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2006.03/20 [Mon]
ビナードさん公開講座
朝カル公開講座、アーサー・ビナードさん「日本語めがね」に出かけた。期待に違わず、豊かで楽しく充実した二時間だった。宮沢賢治とヘロドトス、カール・サンドバーグと芭蕉の作品を示し、異なる言語でありながら類似する心性が表現されていることをお話になる。同じような心性でありながら、微妙な違いにビナードさんが魅了されていることがよくわかる。それにしても、何という鋭い観察眼。批評意識のなんと深いことよ。外国語を学ぶ、それも文学を通して外国語に触れることは、言葉に対する自らの観察眼や感受性を高めるだろう。しかし、ビナードさんはすごい。私もビナードさんと同じぐらいは外国語に触れているだろうに(あくまでも物理的な時間という意味です)、ビナードさんほど深い問題意識を持っていただろうか、これは才能だろうか、としばし絶望的になった。いや、今からでも遅くはない、と今さらながら言いきかせているところではあるが。
ところで、彼は「僕の人格を疑われるかも」といいつつ、旧仮名づかいについておもしろい意見を披露してくださった。1946年の「現代仮名づかい」告知により、ほとんどの「ぢ」が「じ」に変わったそうである。「ろぢうら」が「ろじうら」(路地裏)に「ぢきゅうりょく」が「じきゅうりょく」(持久力)に変えられたのだそうだ(不見識な私は46年の改訂など知らなかった。恥ずかし)。ところが、その時、例の「やまいだれに寺」も「じ」変えられたのであるが、ちまたでは相変わらず「ぢ」が使われていることに、彼は気がつく。法(?)的には「じ」に変えられたのに、なぜ、常用レベルでは変わらないのであろうか。それは、あの「やまいだれに寺」なる病気は、「ぢ」と表記するほうがふさわしいのであると。確かに。「ぢ」であるからこそ、あの痛さ、あの辛さが実感されるのである(らしい)。さらにビナードさんは英語の表記について話を続ける。
英語では、かの病は <hemorrhoids> とラテン語起源の言葉でつづられるそうだ。知り合いの看護婦さんは<ヘモ>と言っていたが、いずれにせよ、ラテン語の表記がそのまま残されているということである。それはなぜか。<rr>が重なって、「呻るような、吠えるよう」な発音があってあの痛みが表現されているから、なかなかスペリングも変わらないのではないかというお話だった。
ところで、「ぢ」とキーボードで打ちこんで「やまいだれに寺」という漢字を出そうとすると、私のソフトでは「じ」の間違いであると指摘してくれるのであった。ありがとねっ。
ところで、彼は「僕の人格を疑われるかも」といいつつ、旧仮名づかいについておもしろい意見を披露してくださった。1946年の「現代仮名づかい」告知により、ほとんどの「ぢ」が「じ」に変わったそうである。「ろぢうら」が「ろじうら」(路地裏)に「ぢきゅうりょく」が「じきゅうりょく」(持久力)に変えられたのだそうだ(不見識な私は46年の改訂など知らなかった。恥ずかし)。ところが、その時、例の「やまいだれに寺」も「じ」変えられたのであるが、ちまたでは相変わらず「ぢ」が使われていることに、彼は気がつく。法(?)的には「じ」に変えられたのに、なぜ、常用レベルでは変わらないのであろうか。それは、あの「やまいだれに寺」なる病気は、「ぢ」と表記するほうがふさわしいのであると。確かに。「ぢ」であるからこそ、あの痛さ、あの辛さが実感されるのである(らしい)。さらにビナードさんは英語の表記について話を続ける。
英語では、かの病は <hemorrhoids> とラテン語起源の言葉でつづられるそうだ。知り合いの看護婦さんは<ヘモ>と言っていたが、いずれにせよ、ラテン語の表記がそのまま残されているということである。それはなぜか。<rr>が重なって、「呻るような、吠えるよう」な発音があってあの痛みが表現されているから、なかなかスペリングも変わらないのではないかというお話だった。
ところで、「ぢ」とキーボードで打ちこんで「やまいだれに寺」という漢字を出そうとすると、私のソフトでは「じ」の間違いであると指摘してくれるのであった。ありがとねっ。
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