が求められるか、ベンは、語りの訓練方法の模索とレパートリーの二点を深めることだと提案する。
かつて、イメージ、言葉、音を使って、聴き手を魅了するための預言的で神秘的な技を伝えられてきた、アシークやグリオなどとよばれる「語り手」たちに匹敵する「師」を失った英国でプロフェッショナルの伝統を復活させるには、あらゆるものを再発見し、新しく作りださなければならない。
ベンの提案は、演劇的な訓練方法の採用である。そして、批評についても演劇的な方法を確立すべきであるとしている。「語り手」とは、「作家」「改作者」「構成者」「演者」「演出家」であるから、この点に立ってさまざまに検討されるべきであるとする。
「お話は楽しみのために、あるいは何かを伝えるために語られてきた。しかし、お話を語る行為は、お話を解釈し語る人に依拠しているのである。お話は、一人一人の中にさまざまな形で生きている。それは、一人一人のお話の解釈が違うからだ。私の希望は、二つの流れに属する、新しい語り手たちが、自己批判的になることにある。自分に対する要求度を高め、批評する人たちの声を求めてくれることを希望する」
「語り」とはその一瞬に存在する芸術である、と彼はいう。つまり「瞬間芸術」なのだ。お話を「語り手」と「聴き手」がわかちあう生の空間こそが「ストーリーテリング」である。彼はそれを「ジャズ」とよんでいる。「語り」は聴衆を眼前にして、語られるたびに、変化し、進化してゆくのである。
"There are no pens, the writing is on the wind."ペンなどいらない、物語は風の上に書かれている。
イギリスにおける「語りのリバイバル」には、まず「炉端の語り手」の存在があった。最近問題なのは、彼らが公の場で語ることを要請されるとき、「お金」がからみ、レパートリーに変化が見られるようになったことである。「炉端の語り手」の語りは、いわばおもてなしであって、「お金」は、基本的には介在していなかった。しかし、「炉端の語り手」が雑多なイヴェントに招待され、語ることで、「経済」が介入してくると、本来「語り」を生業としてきた語り手たちとの区別が見えにくくなる。また、「炉端の語り手」は、小さい集団や身近な仲間に語ってきたものだが、大きくしつらえられたステージで、見知らぬ人に語りはじめるとレパートリーが変わってくるのである。
スコットランド最後のトラベラー(語り手)といわれる、ダンカン・ウィリアムソンは、かつては自分の家で、一時間もの語りをしていたそうである。しかし、彼はいま、多くの聴衆を前にして、ジョークや少々センチメンタルなバラードを語るようになったという。ジョークなどの語りはたやすく笑いを生み、聴衆を引きつけるからであろう。
こうして、「炉端の語り手」と「プロの語り手」の垣根がはずれてしまったように見える現在、「ストーリーテラー」とはどのような人のことなのか、「語り」とは何をもって「レーゾン・デートル」が求められるか、ベンは、語りの訓練方法の模索とレパートリーの二点を深めることだと提案する。
かつて、イメージ、言葉、音を使って、聴き手を魅了するための預言的で神秘的な技を伝えられてきた、アシークやグリオなどとよばれる「語り手」たちに匹敵する「師」を失った英国でプロフェッショナルの伝統を復活させるには、あらゆるものを再発見し、新しく作りださなければならない。
ベンの提案は、演劇的な訓練方法の採用である。そして、批評についても演劇的な方法を確立すべきであるとしている。「語り手」とは、「作家」「改作者」「構成者」「演者」「演出家」であるから、この点に立ってさまざまに検討されるべきであるとする。
「お話は楽しみのために、あるいは何かを伝えるために語られてきた。しかし、お話を語る行為は、お話を解釈し語る人に依拠しているのである。お話は、一人一人の中にさまざまな形で生きている。それは、一人一人のお話の解釈が違うからだ。私の希望は、二つの流れに属する、新しい語り手たちが、自己批判的になることにある。自分に対する要求度を高め、批評する人たちの声を求めてくれることを希望する」
- [No Tag]

口碑伝承!?
【活字ではあらわせないもの】
って減ってきていると思いますよね・・・
ちょっとお話がずれてしまいますが
妖怪なんかも語り手が文字もなく語り続けてきて
今に至るとある本に書いてありました。
だから根本は一緒の妖怪も語り手や地方の因習などで変わったと。
「お話を解釈し語る人に依拠しているのである。お話は、一人一人の中にさまざまな形で生きている。」
うーむ。響きます。論点ずれてしまい申し訳ないです