スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

燻製料理

どうしても燻製料理が作りたくて(食べたくてではなく)、思いついて、★マゾンをのぞいてみたら、桜のチップがお手頃価格であったので、早速ポチッと購入したのが先週のお話(★マゾンってなんでもあるのね。ついでに浄水用の炭も購入してしまう)。「クックパッド」などのレシピを見ると、ほとんどのレシピが「燻製鍋」を使っているなか、普通の鍋でも挑戦している方があり、参考にすることにし、初めての燻製料理に挑戦した。

我が家では一番大きな、ザル鍋つきのパスタ鍋を使うことにした(蓋の穴はもちろんふさぐ)。底にフォイルを強いて、桜のチップを置き、そのままザル鍋を重ね、煙が出てくるのをまち、鶏もも肉とゆで卵を投入し、蒸すこと20分。できたー! 燻製の味! 

今回は初めてなので、肉や卵には塩と胡椒だけで味付けをしたが、これはこれでなかなかよい。高温(桜のチップから高温の煙が出る)で短時間に料理が完成するせいか、鶏肉もしっとり柔らかで、燻製卵も意外なおいしさであった。

料理そのものはそれほど難しいわけではなく、屋内でやるので換気扇は「強」で、というのがポイントかな。「薫り料理」が好きな人にはお勧め。男の人って「香菜」や「バジル」や「ローズマリ」などの薫り物を苦手とする人が多いと聞くが、その点、うちの敵はOKなので助かる。

1日目はそのままいただき、残った鶏肉は細く切っておいて、翌日、少し暖めてサラダのメインにした。ドレッシングは「オニオンソース」で。次は何を燻製にしようか? ホタテ、カマンベールチーズなんてのもやってみたい。
スポンサーサイト

トマトは「月」か?

先日、ローレン・チャイルドの『ぜったいたべないからね』を小学3年生とわかちあったことは前回のブログで紹介したが、それ以来気になることがあり、とうとう原書(もちろんPB)を「ぽちっ」と購入してしまった。そして、いろいろ考えた。

日本で「赤いトマト」を何かにたとえるとしたら、おそらく「太陽」が上位に上がってくるのではないだろうか。トマトは「日の丸」の赤である。だから、先日読みきかせに入ったクラスでの男の子は「まんげつぶちゅっと」とトマトが結びつかなかったのかもしれない。そして、その子どもの疑問がきっかけになって、私も自分が無意識に抱えていた疑問が明らかにされたように感じた。トマトのエネルギーにみちた「赤」とトマトの収穫時である(最近では冬でも手に入るトマトではあるが)夏のぎらぎら燃えさかる太陽との連想は、私にとっては分かちがたい。

しかし、当然といえば当然なのだが、原書でも「まんげつぶちゅっと」は”moonsquirters”となっている。ちなみに”squirt”とは「ほとばしる、噴出する」という意味がある。だから、この”moonsquirters”から「月をつぶして中身をぶちゅっと出した」ことを連想させる「まんげつぶちゅっと」という日本語訳が生まれるのは誤りとはいえない。しかも、ローラが三日月に座っている絵もある。確かに自然界では「赤い月」も観察されるが、日本語の感覚でいえば、この月はある種のまがまがしさを連想させ、「トマト」と「月」は日本の文化では結びつきにくいのではないかと思う。

そういえば、かつて東京芸術劇場で「世界の子どもの絵画展」というようなものを見たことがある。コンサート会場が開くまでのごく短い時間だったが、その時、夫が思いついて「子どもたちが描く太陽の色」ばかりを観察した。太陽を「赤く描く」文化と「黄色に描く」文化があることを目の当たりに経験したことを思いだした。

「太陽を黄色で描く文化に属する」ローレン・チャイルドにとっては、トマトの「赤」からは「太陽」は連想されなかったということであろう。しかしこれはまぁ私の推測であるが、あながち間違ってもいないだろう。なるほど。となると、今度は「どう訳すか」ということになるのだけれど、前述したように、ローラが三日月に座って”And she said, "Yes , of course, moonsquirters are my favorite" ”というのだから、そこは変えるわけにはいかなかっただろう。翻訳者(木坂涼さん。敬愛するアーサー・ビナードさんのお連れあいだ)の苦労がしのばれる。

それよりも、原書を読んだために翻訳が気になる箇所がでてきた。それは、「くもぐちゃらん」という名づけについてである。原書では ”.....this is cloud fluff from the pointest peak of Mount Fuji.” となっている。ええっ! ここに富士山への言及があることに驚いた。画面は、北斎が描くようなすきっとした三角形の岩山(これは絶対富士山ではない)にローラが座っている。私だったら「これはね、ふじさんの『ふわふわ雲』だよ」としてみたいところだ。”fluff”という軽い空気感を含蓄する言葉と「ぐちゃらん」という水分を含んで粘度を持った重量感をイメージさせる言葉を結びつけたことには違和感を持つ。しかし、その源は「マッシュトポテト」であるだけに難しいところだ。「マッシュトポテト」だったら「ぐちゃらん」もありだ。ところで、このページの文字のレイアウトは、細身の山と類似形を持っている三角形を成しているが、日本語のレイアウトはあまりすきっとはしていない、というかできなかったのか。

「おにいちゃ、んー」ぼくはきたなっておもったね。/いもうとが「んー」って/ぼくのことのばしてよぶときは、なにかがあるんだ。

上の部分は、I Will Never NOT EVER Eat a Tomato にはない部分である。原文にない箇所を挿入するのには理由があるのだろう。おそらくこの「チャーリーとローラ」が登場するシリーズ絵本のどこかに、このような表現があるのかもしれないが、私には確認できていない。I Am NOR Sleepy and I WILL NOT Go to Bed の最後のあたりで「らしい場面」を見つけたが、どうだろうか。これは次の課題。

3年生の「読み聞かせ」

「うう、暑い!」と心のなかで罵りながら、日陰を選んで歩いてほぼ10分、小学校に到着した。教室はザワザワしていて、椅子も机もまだ下げられていない。若い男性教師が「机を下げて」と声を張り上げていたが、業を煮やして手伝い始めた。この時点で教室に入り、「よみきかせ」の準備をした。

先生にごあいさつし、「このクラスは元気がよいですね(やかましい)」と伺うと、「元気がいい(やかましい)けれど、お話は大好きです」とのこと。確かに、絵本を取りだすと、ざわついていた教室が次第に静まり、読みはじめると、ピーンとした緊張感がただよい、絵本に集中しているのが解った。

1冊目は、『みんなおなじでもみんなちがう』(福音館書店)。画面は小さいけれど、次々に現れるさまざまな個体のすがたに目を見張る子どもたちが活き活きしていて子どもらしい。「さくらんぼ」のところで、「この種類は何か知ってる?」とたずねたところ、意味が伝わりにくかったらしく、とんちんかんな問答があった。最後のモミジの場面では「落ち葉!」と大きな声をあげた男の子がいたが、なるほどそうとも言える。葉っぱは色づいて落ちてくるのだから。

始まりが少し遅かったため、2冊目は『ぜったいたべないからね』(フレーベル館)を読む。「えだみかん」「あめだまみどり」をすぎると、次は何が出てくるのだろうと期待感を持っているのがよく解った。内容的に3年生にはやさしいかも知れないが、「おにいちゃん」の視点で、読者にむかって直に語りかけてくる姿勢はなかなか効果的であるように思う。この「妹の嫌いなものをどうして食べさせたか」という事の次第を告白する文体は、読者を共犯者へと引っ張り込むのである。

「くもぐちゃらん」「まんげつぶちゅっと」という言葉に「?」という子もいて、「満月がぶちゅっとなるのよ」とこちらが言うと納得したようだったが、日本人には「満月は赤い」という感覚はないので、この表現はわかりにくかったのだろう。むしろ「おひさまぶちゅっと」「たいようぶっちゅと」って感じだ。意識の深いところでは、私自身もそう思っていたに違いないのだが、こうして、声に出して読み、子どもたちとわかちあうことで、隠れていた意識や疑問が引きずり出されてくる。

「次はもっと楽しい本を持ってくるね」といって教室をあとにしたが、最近は読み聞かせの回数が減った分だけ、同じクラスに2回入る事が困難になり、ごくごく初歩の信頼関係をとり結ぶことも不可能で、選書にも大きな影響が出ていると痛感する。

隣のクラスのボランティアさんが、「夏休みにはみなさんたくさん本を読んでくださいね」という言葉で「読み書かせ」を締めくくっているのが聞こえたが、そんなこと言っていいのかとチラりと感じた。そういうのは教師の役目。私たちは「物語のよろここび」を伝えるための存在だ。

私は自分の教えている学生には、結構しつこく(たぶん)、お勧め図書リストを作成の上、「本を読んで!」というが、何もなしに、ただ、ただ「本を読んで!」という発言には疑問を持つ。そういうメッセージを伝えたいという気持ちはわかるが、ボランティアの発言としては無責任ではないか。その前にやるべき事があるのではないかと思う。

本当は『きつねにょうぼう』(長谷川摂子再話/片山健)を読みたかったのだが、直前のリハーサルで観客の夫に、「少し練習が足りない。噛んだところがある」とのダメを受け(夫の前では緊張する!)、断念した。歌も作ったのに…(涙)。絵も暗めで見にくい場面もあったしね。

読書に関する本

5月、6月と脇明子さん(『読む力は生きる力』『物語が生きる力を育てる』の著者)が関わる読書に関する本がでた。『子どもの育ちを支える絵本』と『自分を育てる読書のために』(ともに岩波書店刊)である。期待が大きすぎたのか、読後、「”自分を育てる”ことへのさらなる深い考察が欲しい」という若干の不満が残った。しかし、中学校の学校司書が、思春期真っ盛りの子どもとどう結びあって、本を手渡すのかという点が具体的に丁寧に報告されているまれな著作であり、多くの学校図書館員の力になる本だろうと思う。

『自分を育てる読書のために』は、気鋭の学校司書の奮闘記ともいえる。著者の小幡章子さんは、思春期の子どもたちに「何よりも大切なのは本についての知識でもなければ、紹介のテクニックでもなく、子どもたちとのあいだに信頼関係を築くことなんだ」(p22)とおっしゃっているが、まさに、彼女は、一人一人の子どもに「ぴったりの本」を見つけるために苦労し、そこからよろこびを作りだしていることが窺えた。

小幡さんの取り組みで興味深いのは、子どもたちに本を手渡そうとたいそう努力しているのだが、それは、「読書」を目的にしているのではないということである。いや、もちろん「読書」なのであるが、それは、ある子どもにとって大切な1冊の本を見いだし、その1冊と丁寧に向きあう「プロセスとしての時間を過ごす読書」を奨励しているのである。これが「自分を育てる」ことに通じるのかもしれない。多読や速読を称揚しているのではない。

そのために彼女は、子どもの名前を覚え(双子の少年の名前を覚えられなかったエピソードは痛い)、好みを知り、読書歴を鑑み、その上で、お勧め図書を2、3冊用意する。そして、そこで終わってしまわないのが彼女のすごいところである。彼女は、ことあるごとに機会を見つけては、その子が1冊の本を読了できるようなサポートを惜しまない。読んだところまで一緒にあらすじをふり返ったり、登場人物の名前を確認したり、挫折しかけている子どもには、「まずここまで読んでご覧」と付箋をつけたり、さまざまな方法を見つけだしている。「信頼関係」ができていなければ、中学生には「うざい」と逃げられるだろう。

これは、学校司書しかできない仕事であり、たいへんなエネルギーを要するであろうが、子どもに本を手渡す上で、とても重要な仕事である。これが可能なのは、この中学校に学校司書が常駐していたからであると思う。そういえば、米原万里さんも、かつて学んだチェコの小学校の図書館で、読んだ本のあらすじや感想を口頭でしゃべることを学校司書に要請され、それが大きな力になったとお書きになっていた。「読書」とは個人的な行為であるが、このように司書とわかちあい、同じ本を読んだ人と作品について話しをすることで、自分の読書が深まって、その行為が自分を育ててゆく力にもなってゆくのだろう。

小幡さんが、「ぴったりの本」を見つけ出すことに真摯であるのは、彼女の選ぶ本を見てもよく解る。『ゆうかんな女の子ラモーナ』、『小さな山神スズナ姫』から『影との戦い』まで多岐にわたっている。中学生だから「この本を読むべき」という自主規制も課題意識もない、大胆でのびやかな選書である。「読むべき本」ではなく、「じっくり丁寧に読み堪能して欲しい質の高い本」を選んでいるというべきか。子ども任せにして、「欲望を満たす本」「読みやすい本」を許容するのではなく、責任あるおとなとして自信と愛を持って本を手渡す司書の姿は美しい。

鶴岡の五十嵐さんの読書に関わるすぐれた仕事が、いま、ここにきて小幡さんとつながり線になったことを実感した。★★子教の信者のみな様方に読んでいただいて、もう一度学校司書の役割を考えていただきたい著作であると思う。しかし、読書に特化した著作であるから致し方ないと思うのだが、教育の場である学校図書館の姿や、やはり子どもたちの学びや、育ちに尽くしているであろう司書教諭をはじめとする教員の姿が見えなかったことは残念である。



おとなのポテトサラダ

じゃがいもが好きな割にあまり食卓には上らないのは、じゃがいも料理の定番中の定番である「ポテトサラダ」を作らないからではないかと思っている。決して「ポテトサラダ」が苦手というわけではない。ただ、ただ、マヨネーズという高カロリー食品を避けているからだ。余分に油分を取りたくないという涙ぐましい努力の成果が、はたして、ポテトサラダを避けることになってしまったのである。

先日、自家菜園で育てたじゃがいもをいただいたので、久しぶりにポテトサラダを作ることにした。なんたって、簡単ですもん。思いついて、マヨネーズの代わりに、「自家製(絶品)オニオンソース」を混ぜてみたら、なんとこれが、なかなかの出来である。あっさりとして食べやすいし、でも、オニオンの風味がきちんと生きている。オニオンソースに使ったオリーブオイルのおかげで、おとなの味に変身した。

オニオンソースは、タマネギ、オリーブオイル、柑橘系のジュース、塩、胡椒を使う(詳しいレシピはこのブログのどこかにあるはず!)。好みで、生姜、にんにくを入れるのもよい。素揚げしたなすにこのソースとしょうゆを混ぜたものをかけると、これまたおいしいのである。ただし、なすを揚げたときには、さらなるオイルを避けたいので、タマネギ、生姜、ニンニクをその場ですり下ろす方がよいかもしれない。

わしこ塾

わしこ(の英語)塾と称して、英語の語りの勉強をしている。メンバーはみなさんそれぞれすばらしい技量を持つ語り手たちだ。塾の内容は、①英語で物語を読むこと。②日本の昔話を英訳し、語ること。この会は、イングランド、スコットランドへ語りの旅をすると決まったときに始まったと記憶しているから、かれこれ4年ぐらい続いているだろうか。

少しずつ訳した日本語の昔話もずいぶんたまったに違いないから、自費出版でもよいからなんとか形にしたいと思いついたところである。小学校での英語の授業が必修になって、「そうゆう」マーケットの需要もあるかもしれないと考えている。とはいえ、私自身は小学校で英語を必修にはするべきでないという立場を取っている。しかし、どうせ英語の授業が導入されるのならば、にわか作りの先生やボランティアに任せず、「声の言葉」としての英語に充分に触れて欲しいと思う。「声の言葉としての英語」と「コミュニカティヴ・イングリッシュ」とはまったく異なるものである。

昨日のわしこ塾では、英語版「田の久」が完成した。一応、ネイティヴ・チェックを受け、実際に聞いてもらった原稿を一同で検討し、さらに練りあげ完成稿をつくった。早速、パフォーマンスの練習をしたが、いやいやこれが期待以上に楽しいものだった。オノマトペの部分は日本語を残してある。こんな解りやすい英語で語れるなんて驚き! というのが参加者の感想であった。

物語はファージョンのThe Little Bookroom を読んでいるが、ファージョンの作品は声に出して読まれることが前提になっているため、「語り」の勉強には大いに役立つ。

絵本(英語)のわかちあいと抱き合わせで「英語で語る日本の昔話」を出前します。連絡ください。

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

月別アーカイブ

最近のコメント

プロフィール

わしこ

  • Author:わしこ
  • 無断転載ご遠慮ください。
FC2カウンター
最近の記事
カテゴリー
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。