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オンライン・レファレンス

かつて読売新聞の「人生相談」の内容があまりにもユニークすぎて(最近はそれほどでもなくなったが)、スクラップしていたことがあったが(文章力アップのためのワークショップで使おうと思ったからだけど)、ネット上にもそれ系のサイトがあって「発言小町」という。やはりこの「発言小町」もその内容のユニークさに驚きたくて、ときどき覗くことがある(こんな★★な人がいると思うだけでも、悩みは忘れ元気になる)。なかでも忘れられないのは「大学教授夫人になりたい」というのもであった。ひえー!

昨日久しぶりに「発言小町」を覗いたら、私の専門分野とまさに合致する「この絵本(昔話)のタイトル知りませんか」というトピックが立っていた。よっしゃ、「私、本の探偵」とばかりに張りきって、はじめてリスポンスした。とはいえ、内容はそれほど難しいものではなかった。今朝、そのサイトを覗いたら18人からのリスポンスがついていた。

驚いたのは、多くのリスポンスが、<「★★★」というものだと思います。ネットで検索するとたくさんヒットしてきます>的なもので、書名をあげていたのは、私の分も含めて3つだけだった。「・・・だと思う」とか「・・・で検索すれば」というエントリが有効であることに驚いた。まぁ、ここで図書館のレファレンス・サービス的なものを期待している人もいないだろうけれど。「情報」を伝えるって何なんだってしばし考えてしまった。「記憶によると★★★だと思う」などと確定的な情報をあえてださないのが「マナー」なのかしらとも考えた。しかし、私には「★★情報」はいらん。
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シベリウスが…

ある日突然、天啓のように「フィンランディア」が心に響いてきた。これまでも「生で」何度も聞いているはずなのに、まるで初めての体験のように音が蘇り、魂の奥深くから突き動かされるように「音」を探さずにはいられなかった。以来、くり返しくり返し聴いている。メロディは思いのほか深く心に響き、涙が出そうなほど切ない気持ちにさせられている。

「交響詩フィンランディア」は、当時帝政ロシアの時代にあって、非合法の楽曲だったという。人びとは、ひそかにこの曲を求め、祖国への思いを深めたと聞いている。私は1983年録音のベルリンフィルで聞き直している。ついでながら、「トゥオネラの白鳥」も静かにひそかに訴えかけてくる。

そんなおり、<題名のない音楽会>から突然「フィンランディア」が流れてきた。そこでは合唱も披露された。なんという響き合い。

<題名のない音楽会>ではときどき思いもかけない巡り会いがある。最近では「うたってみまショー」に夫の同業者の奥様が出演していた。何気なく画面を見ていて、テロップに出た名前とその可憐なお姿に「ピン!」ときた。びっくりして夫に報告にいったのはいうまでもない。

本のなかには(ファージョン/わしこ訳)

本のなかには

本のなかには 不思議がかくれている
ページをひらくと
新しい世界が 見しらぬ人が
ぼくの頭のなかに
いきいきと たちあがる

本を読んでいた部屋は
いつのまにか きえてしまい
気がつくと ぼくは 本のなかの子どもと遊び
かけがえのないともだちを得る

ページを進みながら
ぼくは よその国へでかけ
べつの時代に生きている
からだはここにあるけれど 心は羽ばたいている

本は魔法の箱だ
手をふれると 本の魔法がひらく
本のなかには
ぼくのだいすきなものが つまっている

★二年前、この詩の一部を「読み聞かせボランティア」の募集広告につかった。そのかけらが出てきたので、これを機会に全訳を試みた。

忘れたころの読み聞かせ

新年度第1回目の「読み聞かせ」にいってきた。新3年生に『おまたせクッキー』(ハチンス/偕成社)、『ひゃくにんのおとうさん』(福音館書店)、『ひよこのかずはかぞえるな』(わしこ訳)を楽しんできた。教室に入ったとたん私の顔を見て「あっ!」っと声を上げた女の子がいた。私が『ウラパンオコサ』を読んだことを覚えていたらしい。まわりの何人かの子どもたちも反応していた。読んだ絵本を覚えてもらっているのはとてもうれしい。

『おまたせクッキー』は、結末を知っている子もいたので、「知っている子は内緒にしておいてね!」といってお願いしておいたので、「ネタ」が割れることはなかった。とはいえ、もちろん途中から予想がつくのだけれど。お話の中で、だんだん人がふえてゆくと、子どもたちの顔が緊張してゆくのがわかり、たのしかった。3年生ぐらいの子どもには、おばあちゃんがたくさんクッキーを持ってきたところで終わった方がすっきりするかなと感じた。

ところで、『ひゃくにんのおとうさん』では、甕に入ったものが百倍になるというからくりがわかった時点で、ほとんどの子どもたちが「お父さんが百人になる」ということを予想し、口に出す子どももいた(「おとうさんが百人出てくるんだ!」)。おそらく、子どもはそれを我知らず(あるいは、タイトルの意味がわかってうれしくて)口に出したわけで、「ネタ」をばらそうと思ったわけではないだろう。むしろ、タイトルの意味がわかったからこそ、いっそうお話の中にのめり込んだということが、彼らの表情からはっきり伝わってきた。

子どもたちは、自分の予想した結末の行く末を確かめたいがために、よりいっそうお話にのめり込むということがわかった。おとなならばその時点で、ふっと気を抜いて集中力を欠いてしまうかも知れない。子どもの「読み」は興味深い。

今日の「読み聞かせ」は、「甕の中にクッキーを入れたいね(100枚にしたいね)」というところでオチがついた。

買わなかった本

通常の大学が軒並み開講延期になる中、E=ラーニング大学の授業はすでに始まっていて、昨日で2回目の講義を終えた(リアル学生は2名)。1回目の11日には、通勤途中に島屋にいて地震に遭遇した。2階にいたのだけれどかなり揺れた。避難中ほとんどの人が携帯電話を取りだして、なにやら操作していた。私ももちろんケータイは携帯していたのだが、誰(夫)に連絡するという知恵も思い浮かばず、あとで夫に「電話したんだよ」といわれてしまった。

「震度3ぐらいではもう驚かない」と仰る人がいるが、私は震度1でもこわい。ちょっと揺れただけでも、胸がドキドキする。3月の地震の「初期微動」が長かったからか、小さな揺れでもこわい。こんなんで社会復帰ができるだろうか、我ながら情けない。雷は好きだけれど、地震は本当に嫌だ。

というわけで、E=ラーニング大学でリハビリ中というところか。昨日は授業の前に「丸善」によった。新刊棚をぶらぶらしていると村田喜代子の新刊『縦横無尽の文章レッスン』を見つけた。ずいぶん迷ったあげく買わないことに決め、店をあとにした。ほかにも、北村薫の未読の文庫本などが目に入ったが、心を残して大学に向かった。

今朝早速、気になっている数冊の本とともに図書館にリクエストを入れたが、件の本は、4冊稼働中の68人待ちであった。さて、いつ読めるのだろうか。

春の薫り

蕗を黄緑色が残るように白だしで煮た。ほんのり苦くて春の薫り。葉っぱは自家製味噌とみりん、砂糖、しょうゆで佃煮風に。この蕗の煮物は本日のPuck読書会の前菜となった。ほかには、ホタテとアスパラガスのホット・サラダとOGビーフのフィレステーキ。ホタテもアスパラガスもまだまだ小さくかわいらしい。OGビーフは初めてだったが、なかなかおいしかった。付け合わせは新じゃがのロースト。

さて、Puck もあと1章を残すばかりとなった。次回で読みあげることができるかどうかは、私の予習の進み具合にかかっている。なんとか終えたい。となると、次は何を読むのか作品を決めなくてはいけない。キプリングだったらStalky & Co.かなとも思うがかなり手強そう。

ところで、「ガルシア・マルケス」というブランドのバッグがあると知ったときもびっくりしたが、キプリングというブランドバッグもあるのだって(★マゾンのキプリングのページにリンクしているんで気がついた)。なんということか。このバッグもマルケス同様、「キプリング」など読んだことのないお嬢様方が持つのだろうか? ガルシア・マルケスだのキプリングだのどんな意図があってのネーミングなのか興味がある。日本ならばさしずめ、「康成ショルダー」か「荒俣宏トートバッグ」なんだろうか。もっと古いところで、「森鴎外」「夏目漱石」……、売れないだろうな。

テレビの欺瞞

おそらく「ノーギャラ」で芸能人や芸no人を使っているのだろうが、「買いだめはやめよう」「無駄な電気は使わないで」「がんばれ! 日本は一つ」などのメッセージコマーシャルが四六時中垂れ流されてくる。

その中には当然ながら「テレビを消して、節電しよう」という発信はない。自らの媒体の中で、自らを否定するようなメッセージを流さないというのは不文律であろうし、論理的には納得できる。しかし、自分たちのあり方を点検しなくして、人に訴えることのメッセージなど流すことはできないだろう。こんな欺瞞の中で出されるメッセージには、はたして人を動かす力があるのだろうかと考えてしまう。これこそが究極のパラドックスだ。

このあたり(Y浜です)でも、放射能を警戒して、幼い子どもたちを外に出さないママたちがいると、知人から話を聞いた。放射能もこわいが、こわいのは放射能だけではないはずだ。お隣の横須賀港では米軍の原子力潜水艦が停泊していることもある(アレがアレしたらどうなることか)。農薬入りの野菜、添加物まみれの食品を「危険な」レンジでチンすることはどうなのだろう。家の中に閉じこめられた子どもたちは、テレビ漬け、ビデオ漬け、ゲーム漬け状態に晒されていないのだろうか。

本・本・本

授業準備の読書は「魔法使い・魔女の物語」を終え、いまは「伝承文学と子ども」をテーマにした文献を読んでいる。70年代の文献であるが、「神話・伝説をどのように子どもに手わたすか」という視点から書かれたもので、図書館学系の授業にも「子どもの文学」の授業にも有益な文献である。ブックリストも充実しているのだが、当然のことであるが新しいところがないのが残念である。

趣味の読書は、図書館から借りた東野圭吾(『新参者』『流星の絆』)などを終え、北村薫の「紫円シリーズ」を再読中である。『新参者』はちらりと見たテレビに誘われたものなのだが、なんと、最後の数話を見逃してしまい、犯人がわからずじまいだった。以来、気になっていたのだが、先日ブックモービルの棚で見つけた! リクエストには数百人待っているのに、なぜだろうと訝りながらも「ラッキー」な遭遇であった。

ところで、映像はやはり「見せること」にこだわり、言葉は、行間で「読ませる」ことができるので、映像で強調されている部分が、原作では意外にもあっさりとしか表現されていないことに気づいた。なるほど。

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