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「コバケン」と「ケンコバ」

NHKセンターへラジオの収録に出かけた夫に(そういえば、「クローズアップ現代」にメインで出演した先生には送迎タクシーが出たらしい。ラジオの取材程度では送迎車は出ないのね)、ミーハーな私は「誰かを見かけた?」とまず聞いた。どうやら、入り口近くでコバケンを見かけたらしい。

そんな話を、久しぶりに会ったゼミの卒業生(11年度卒業)に話して、「コバケン知ってる?」と聞いた。「知ってる!」という反応だったので、おやおや、クラシックなどはなから聴かないと見くびっていてごめんね、という気持ちになったのであるが、彼女は、「ケンコバ」と勘違いしていて、当然「コバケン」のことはご存じなかった。

それが呼び水になって、既卒枠で航空会社にトラバーユしたCさんがフライトで出会った「お客さま」の話をこっそりしてくれた。彼女はずっとCA希望で、新卒の時には募集がなくて涙をのんだのだが、昨年の10月に希望の仕事に転職できてはりきっている。私もうれしかった。ただし、CAの世界は厳しく、聞いていると「新人いじめ」じゃないかと思われることもかなりあるようだ。例えば、聞いても教えてくれない、とか。

私はものまねなどできないが、コバケンのふりだけは真似られる。といっても受けるのは一人だけ。
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英語での語り、読みきかせ

先週の金曜日には、5月末に予定されている、東横線沿線にある某有名私立中学校での「英語での語り、読みきかせ」の練習をした。内容は上記の通り、「語り」「絵本の読みきかせ」「紙芝居」「チャンツ」と盛りだくさんである。「語り」も「紙芝居」もすべて、テキストから作った。

「英語の語り」を披露するのは3回目であるが(とはいえ、メンバーのなかにはハワイやタイでの語りの経験者もいる)、コツコツと勉強してきた成果が出てきているようで、なかなかの出来具合である。「語り」の一つは、「頭に柿の木」でこれはタンデム語り(二人語り)でする予定である。柿男のとぼけぶりというか間抜けな雰囲気が重要であるのだが、雰囲気を作るのはなかなかにたいへんである。

私はチャンツのなかにある「歌」に四苦八苦。本番までに練習をつまなくては。「歌は苦手」と弱音を吐いたら、「自分を捨てること!」と引導を渡された。

世は連休モードであるが、今年はカレンダー通りで、休講は月曜日1回だけなのだが、K大学は29日開講、Y大学は6日開講で、両方出講している私は何とも中途半端。

『名作うしろ読み』

斎藤美奈子の『名作うしろ読み』をぱらぱらと読んでみた。この類の本は、最初から丁寧に読まなくても、気が向いたときにいくつか読んで「ふーん。そうなのね」とまた、いつも手に届くところに置いておく方が楽しいと思う。

この「うしろ」はきっと、あの作品だろうなと推測し、あたっているとちょっとうれしい。結構知っているものがあった。ウエブスター(『あしながおじさん』)とか漱石(『坊ちゃん』『三四郎』)とかね。だからなんなんだと言われても困るけれど、見開き一ページで完結しているのはちょっと残念。ただ、もともとは夕刊に連載されていたものだろうから、ヴォリュームは小さいのだ。

メロスが「(勇者は、)ひどく赤面した」(「走れメロス」)ことの原因は、裸であることを指摘されたからだが、それを指摘した「佳き友」は「セリヌンティウスではなく王様であろう」という指摘には脱帽。そうだ「王様」だよ。朗読教室の教材で何回も読んだはずなのに、ぬかっていた。というより、セリヌンティウスであると思いこんでいた。よく読めば、斉藤の指摘の方が正しい。この指摘は、状況を把握している者の余裕から生まれたことがよく解る。

この著作には紹介されていなかったが、私の中で一番印象深い「うしろ」は、「下人の行方はだれも知らない」というものである。これには、ぞっとした。

さっそく、古今東西の子どもの文学の「うしろ」を読んでみたが、安らかに物語を閉じることを感じさせるような「うしろ」が多かった。「めでたしめでたし」を行動で描いている。なるほど。

"having difficulty" が訳せないなんて…

今年の4年生ゼミは「シンデレラ研究」。サヴァティカルの先生のピンチヒッターなので、持ち上がりではない事を承知で(学生たちは余程のことがない限り、ゼミの教師を変えたりはしないのである)、つまり、ほぼ人が集まらないだろうと踏んで、授業内容を決定した。ところが、蓋を開けてみると、引きついだ先生の学生のほかにも移動組がいて(それはそれでよいのだが)、10名でのスタートとなった。

粛々と進むなかで(難しくはないけれど、ツメの甘い奴は、「ビロードってなに?」と突っこまれることになるのだが)、突如、"As her Godmother was having difficulty finding something she could turn into a coachman,...." というところでつまずいた女子学生がいた。しばしの沈黙のあと、案の定うしろから訳しはじめ、「コーチが…」とやり始めた。すかざす、「コーチって?」と私の突っこみが入る。解っていないし、調べてもいない。「シンデレラ」知っているからって甘く見ていることが丸わかりである。甘く見ているどころか、基本的な文法事項も解っていない。"difficulty" は "was having" の目的語だと助け船を出すも、わからない。「目的語の品詞は?」とたずねると、「え? 形容詞?」「副詞?」ときた。たずねているのは私、私に聞かないで! そこで、わたくし<erupt>。「このままだったら、単位出せないよ。困る!」。これって「パワハラ」って言われるのか? しかし、4年生にもなって、この程度の英語も読めないようでは、本当に「卒業認定」なんてできない。どうやってすり抜けてきたんだろう。せめてもの努力を期待するのみであるが。

折も折、昨日は月に1回の<キプリング読書会>であった。なんと、ラテン語のキング先生(こいつが尊大で気に入らない教師なんだが)が、やはり、予習をしてきていないで当てずっぽうで答えた学生に「キレた」場面が出てきた。きちんと解釈した上での「訳」か、いい加減に誤魔化している「訳」なのか、すぐに解るんだぞ! 嫌いなキング先生だが、いやはや、ご同情申しあげた。しかし、キプリングは読みにくい。

<読書会の食事メニュ>
★サーモンサラダ
★新じゃがとベーコンの炒め物
★新キャベツの豚肉巻き(落合シェフのレシピから)
★浅蜊のパスタ(炭水化物を所望されたので…)
★フレッシュ苺のヨーグルトソース

<最近購入した本(ほぼユースト)>
★『こんちき号北極探検記』
★『名作うしろ読み』
★『書店ガール2』(感想は別記)

本の♂と♀ 

やはり本には♂と♀があった。薫本どころではなかった。あまりに片づかない本を整理しようと、空きスペースにスチールラックを導入し、少々問題はありながらも(棚の位置がずれた!)、何とか組み立てて、整理中である。

本の整理


写真では少々解り難いが、手前に横に積んである本を含め、3列に並んでいる。こんな状態でも、床に林立した本の山は片づいた気配がない(涙)。やはりそうか、私の知らない間に本たちは勝手に婚姻関係を結び、子をたくさんなしたようだ。

大学生の趣味

新学期が始まった。去年は1年生のサブゼミ(基礎演習)を担当しなかったので、新入生を担当するのは1年ぶりである。1回目は、ガイダンスをしてから自己紹介をしてもらうのが恒例で、出身地、大学で学びたいこと、趣味などを話してもらう。最近は男子学生が多いし、教員志望というのも増えている。

今年、気になったのは「趣味は音楽を聴くことです」というものである。その音楽はたいていの場合「洋楽」もしくは「Jポップ」だ。あまり「趣味は音楽」が続いたので、「どうやって聴くの? ヘッドフォンをつけて? 部屋中音を響かせて? コンサートに行く?」とたずねた。ほとんどの学生がヘッドフォンを通して音楽を楽しんでいるらしい。また、何かしながら音楽を聴く、という学生もいた。しかし、そういうのが「趣味は音楽」といえるのか、少々違和感を持った。実際に「ライブ」「コンサート」に出かけるのは、経済的な事情もあるのだろうが、ほとんどいなかった。

私は読書をしているときには音楽はダメだ。集中できない。「音」に気をとられて、気がつくとオーケストラ(あるいはピアノ)とうたっている。クラシック音楽は好きだ。だからといって私は「趣味は音楽鑑賞」とは言わないし、言えない。「趣味」とはもっと自己を没入させるものではないのかと思うからだ。

なかには、「趣味は音楽」といっておけば無難だからと考えての発言であったのかもしれない。だから、きちんと自己表現してくれる学生は、キラリと光っているのである。しかし、「本を読むのが好き」と発言した学生はごくごく少数であった。

あさのあつこのおとな向け作品

あさのあつこのおとな向けの作品がどうも読みにくいし、面白味に欠けるという印象を持っている。例えば、『弥勒の月』についていえば、感情移入がしにくいのである。たぶん、作品中の心理描写に違和感があり、ついてゆけなくなってしまうのだ。「読みにくい」「面白味に欠ける」とういう印象が、確信に変わったのは、三浦しをん、近藤史恵、あさのの3人で、同じテーマ(フルマラソンに挑戦する主人公を描く)を扱った『シティ・マラソンズ』を読んだからだ。

『シティ・マラソンズ』に収録されている「フィニッシュ・ゲートから」は、改行の多い文章でテンポ良く進んでゆく。しかし、そのテンポの良さから生まれるギャップや主人公の独白、心理についてゆけない。頭では「主人公は……なんだ」「……ふうに感じているのだ」と解るのであるが、それは、メタ読者としての自分が理解していることで、作品を堪能したいという「もう一人の」読者を満足させてはくれない。

書き手としてのあさのあつこは、内包する読者に向かって作品世界をくり広げていて、「作者の内包読者を意識している読者」はその道筋にしたがってゆこうとするが(そのように読んで欲しいという作者の意識が理解できるから)、本来の読者はそこでおいてきぼりを食うのである。残念。

あさのがおとな向けの時代小説をかくエネルギーの一つには、藤沢周平への思いがあるらしいが、それはそれとして、『バッテリー』のような少年たちの姿をまた見せて欲しいと思う。

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