2006.04/07 [Fri]
癒しの語り手ベリットさん
櫻井美紀先生が代表をしている「語り手たちの会」が主催する「ヒーリング・アートの語りとは? ノルウェーの語り手、ベリット・ゴダガーさんを迎えて」に参加。会場である自由学園の明日館は、会員の方々の心づくしのお花(桜や小さな花たち)などで飾られ、会の性格が随所に現れた落ちついた素敵な会だった。
ベリットさんは、シュタイナー学校での教師経験もあり、癒しとしてのストーリーテリングをイギリスのエマソン・カレジで学んだ経験を持っている。現在はプロの語り手として、実際に病院などで、ストーリーテリングを治癒の一環として実践している女性である。ボランティアで病院にはいるのではなく、病院のスタッフとして、医者や看護士にセミナーを開催し、子どもたちと関わっている。子どもたちとは、基本的に一対一で関わるそうだ。拒食症の少女の場合は、女性の英雄のお話、「美しいワシリーサ」「12羽の野鴨」を選んで語ったそうである。ベリットさんの実践で興味深いのは、彼女がお話を語ったあとに、聞き手の子どもたちにも実際にお話を作ってもらうことにある。子どもたちは、昔話の形式(登場人物、舞台、魔法的な小物など)で自分の物語を語るのだそうだ。この昔話のデヴァイスは、子どもたちの想像力を紡ぎだすきっかけのようなものであろう。そして、彼らはこのお話作りを通じて、自分と向きあい、病気と向き合い、自分自身を受容してゆくのである。
私は「ヒーリング」「癒し」という言葉をあまり信用していない。とくに最近では、安易にどこにでも使われていることに不快を覚えるが、彼女の話には納得できるものがあった。つまり、彼女は、お話が、とくに昔話が、私たちの「魂」のレベルにまで到達し、「魂」に働きかけることがあることを了解した、深い認識のもとで活動しているからだ。しかし私は、癒しをもたらすのは、「お話」そのものではなく、「お話」を仲立ちとしたコミュニケーションが生みだすのだと思う。でも「お話」の選択は重要である。彼女もじっくり選んで「自分の好きな話を語る」とおっしゃっていた。
「お話の中の登場人物、風景や舞台、雰囲気、プロットの流れが私たちの身体や感覚や精神の中を循環するのです。お話の中の出来事を、私たち自身の一部であるとして経験すれば、そのお話の内容がどんなものであろうとも、お話は私たちを生き生きさせる経験となります。また、私たちおとなの気づきを、お話の中のあらゆる出来事、すべての登場人物にむけることができれば、私たちは、自分が何者であるかという感覚を育て、自分の身の回りの人たちや物との関係を育ててゆくことができます」。これは、ベリットさんがエマソン・カレジで学んだナンシー・メロンさんの著書の一節である。
ここには、「お話」が私たちの感覚や想像力をひろげるものであるという信頼がある。しかもシュタイナー教育においては、感覚とは五感だけを指してはいない。生命感覚、運動感覚、言語感覚、自我感覚などがふくまれる。
ベリットさんは、シュタイナー学校での教師経験もあり、癒しとしてのストーリーテリングをイギリスのエマソン・カレジで学んだ経験を持っている。現在はプロの語り手として、実際に病院などで、ストーリーテリングを治癒の一環として実践している女性である。ボランティアで病院にはいるのではなく、病院のスタッフとして、医者や看護士にセミナーを開催し、子どもたちと関わっている。子どもたちとは、基本的に一対一で関わるそうだ。拒食症の少女の場合は、女性の英雄のお話、「美しいワシリーサ」「12羽の野鴨」を選んで語ったそうである。ベリットさんの実践で興味深いのは、彼女がお話を語ったあとに、聞き手の子どもたちにも実際にお話を作ってもらうことにある。子どもたちは、昔話の形式(登場人物、舞台、魔法的な小物など)で自分の物語を語るのだそうだ。この昔話のデヴァイスは、子どもたちの想像力を紡ぎだすきっかけのようなものであろう。そして、彼らはこのお話作りを通じて、自分と向きあい、病気と向き合い、自分自身を受容してゆくのである。
私は「ヒーリング」「癒し」という言葉をあまり信用していない。とくに最近では、安易にどこにでも使われていることに不快を覚えるが、彼女の話には納得できるものがあった。つまり、彼女は、お話が、とくに昔話が、私たちの「魂」のレベルにまで到達し、「魂」に働きかけることがあることを了解した、深い認識のもとで活動しているからだ。しかし私は、癒しをもたらすのは、「お話」そのものではなく、「お話」を仲立ちとしたコミュニケーションが生みだすのだと思う。でも「お話」の選択は重要である。彼女もじっくり選んで「自分の好きな話を語る」とおっしゃっていた。
「お話の中の登場人物、風景や舞台、雰囲気、プロットの流れが私たちの身体や感覚や精神の中を循環するのです。お話の中の出来事を、私たち自身の一部であるとして経験すれば、そのお話の内容がどんなものであろうとも、お話は私たちを生き生きさせる経験となります。また、私たちおとなの気づきを、お話の中のあらゆる出来事、すべての登場人物にむけることができれば、私たちは、自分が何者であるかという感覚を育て、自分の身の回りの人たちや物との関係を育ててゆくことができます」。これは、ベリットさんがエマソン・カレジで学んだナンシー・メロンさんの著書の一節である。
ここには、「お話」が私たちの感覚や想像力をひろげるものであるという信頼がある。しかもシュタイナー教育においては、感覚とは五感だけを指してはいない。生命感覚、運動感覚、言語感覚、自我感覚などがふくまれる。

さっそく おじゃまいたしました。
ベリットさんの会は わたしにとっても それまで 塞き止められていたものの突破口となりました。魂のこと、霊的なことを口にするにはばかる雰囲気が日本にはあります。
わしこさんの感想におおかたのところ 賛成です。ただ...おはなしの力ではなくコミュニケーションによる...というところでは そうとばかりはいいきれない...というのが わたしの意見です。ただ 単にコミュニケーションということならば ほかに方法はたくさんあります。ではなぜ おはなしを仲介とするのでしょう。 ひとつはおはなしが意識化のレベルに深く働きかけるということがあると思います。
わしこさん ネットやブログは遠距離にいても瞬時に ある程度のコミュニケーションができる 人類が発明したなかでも なかなかのヒットですが、たいせつなことは 実際会って 見詰め合わないと伝わりません。
わたしは語りのこの側面について わしこさんとお会いして 語り合いたいです。
癒しについてはわしこさんと同意見です。
それから ごめんなさい。トラックバックについては あまりおかしなものがくるので拒絶していたのです。解除しておきます。正直のところ わたし ブログについてあまり詳しくないのでした。
それでは 良い休日を!!
お会いできる日を たのしみに!!