わしこの読書日記

子どもの本や絵本について研究しているわしこの読書日記と身辺雑記。

レポートの性差

レポートの添削をしていると気がつくことがある。私は「課題図書」の作品論をレポートに求めているのであるが、そのとき口を酸っぱくしていうのは、作品に深く沈潜して、「自分の読み」を展開させろ、ということである。ところが、これがなかなかむずかしい。どこかで聞いたことのあるような議論を展開し「予定調和的結論」に無難に着地しようとするレポートの何と多いことか。そんなレポートは、「即返却・再提出」なのは当然なのだが、「予定調和的な無難レポート」を書いてよしとする心性を突き崩すのが、至難の業だ。

とくに、男性の書くレポートにそのようなものが多い。そんなレポートからは「作品と格闘した作者の顔」が見えてこない。彼らは、作品との向きあい方が「理性的」で、具体的に論じるよりも、なんとかうまく「まとめて」「整理」しようという姿勢がレポートのなかから垣間見える。作品論は確実に抽象化の方向へ進む。読んでいて、一瞬、居心地がよいが(うまくまとめてもらうと「ふんふん」と納得し、感性的な私は感動してしまいそうになる)、私の授業では「不受理」だ。

作品を楽しんだのか、そうでなかったのか、というところから出発して、自分の問題意識を目覚めさせて欲しいのであるが、そのような理性的な読みでは、作品からは一歩退くことになり、自分の読みが見えてこない。作品がおもしろくなくて、のめりこめないから、客観的に論じようとするのか、とも思ったりもする。「自分の感性」を圧し殺してまで、客観性を重んじようというのは、何か理由があるのだろうか? これは、男性のレポートにほぼ共通する傾向である。そのようなレポートからは、「生の声」も聞こえてこないし、いままで読んだ「参考文献」の整理・整頓であるから、添削する方としては、正直、読んでいてつまらない。

私は、子どもの本とはこんなふうに関わりあって欲しくはないし、このような向きあい方では、子どもの本の本質がみえてこないと思う。

それとは反対に、女性の書くレポートは、情緒的な部分から出発することが多い。これが、作品の裏づけや、参考文献の読みこみで深められると、レポートに論理性が出て、説得力をもったおもしろいものになるのだが、こちらも着地がなかなか難しい。だが、このようなレポートは、とりあえず「自分の拠り所」があるので、そこに立ちもどって、ふり返ることで、着実に洗練されたレポートができあがる(もちろん本人のやる気もあるけど)。

現代社会では「性差がない」ということが前提にあるように見えるが、レポートを読んでいても「性差」を感じるし、わが家の夫婦げんかも「問題」に向きあうまなざしの違いや、お互いを説得させる「技」の違いから勃発することに気がついた。だから、「ケンカの種」で議論するより、「種」への向きあい方についてお互いを批判することがよくある。私は、その向きあい方を夫の「性格」だと思っていたが、実は、性差ではないかと考える今日この頃である。

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