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ただいま「香歩」中

ただいま、「梨木香歩」中。どこでスイッチが入ってしまったのか、このところずっと梨木作品を読んでいる。たぶん、朗読の素材に『家守奇譚』を使おうと思って読みはじめたことからスイッチが入ってしまったようだ。いやいや、『家守奇譚』の前に、図書館で借りだした『渡りの足跡』があり、それに触発されて『春になったら苺を摘みに』があって、その流れで『家守奇譚』に結びついたのだろう。

朗読に『家守奇譚』を選んだ理由には、どこかのラジオ局で朗読されたということを耳(目?)にしたことが残っていたのかも知れない。この作品は、漱石の「夢十夜」となんだか似ている気がする。漱石と梨木香歩とでは作りだされる世界がまったく違うけれど、どこかで通底するものがありそうだ。

いまは『村田エフェンディ滞土録』を終え、『裏庭』、『ぐるりのこと』中である。

映画『ポーラー・エクスプレス』で、もう一カ所、意識的に作られた「つじつまのあわない場面」を見つけた。というより、 "The Discovery" に気がついたことで、その場面のつじつまのあわなさが、大きくテーマに関わっていることを確信したというべきか…。
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ゲホゲホ!

今年の授業が終わって気が抜けたのか、金曜日に出かけた雑踏の横浜駅で風邪の菌をもらってきたのか、昨日から鼻がぐずぐず、ゲホゲホしている(涙)。読むべき本をさしおいて、『珊瑚と雪』(梨木香歩)、『旅屋おかえり』(原田マハ)を読んだ。体調の優れないときにはこのぐらい軽い本でないと。

『珊瑚と雪』では梨木さんの日本語と物語の作り方が変わったような印象を受けた。リアリティが希薄なところもいつもと違うようだ。最近読み直した『家守奇譚』などのように、彼女の物語は細部のリアリティを積みあげていって、その上で不思議を持ちこむという技を使っていることが多いが、この作品は、設定のリアリズムにはあまりこだわっていないように思われた。ひたすら「物語」を伝えたいという意識が、物語の流れに拍車をかける。その分だけ読みやすいが、読ませながら考えさせるという力は、いつのも作品よりも弱いように思われた。

『旅屋おかえり』は、期待度と経済的投資度が大きすぎたために、本来の評価ができないと思う。図書館では98人待ちだったので、つい、品川の★まざわ書店で見つけてしまったのだ。よって、★ふたつ半。

The Discovery の発見!

毎年この時期になると「子どもの文学」に関わる授業では、「サンタクロース」を取りあげる。サンタクロースはキリスト教の聖人伝説やキリスト教布教以前の伝承の存在を原型にアメリカで完成されたこと。また、サンタクロースの存在やその到来は、キリスト教との関わりはあるけれど、キリスト教の行事ではないことを伝える(あるカトリック教会ではサンタクロースが処刑されたこともあった!)。ツリーの存在にもその根底には樹木信仰が見える。

かつて、北海道(旭川)で開催された「サンタサミット」には、世界中から、10人のサンタクロースがやってきたと聞いているが、このことをふまえると、11人目には、秋田の「なまはげ」を加えてもよいだろうし、「笠地蔵」のお話は、日本のサンタクロース話であるとも捉えることができるのではないかというような話もする。

そして、"A Visit from St. Nicholas"、"Is There a Santa Claus?"、"The Polar Express"などを読んで、時間があるときは、映画版のThe Polar Expressを鑑賞し、「サンタクロースを信じる心」とはどのようなものかについても考えることにしている。

さて今年は、ノーマン・ロックウェルがSaturday Evening Post 誌の表紙を飾ったサンタクロースの絵も見てもらった。彼のイラストレーションには「物語」が感じられて私は好きだ。ロックウェルのサンタクロースも時代を経るごとにずいぶん変化している。初期の頃は、北極地方に暮らすサンタクロースが描かれていたが、その後、人間がサンタクロースに扮している思わせるような絵もある。"Santa on a Train"(1940) や"The Discovery"(1956 :"Bottom Drawer" とするのもある)である。

映画には、その"The Discovery" を表紙にした雑誌が効果的に登場する。主人公の少年が「サンタクロースの存在に懐疑感を持っている」ことを示す場面である(ここは、原作の絵本と正反対である)。ところが、映画のノベライズ版で確認すると、設定は1955年、少年の家はミシガン州グランラッピッズとなっている。これを知ったとき、私は「ありえなーい!」と叫んでいた。なぜって、ロックウェルの"The Discovery"を表紙にした Saturday Evening Post は1956年12月29日号だからだ。

こんな単純なミスを関係者がするだろうか? まさかと思う。ということは何か意図があるのでは。むしろ意図的に時代をずらしたことで、「ありえないこと」を強調しているのであろうか。いろいろ考えているが、これといった決め手はない。

"The Discovery"("Bottom Drawer")とは、箪笥のいちばん下の引きだしにサンタクロースの衣装を一式を見つけてびっくりしている少年が描かれているあの絵である。

フード・プロセサー

お礼にさしあげた「自家製レバーペースト」をことのほか気に入って下さり、「教えて欲しい」といわれ、今度、都合をつけて一緒に「レバーペースト」を作ることにした。教えるのは構わないけれど(しかし、分量など適当なのがまずい!)、うちの手動の「ミンサー」ではどうにもならない。というわけで、とりあえず、知人から「フード・プロセサー」を一時的にお借りした。

まずは、フープロの試運転をしよう。300㌘しかなかったレバーでいつもの手順で制作。なかなかよいできだ。しかし、普通のタマネギがなく(買いに行けよ!)、紫タマネギで作ったため、思いのほか色が悪く食欲をそそらないのが残念である(オリーブなんかも入れてみたりしてかなり実験的である)。その後、糀や大豆のつぶつぶが残る自家製味噌を大量にスリスリした(敵が最後のつぶつぶを残すので)。おまけに、ニンニクや生姜を入れた味噌ペーストも作った。これがとてもおいしくできて、肉にも魚にも野菜にもいけそうなので、ワクワクしている。

いままでは、スペースの関係でフープロは持たないと決めていたが、「絶品オニオンソース」にも使えるし、あった方がよいのではないかと、★マゾンを覗いてみたところ、なんと、定価10500円(ホント?)のものが、3393円で売られている。クリックしました。さて次は、K急百貨店で「処理済みのレバー」を購入してこよう(ここのレバーペーストは新鮮でおいしいのである)。

ラプンツェル! ラプンツェル!

いわゆる「たんたん派」(©わしこ)の語る「ねむり姫」と「ラプンツェル」を聞いた(ラジオ)。確かに「たんたん」と語られている。きちんと練りあげられているグリムのテクストだから、つまらないわけはない。でも、面白味に欠ける優等生の語りのようだった。かつて櫻井先生が「★★さんももう少し勉強しないとね」とおっしゃったことがあったが、その気持ちがよく理解できる語りであった。

グリムのお話は、イメージが豊かで、動きがもたつくこともなく劇的で人を引きつけずにはおかない。つまり、昔話はその口承の構造を守ってきちんと語れば、それなりに人を引きつけ、聞かせる。だから、「昔話の語りには、個性も味わいも出すべきではない」(炉端の語り手は素人であったし、かつては誰もが語り手であったから。あるいは演技はいらない)という認識をお持ちなのだろうが、人は「声」を出したとたん、その人の消しようのない個性が飛び出してしまう。そのつもりはなくても。私などは、声が低い上に、語気が鋭い(らしい)から、怒っているようにも聞こえるようだ。本当に「怒って」いるときは、どんなふうなんだと、自分につっこみを入れて見たいぐらいだ。だから、「かわいい声」が出せないし、少女が出てくる話は苦手である。

また、「たんたんと語る」ためには、自分のマックスを知らないと、「たんたん」が解らないのではないかと思うし、「言葉」には否応なく感情はこめられてしまう。また、語尾の微妙な「上げ下げ」で聞きやすかったり、聞きにくかったりする。というよりも、お話から迎えいれられているか(開いているか)、そうでないかの感覚がある。

ところで、老女魔法使いの「ラプンツェル!」の呼びかけは、9㍍の高さにむかって呼びかけているようには聞こえなかった。自分と並行に言葉を投げかけて、まるで、怒っているようだった。そこがとても残念な語りであった。自分のイメージを言語化することが「語り」であるとするならば、9㍍の高さを意識し、そして、そうと聞こえるような「語り」にすべきだと思うのだが。

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