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「語りの二つの流れ」イギリスの場合 (1)

櫻井先生と急遽、Ben Haggartyの"Seek out the Vioce of the Critical"という評論を一緒に読むことになった。ベンは、プロの語り手たちの団体「クリック・クラック・クラブ」の主催者である(『語りの世界』41号より)。この評論は、1995年に発表されて以来、何回か加筆され、今夏、カナダの語りの雑誌Appleseed Quartely Summerに再度掲載されたものである。

彼は、1981年以来、英国(「ブリテン島における」)のストーリーテリング・リバイバルに中心的に関わってきた人物で、これもそのあたりから書きおこしている。まず彼は、ストーリーテリングを「伝承の物語を語る芸術」と位置づけている。この「伝承の物語」とは、昔話だけを指すのではなく、叙事詩、英雄叙事詩、神話なども含まれるとしている。英国には二種類の「語り手」が存在してるそうだ(櫻井先生によると日本でも同様らしい)。炉端の語り手とよばれる、ちいさなコミュニティの中でもっぱら楽しみや知恵の伝承、教育のために語ってきた人たちと、プロとしての語り手の存在である。この人たちは、お話を語ることを生業にしている人たちのことで、その起源はバード、ミンストレルなど中世の語り手、もしくはそれ以前の語り手に求められる。

語りを生業にしている人たちには、大きくわけると6つの共通点があるということだ。

①専門的な訓練を受けていること。
②炉端の語り手のもつレパートリーのうえに自分の生活を保障するさらなるレパートリーを獲得していること。
③楽器を使う
④自分の雇い主(王)を称える歌を持っている
⑤放浪的な存在であること
⑥ミューズ(芸術の女神)、霊的存在に触発されたり、時にはデーモンに突き動かされることもある。

「専門的な訓練」については、トルコの「アシーク」とよばれる語り手、セレーフ・タスリヴァの例を紹介している。アシークとして独り立ちするのには7年間の修行が必要とされるらしい。しかも、弟子に志願するのではなく、師匠が弟子を選ぶのだそうだ。一年目は、楽器の正しい持ち方を習い、二年目に入って演奏のしかたを習うのだそうだ。二年の修行のあと、やっと曲を演奏することを許される。5年が過ぎると、師匠が弟子の肩にやさしくキスをすることがあり、それが「修行終了」の証であって、その弟子はついに独り立ちすることができるのである。この長い修行の見返りに、師匠が手にするものは、たった一反の布だそうだ。

このような一子相伝にもにた「芸」の受け渡しの伝統は、いまではほとんど失われてしまっているが、かつて英国でも、これと似たようなシステムが脈々と伝えられてきたに違いない。日本でも、「平家物語」を語る琵琶法師たちがいた。

そういえば、王様の語り部が戦場で死にきれずに、首だけになっても、王に会うために、敵方の人に語り続けるお話があった。

ルネッサンス以後、こうした西洋の語りの伝承は、ほとんど廃れてしまったということだ。つまり、ルネッサンスを境に、芸術性の評価が個人のオリジナリティに求められていったからだそうだ。語りの分野では、作者に権威が与えられるようになった、まさに「オーソリティ」である。したがって、伝承の語り手たちは、伝承をリサイクルしている存在に貶められてしまったのである。でも、お話が「真実の鐘」を鳴らすことを信じて、お話は語りつがれてきた。

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