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『Wonderstruck』を読む

ブライアン・セルズニック原作、スコセッシ監督の映画『ヒューゴの不思議な発明』は主要なアカデミー賞を取る事ができなかったようであるが、それでも、話題になっていたから、原作『ユーゴの不思議な発明』も注目されたにちがいない。フランス語ではHを発音しないから、英語原作の本でも、フランスが舞台になると日本語に訳したときには「ユーゴ」となり、主人公の名前が作品と映画で違っているというのが気になる。しかも、アメリカ人は「ヒューゴ」と発音しているし、子どもにはややこしいことこの上ないだろうが、そんなややこしさも、「言葉」への興味へと導くこともできるのであれば、面白いことだろう。

むかし、「チャールズ(Charles)」が「シャルル」になり、「ピーター(Peter)」が「ペーター」になり「ピョートル」になることを、世界史の資料集を見ていて気がついたときのワクワクした高揚感は忘れない(世界史の授業はホントにつまらなかったが、あの資料集はながめているだけでワクワクしたものだ)。その後、「イヴ・サンローラン」が「エヴァ・セイント・ローレント」と実際に知人が発したときの驚き、ありがたみが少し減じたような気もしたのだ。基本的に原音主義を取る日本となんでも英語式に発音してしまうアメリカ(イギリスも?)と、どちらがどうなど判断できるわけもないのだが、あちらで本を探したり、人の名前を口にするときにはかなり大変だった。「ボーボワール」が「ボビエール」で、「サンクト・ペテルブルグ」が「セント・ピータースバーグ」なんだから。原音主義だからといって、正確な発音ができる訳ではないし、固有名詞は難しい。閑話休題。

セルズニックの新刊 Wonderstruck が出ていることを知り、一気に読んでしまった。これが面白いのである。前作と同様、絵と言葉で語られてゆく物語である。1977年のミネソタに住む少年ベンの物語が言葉で、1927年のニュージャージィに暮らす少女ローズの物語が絵で語られる。この二人の物語がどう結びつくかというのがメインの物語であるが、その謎も含めて重層的な物語で、読後、ボーとなってこちらに帰ってくるのが少し時間がかかった。久しぶりの感覚である。しかし、1.3㎏の本は重たかった。
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カーナビ

ここ1年ぐらいの懸案事項であった「カーナビ」をようやくのことで購入した。ディーラーさんが来る度に、「車屋さん(オート★ックス)にゆくのに、ナビが必要」などとぼやいていたのであるが、なんのことはない、湾岸線高速入り口のすぐ近くにあることが判明した。

取りつけてもらっている間に、「コストコ」を見学し、その後、ナビを使って「アウトレット」にも出かけてきた。よしよし、次回は「イケア」にゆこう。

99%終了?

2011年度の仕事も大詰めをむかえ、成績処理もほぼ完了した。すべて完了とゆかないのは、某大学の学生の最終課題に関して再提出を課しているからだ。これは、いろいろ考えた末の苦渋の決断であるが、遠足大学でも、遅れて提出してきた学生のレポートに不備があり(内容、書式ともに)再提出させたことでもあるしと、決断した。

努力だけではレポートの評価はできないが、いっぽうで、その努力に報いたいというのも本音である。授業に参加し、誠実に課題をこなした学生を落としたくない。心は千々に乱れる。やり過ぎ? 公平性に欠ける? など自問自答の結果である。なかで、またまた、課題とまったく違うレポートを提出してきた学生もいた。はじめは、間違いかと他の教員に問い合わせたが、どうやら、確信犯らしい。こんな学生に遭遇すると冷水を浴びせられたように身体中が竦み、傷つく。

さて、レポートの課題である「ブックトークの原稿」を読んでいて、ひさびさに「読みたい気持ち」にさせられた。すぐれた「ブックトーク」は、すでに知っている本でも、知らない本でも、教師という立場を一瞬忘れさせ、観客にさせてしまうことがある。で、その気になって、当該書籍をポチリと購入し、失敗だったこともあるが、米澤穂信の『氷菓』(<古典部>シリーズ、角川文庫)は正解! もとは、角川スニーカー文庫で出されたというから、対象はYAであろう。

日常のちょっとした綻びに目をすえ、謎を解くミステリーであるから、わたし好みではある。この作品は「情報をどう構築するか」「情報をどう読み解くか」という視点からも読める。「…自分でわかっているのと他人にわからせるのとは話が別だ。自分の認識を、概念ベースから言語ベースにまで精錬しないと伝達はできない」(p178)などという表現がそこかしこにでてくる。こんな日本語もわたしの好みである。うーん。続編をポチリとしようか。ここでも思いは乱れる。

3ゼミのレポートはすべて添削し、全員が4ゼミに持ち上がるので新学期に返却する用意もできた。遠足大学でも、最終レポート添削希望の9名にはすでにメール便で返却済みである。あと少し。

もったいない

「こんな本読んで何になるんだ。時間の無駄だろう」と背徳的な罪悪感を持ちながら、眠気が訪れるまで惰性で読んでいるシリーズがある。夫からまわってきた柏木圭一郎の<美食カメラマン 星井裕の事件簿>である。学生時代を京都で過ごしたので、京都が舞台のこのシリーズは郷愁をそそるのだ。

しかし、作品にあまりに単純なミスが多いので辟易している。被害者と容疑者の名前を間違えている。伯母を叔母と表記しているなどの校正ミス。さすがに死んだ人は生き返らないが、星井裕のアシスタントである小林の出身地が北海道(美瑛)であると書いておきながら、「父は伊豆で旅館を経営していた」と言わせていたり、あり得ない状況で子どもがいたりするのである。そのたびに「ムッ」とするのだから精神衛生上よろしくないことこの上ない。でも、まわってくると、つい手に取ってしまう。やめて!

「何とかしなくては」と思っていたところに、文芸雑誌の編集部や編集者を扱った東野圭吾の『歪笑小説』を読んだ。出版界を舞台に、めいっぱいおちょくり戯画化している小説である。まさかこんな編集者や作家はいないだろうという前提に立ちつつ、「そうか、出版界というのは特殊だからありそうだね」と感じさせるところがミソである。その中に、死んだ人間を生き返らせて、そのことを編集者に質されると、「単行本になったときに直せばいいじゃないか」と開き直る作家がでてくるが、あの人もそうなのかしらと、笑ってしまった。いやいや、あの人の場合は、編集者にも責任があるよね。

怒!

遠足大学の授業が終わった。やれやれ。というわけで、昨日は恒例の最後のレポートを集めて、リュックに入れて帰って来た(車で行くと交通費すら出ないので、今回は寒くても=20分並んで座り、重くても=肩が凝るほど大量の本を持って、片道3時間以上かけて電車で通勤した)。しかも昨日は、途中でハートつきメールで夫から依頼を受けた特大グレープフルーツ4つが加わっていたのである(加わったものと云えばグレープフルーツのほかに、途中で買った文庫本一冊、単行本一冊、足形ホッカイロ6枚!)。

前回、お題「絵本のわかちあいの体験」とはまったく関係のないレポートを、確信犯で出した学生がいた。添削をして返却されるとは思っていなかったのだろう。「親ともわかちあえないし、そういう友人もいない」「卒論の口頭発表の準備で忙しいからたのめなかった」と返却されて後に、ぐずぐず言ってきた。お題は最初の授業で発表しているにもかかわらずだ。彼女が受けている授業の先生は、「出すだけでレポートを通す」のだろうか? そういえば、専任の教師に「教師(大学)は権力者だ」と云われたことがある。なめられているんじゃないの、大学。

昨日は、「提出日を間違えていました」とどう見ても言い訳の言い訳にしか思えない学生がいた。何回も念を押しているのに、「お★えの耳は節穴か!」といいたい気持ちをこらえて、データで提出するようにメアドを教えた。

今朝になって、メールを開いてみると、なんと件の学生以外に、もうひとり別の学生が「遅れてすみません」とレポートを提出していた。はぁ? あなたには教えていませんけど、わたしのメアド! というわけで、ふたりの学生に「誰から聞いたのか」「誰かに教えたのか」メールを送信した。「ことと場合によっては受理できない」という一言も加えて。これは、権力ですか? G先生! 常識問題だと思うが。

遠足大学以外の大学ではこんな不愉快な思いをしたことがないのだけれど、どういう訳なのだろう。朝から、怒・怒・怒と怒っている。書かなきゃおさまらない気持ち。すると、また、例の人たちがこのエントリを読んで、「あらまた下品なこと書いてるわ」「人の悪口書いてるわ」と目配せしあうのだろう。その様子が目に浮かぶ。読んでくれなくてもよいのに。

夫のハートつきメールは、それはもう盛大に…。要保存です。

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