スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

癒しの語り手ベリットさん

櫻井美紀先生が代表をしている「語り手たちの会」が主催する「ヒーリング・アートの語りとは? ノルウェーの語り手、ベリット・ゴダガーさんを迎えて」に参加。会場である自由学園の明日館は、会員の方々の心づくしのお花(桜や小さな花たち)などで飾られ、会の性格が随所に現れた落ちついた素敵な会だった。

ベリットさんは、シュタイナー学校での教師経験もあり、癒しとしてのストーリーテリングをイギリスのエマソン・カレジで学んだ経験を持っている。現在はプロの語り手として、実際に病院などで、ストーリーテリングを治癒の一環として実践している女性である。ボランティアで病院にはいるのではなく、病院のスタッフとして、医者や看護士にセミナーを開催し、子どもたちと関わっている。子どもたちとは、基本的に一対一で関わるそうだ。拒食症の少女の場合は、女性の英雄のお話、「美しいワシリーサ」「12羽の野鴨」を選んで語ったそうである。ベリットさんの実践で興味深いのは、彼女がお話を語ったあとに、聞き手の子どもたちにも実際にお話を作ってもらうことにある。子どもたちは、昔話の形式(登場人物、舞台、魔法的な小物など)で自分の物語を語るのだそうだ。この昔話のデヴァイスは、子どもたちの想像力を紡ぎだすきっかけのようなものであろう。そして、彼らはこのお話作りを通じて、自分と向きあい、病気と向き合い、自分自身を受容してゆくのである。

私は「ヒーリング」「癒し」という言葉をあまり信用していない。とくに最近では、安易にどこにでも使われていることに不快を覚えるが、彼女の話には納得できるものがあった。つまり、彼女は、お話が、とくに昔話が、私たちの「魂」のレベルにまで到達し、「魂」に働きかけることがあることを了解した、深い認識のもとで活動しているからだ。しかし私は、癒しをもたらすのは、「お話」そのものではなく、「お話」を仲立ちとしたコミュニケーションが生みだすのだと思う。でも「お話」の選択は重要である。彼女もじっくり選んで「自分の好きな話を語る」とおっしゃっていた。

「お話の中の登場人物、風景や舞台、雰囲気、プロットの流れが私たちの身体や感覚や精神の中を循環するのです。お話の中の出来事を、私たち自身の一部であるとして経験すれば、そのお話の内容がどんなものであろうとも、お話は私たちを生き生きさせる経験となります。また、私たちおとなの気づきを、お話の中のあらゆる出来事、すべての登場人物にむけることができれば、私たちは、自分が何者であるかという感覚を育て、自分の身の回りの人たちや物との関係を育ててゆくことができます」。これは、ベリットさんがエマソン・カレジで学んだナンシー・メロンさんの著書の一節である。

ここには、「お話」が私たちの感覚や想像力をひろげるものであるという信頼がある。しかもシュタイナー教育においては、感覚とは五感だけを指してはいない。生命感覚、運動感覚、言語感覚、自我感覚などがふくまれる。

コメントの投稿

非公開コメント

わしこさん こんにちは!
さっそく おじゃまいたしました。
ベリットさんの会は わたしにとっても それまで 塞き止められていたものの突破口となりました。魂のこと、霊的なことを口にするにはばかる雰囲気が日本にはあります。

 わしこさんの感想におおかたのところ 賛成です。ただ...おはなしの力ではなくコミュニケーションによる...というところでは そうとばかりはいいきれない...というのが わたしの意見です。ただ 単にコミュニケーションということならば ほかに方法はたくさんあります。ではなぜ おはなしを仲介とするのでしょう。 ひとつはおはなしが意識化のレベルに深く働きかけるということがあると思います。

 わしこさん ネットやブログは遠距離にいても瞬時に ある程度のコミュニケーションができる 人類が発明したなかでも なかなかのヒットですが、たいせつなことは 実際会って 見詰め合わないと伝わりません。

 わたしは語りのこの側面について わしこさんとお会いして 語り合いたいです。

 癒しについてはわしこさんと同意見です。
それから ごめんなさい。トラックバックについては あまりおかしなものがくるので拒絶していたのです。解除しておきます。正直のところ わたし ブログについてあまり詳しくないのでした。

 それでは 良い休日を!!
お会いできる日を たのしみに!!

lucaさん:さっそくコメントありがとうございます。「お話」か「コミュニケーション」か、じつはずっと考えていました。「お話」の力を十分に認識した人の作り出す世界は、コミュニケーション力においても秀でていることは否定できないと思います。最近少し気になることは、「お話の力」(文学の力といいかえてもいいかもしれませんが)への深い理解を持たずに、「読み聞かせ」(←この言葉も引っかかります)がブームになっているように思うことがあります。なんだか混乱してきましたが、ここで言いたかったのは(たぶん)、「お話」を仲立ちにして生み出される「人を結びつける力」「自らに沈潜させる力」のことだったように思います。lucaさんに指摘されて、自分の曖昧さがはっきりしてきたように思います。連休は、「語り」に関する文献を読むつもりでいます。それでは、よい休暇を!

わしこさん おはようございます。

 う~ん やっぱり書かずにはおれません。ものがたりにあるのは自らに沈潜せるものを表に浮き上がらせる力...ではないでしょうか...語りについてお調べになるのでしたら ものがたりのものとはどういう意味か考察してみてください。

 ものがたりの力 語り手の本来持っているはずの力を知る語り手は少ないのです。おおかたはなぞっているだけです、もったいないですね。ここには誰がみえているのでしょう。書くと若干問題がありますが、今まで聞かせていただいたなかでわたしが語り手といえるのは櫻井さんだけです。三浦さんの語りはまだ聞いたことがありません。わたしはようやく入り口にさしかかったところです。これからほんとうの語り手になれるかどうかは 今後の精進によります。もちろん これはわたしの判断ですので気に留めないでください。...

読み返してみると 相当誤解を生じさせる書き方ですね。 言い直します。語り手は大勢いるが、わたしがかって見 聞き 知った語り手のなかで テキストを暗記するのではなく 語りの本質である即興で語ることができ また 語りが単なる伝承や楽しみや癒しの領域を越えてひとの生きる力を呼び起す力その他を有すると認識している語り手は今のところ ひとりだけです。
 ただし わたしの知らないところで そのような語りをしている語り手はいるでしょう。そしてそのことを感知し そのために努力し またそういう語りを広めようとしているひとたちは大勢います。そのひとりであるわたしはそれらの方々と手を組んで進みたいと願っています。
              
....あぁ ちょい疲れました。 

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

月別アーカイブ

最近のコメント

プロフィール

わしこ

  • Author:わしこ
  • 無断転載ご遠慮ください。
FC2カウンター
最近の記事
カテゴリー
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。