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人の話を聞くこと

案外、人って自分の立場からしか、あるいは、自分の持っている器からしか他人の話が聞けていないなと感じる事がたびたびある。これは、講義や読書だけに限らず、ごく日常の事もあてはまる。

このことで、私はたびたび夫ともめることがある。夫は「すでに言った」と主張するのに、私は「えっ? 今はじめて聞く」と問い直すことがあるのだ。他人の話がすっぽり抜けてしまうのは、我ながら情けないと思うが、逆に、教師という立場から同じ事に遭遇すると、「他人の話をちゃんと聞けよ!」といういらだちに変わる。

レポートは合格するまで(水準点に達するまで)書き直しを要請されると何度も伝えているはずなのに、「再提出の締め切りはいつですか?」と(あなたのレポートの出来如何ですと言いたいところだが)、しつこく問うてくる受講生がいた。「推敲すること」を「字数を削ること」と同義であると理解していた輩もいた。こんな時、いわゆる学生さんならば、こちらも気やすく、「日本語もっと勉強しようね」と済ますことができるのに、某大学の受講生はなまじ社会人としてのプライドがあるだけに、対応は難しい。

如何に傷つけることなくこちらの思い(もちろんその中には「ちゃんと聴けよ」といういらだちや、忙しいのはあなただけではないというウンザリ感もこめて)伝えることに腐心する。よって、対応はどうすれば「変化球」を効果的に投げられるかにかかってくる。これが、直球人間の私には難しいことである。変化球を投げたつもりで、暴投してしまうことも起こりうる。問うてくる本人が「自分が正しいオーラ」を出しまくっていることも多いので、「気づき」が生まれない事もある。

また、練って、練って準備し考えぬいた授業を「あんな授業でいいならば、誰でも先生ができる。あの先生は『この絵本いいよねぇ』としか言わない」と、アンケートに答えてきた現役の遠足大学学生がいた。以来、深く傷つき、もう二度と再びあの大学には行きたくないという淵を彷徨い続けている。

私がもっとも避けたいと思い嫌悪する授業を当の本人がやったと断罪されたのだからたまらない。しかも匿名で。こちらに関しては、受けとめる本人の感受性や能力や性格に問題があるとは解っていても、心は納得しない。
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節電!

えっ節電? しましたとも! リビングのテーブルでは読書をしたり仕事をしたりするので、LED電球に変え、リビング全体の電気はなるべく使わないように努めたこのひと月でした。もちろんエアコンも必要なかったですし、私なりにがんばったと思います。

でも、もちろん冷蔵庫はずっと動いていましたし、テレビやDVDプレイヤーなども入れっぱなしでそれなりの待機電力はかかっていたでしょうが。

で、きましたのよ! 「電気ご使用料のお知らせ」。昨年の同時期よりもなんと32KW少なく、先月よりも11KW少ない電力消費量でした。料金は先月より90円安。

こんな程度にしか成果が上がらなければやる気がなくなってしまいますわ。

ほしいもの

今一番ほしいものは、熊川哲也くんの「ドンキホーテ(DVD)」だ。ここ数日、「ユーストで安いものが出ていないかなぁ」とかすかな期待をいだいて、★マゾンをのぞいてる。クリックして画面を出すたびに、bk1の毎日1ポイントプレゼントみたいな、安くなるシステムがあればいいのにと勝手な妄想をしながら最後の一押しができないでいる。新品で約7000円、ユーストでも6000円だ。1回公演を見ればそれ以上かかるとは知りつつ、DVDの画質が不安なのである。

というのも、先日どうしても井脇幸江さんの「メルセデス」が見たくて、大枚はたいて(ユーストで約5000円)東京バレエ団のDVDを買ったのに(キトリは斎藤由佳理)、その画像が素人の撮影ビデオ程度の質だったのだ。画面も小さくて本当にがっかりした。商品として売るならば、それなりの作り方をすべきだと感じた。

ところで、先日『ココ・マッカリーナのしみこむえほん』(中島京子)という絵本のエッセイと絵本の紹介を目した著作をネットで手に入れた。例えば、「毛糸玉は人生を教えてくれる」と題されたエッセイには、『セーターになりたかった毛糸玉』にまつわる思い出が書かれ、そのあとに、彼女の視点で選んだ数冊の絵本が紹介されている。エッセイも絵本の選書も悪くはないのだが、いかんせん活字が小さすぎる。エッセイの活字が2㎜四方、絵本の紹介文が1.5㎜四方の活字が使われている。残念だが、私には絵本の心が「しみこむ」のにずいぶん時間がかかった。安かったから許すけど。

この仕打ちは、「あのめがね」をそろそろ必要としている人を読者に想定していないのかと嫌味の一つも言いたくなるほどだった。また、絵本の画像もデザイン重視のためか、ひっくり返ったり、斜めになったりしている。これは、まずいだろ。オシャレなレイアウトもいいが、そのあたりの折りあいのつけ方にうさんくさいものを感じる。

活字の大きさなど気にならなかったあの頃が恋しい。

図書館活用教育@大学

大学生と図書館は切っても切れない関係だったのはいつのことだったろうと悩んでしまうぐらい最近の学生は本を読まない。私のゼミ生で大学図書館も公共図書館もヘヴィ・ユーザーであると推測できる学生は少数派である(3割ぐらい)。

昨年度は、文芸書、新書等をあわせた50冊ほどの「お勧めリスト」をつくり、夏休みの課題として「ブックレポート」を課した。今年も「読書課題」を夏休みの宿題として出す事を考えているが、それも、通年の科目であるからできるのだ。

また、今年のゼミは「リタレチャー・サークル」方式をとっているので、必然的に図書館を活用せざるを得ない。とっかかりになる情報は「ウィキ」でも仕方がないが、「ウィキ」のみの情報だけだと当然のことながら、私からの愛あるきついつっこみが入る。また、「図書館(員)を育てるのはあなたたち」であるとも強調する。「どういう資料を見たらいいのか」「どう探せばよいのか」を教えてくれるのは図書館員の仕事であると言ったら、「知らなかった」とびっくりしていた。

先日は、某大学で「せめて2000円ぐらいは本代に使って!」という話をしたが、例外はあるものの、偏差値と読書力って正比例している。日本文学専攻の学生は、英文専攻(文学も含む)の学生と比べると読書量が多いようだ。しかし、全く本を読まない学生もかなりいる。

生協の本屋さんの本が少ないこと少ないこと、自分の学生時代と比べてびっくりする。広さも十分の一ぐらいではなかろうか。あの頃は、お洒落はしなくとも本は買うという学生がたくさんいたように思う。かくいう私もその一人だったのだが。

泣き女に笑い男

予算委員会での「やめる、やめない」のゴタゴタは、どこかよその国のお話ならば、「バーカ」ですませられるが、なんと自分の国で、元首相や国会議員を巻きこんでのゴタゴタとなると話は別である。昨日は、「総理の態度は日本の外交政策上にも問題がある。外国からバカにされている。いつやめるのか!」とすごんでいた山本★太をテレビ中継で見ていて情けなくなった。

管総理に期待しているわけではないが、いま、頭がすげ変わったとしても、政権が交代したとしても、大きな変化は望めないだろう。あの★沢センセイの考えていることもまったく解らず(さんざん利権をむさぼっているくせに)、テレビに出て来る政治家の下品な顔を見るたびに不愉快になる。

人間性や政治家としての手腕は私には解らないが、管総理は「顔」で損をしていると思う。何を考えているのか解らない表情、「う、う」と詰まりながら話す身体性の表出は、気の毒なほど信頼感を削いでしまう。あんな表情を見せられると、到底「おまかせします」なんて気にならない。人に「どう見せるか」というのも、こんな時だからこそ大事なんじゃないかと思ったりもする。さらに、★沢センセイの「悪代官面」にどうしてあんなに人が集まってくるのか、私には解けない謎でもある(夫は、「お金でしょ」とばっさり言ったが)。

そういえば、震災当初、原子力保安院の会見でよく顔を出していた、色黒のめがね男の「にやけた笑い顔」も気になった。本人はもちろん笑っているつもりはないだろうに、どうしても、薄笑いを浮かべているとしか思えない表情で記者会見に臨んでいた。情報とは別にあんな風にしゃべられると、直観的に信用できなくなる。

かつて、泣き女が葬式をもり立てたという話を聞いたことがあるが、「無表情男」(総理)も「悪人面」(★沢)も「どや顔」(★太)も「にやけ顔」もいらん。

1年生とわかちあい

今年度初めてとなる「読み聞かせ」(わかちあい)に出かけた。前年度3年生を担任なさっていた先生が1年生の担任になったので、そのクラスに伺った。この先生は、前年度担当のクラスでは、暇を見つけてはたくさんの絵本や物語を子どもたちとわかちあっていたという事を聞いていたので、是非ともうかがいたいと思ったからだ。

『さかさことばでうんどうかい』(月刊子どものとも)は、「あー、ほんとだ」「すごいね」などという声ももれたが、少し難しかったかな。集団わかちあいに使うためには、字だけを大きく読みやすく書きだして、子どもたちにも解るように少し工夫が必要であるように思われた。「『ああああ』は、同じだから簡単だね」というかわいらしい声も聞かれた。この絵本に関しては、先生がしきりに感心していた。

文字をたどりながら、すこしおしゃべりをまじえての「読み」だったので、思ったより時間がかかった。そこで、もう1冊は、短く楽しめる『うえきばちです』を選んだ(ほかにも用意していたのだが)。最後に、子どもたちから「もう1回」の声がたくさんあがったので、リクエストにこたえてもう1回読んだ。同じ絵本を繰りかえしてわかちあうのは、初めての経験であった。2回目は最後のオチの部分を、子どもたちがいまかいまかと待ち構えているのがよく解った。楽しみたい、楽しむために準備をしているぞという気迫が伝わって来た。

結末は解っているのにそれを楽しみたい、確認したいというのは子ども独特の楽しみ方だろうと思う。こういう経験を積んで、「ハッピーエンディング」や「よろこびの体験」を積みかさねてゆくのだろう。こういう子どもたちとわかちあうからこそ、私も同じ絵本を何度も楽しめるのだと実感した。ありがとう。

今回の選書は、ある方のHPで知った「1年生の定番」を使おうと当初は考えていた。しかし、件の本をユーストで購入し、検討してみたところ、私にはその絵本の価値が見いだせず、なぜそれを「定番」にするのかまったく理解できなかったので外すことにした。絵本や物語の評価や選定にはもちろんそれぞれ個性があってよいのだが、残念ながらその絵本は、私の「ベスト・オブ・ベスト」に入るどころか、むしろ絵本としての評価は低いものだった。さて、その絵本を読んでもらった子どもたちはどう読んだのだろうか?

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