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久しぶりの再会(続)

リエさんの講演会は、ジブランの詩集『預言者』の朗読から始まった。

「あなたがたの子どもたちは、あなたがたのものではない。彼らは生命そのもののあこがれの息子や娘である」

「彼らの魂は明日の家に住む」

「あなたがたは弓のようなもの。その弓からあなたがたの子どもたちは生きた矢のように射られて前へ放たれる」

「射る者の手によって身をしなわせられることを喜びなさい。射る者は行く矢を愛するのと同じようにじっとしている弓をも愛しているのだから」

というジブランの詩句を、リエさんの声をとおして心に届けてもらうと、しみじみうれしい気持ちになる。子どもに向きあうことを、謙虚にふり返りたい私がいる。

リエさんは、「読みあい」のさまざまな体験をユーモアもって語り、自作の『うんこ日記』を私たちと「読みあい」ながら、作品のエピソードを語り、「絵本」を仲立ちに生まれるコミュニケーションの世界を私たちに体感させてくれた。

私たちは、この空間をともにすることで、それぞれが自分の物語を引きだし、また新たに紡ぎだしていただろうと思う。

なんと、「やまきち」のお兄さんも忙しい仕込みの間をぬって、講演会を聴きに来てくれた。彼は講演会が終わると「仕込みがあるから」といって、自転車で颯爽と帰っていった。

ところで、「昨晩は『やまきち』という店で、おいしいお酒とお料理をいただいた」と地元の人に話すと、「あー、あそこ、一昨日新年会で行った」などという話がでるほど、「やまきち」は、安来では有名(?)な店らしい。お兄さんは、翌日、東出雲で行われた講演会にも、お母さんといらしてくださったのであった。お母さんは「安来では、昨日のことが、明日になるとみーんなに知られてる」とおっしゃっていたが、そこが、小さな街の楽しいところでもあり、たまに煩わしいところでもあるのだろう。まぁ、子どもの本の世界はとても小さいのである。「ちいさいのね」と思わせるエピソードの典型的なものに出会ったが、これは内緒。

講演会場をあとにして、足立美術館近くの「鷺ノ湯荘」にはいる。夕食前にさっそく「一風呂」浴びることにする。リエさんは、「このお湯、ちょっとしょっぱくない?」という。するどい! 「料理なんてできないでしょ」なんていってごめんね、リエさん。あなたの味覚は「すごい!」。私は、あなたに指摘されるまで気づかなかったわ。

食事は、いわゆる「旅館料理」だったので、私はおいしくないもの(自分の好みに合わないもの←これが多いんだなぁ)はパスして、ひたすら「カニ奉行」に徹する。ここでいただいた、お酒「月山」も、なかなかであった。

大きな部屋に敷かれた布団を前に、「寝言いったらごめんね」「おならしたらごめんね」という会話を交わしながら、眠った二日目であった。









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あのね、お湯のしょっぱさは、水のぬらっとしたかんじ(水面のゆらめき)で観るんだよ。その「観る」感じと、読みあいの場面で、あなたと私のあいだにある「空気」を観るの、ちょっと似てるというか、おんなじ身体の使い方だと思う。

りえりんさん:コメントありがとう。「水のぬらっとした感じ」なんですね。私は、あの時なめてみました。こんど「水」をよく見てみるね。

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