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魔女と魔法使いの物語

このところずっと魔女と魔法使いの物語を読み進めてきた。昔話には魔女が数多く登場する。例えば、グリムの中の魔女(Hexe)を調査した野口芳子さん(『グリム童話と魔女』/勁草書房)によると、「…二〇話が女性、五話が男性ということになり、約八割を女性、二割を男性が占めていることになる。これは現実の魔女裁判での犠牲者の男女比とほぼ一致している」ということである。しかし、この二〇話の中には「ラプンツェル」は含まれてはおらず、この話は魔女以外で魔術を扱う「女の魔術師」(Zauberin)に分類されている。また、「ホレおばさん」は「魔女」にも「女の魔術師」にも分類されていない。

「ラプンツェル」も「ヘンゼルとグレーテル」も「ホレおばさん」も「魔女(witch)」として考えたいと思っている私には、この著作については学ぶところ大であるが違和感も残る。名称で分類が難しいのであれば、役割で分類してみてもよいかもしれない。すると、羽布団を振ると雪を降らせる力を持つホレおばさんは、魔法的な力を持っているという点では「魔女」かもしれないが、自然を司る(雪を降らせる)という点に注目すれば女神の流れをもつ存在である。

つまり、かつては豊穣の女神や人間の守護神として崇拝の対象であった存在が、キリスト教の普及によって「魔女」として周辺に追いやられ、処罰の対象になっていった歴史が窺えるのだ。「悪い」魔女の対極には「マリア」がいるのだろう。

魔女というのは多様な存在であるために、ぬらりくらりと定義の枠からすり抜けてしまう。歴史的にも文学的にも、魔女というのは周辺的でアナーキーな存在で、つねに権威に挑戦してしている。その点で、魔法使い(wizard)よりずっと魅力的にも思われる。そういう意味では、悪い魔女の呪いを解くような「よい」魔女のお話は、おもしろさに欠けるように思う。

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開講延期

早稲田大学が地震の影響を受けて、5月6日を新年度の開講日とすることに決定したらしい。私が関係している大学では決定も告知もされていないようだが、おそらく早稲田の決定を受けて右へならえをするのではないだろうか。

一週間順延でキプリング読書会を開催した。少しずつ、少しずつ日常生活が戻ってきている事を実感する。しかし、被災地ではようやく物資が届き始めたばかりで、ライフラインも確保できていない場所も多いときくと、心が痛む。



授業の準備

来年度の3年生ゼミのテーマは「魔法使いの物語」である。中心は「アーサー王伝説」に登場するマーリンになるかと思うのだが、創作も視野に入れて課題図書資料をつくるための読書に励んでいる。いつものことであるが、「芋づる式」に本を読んでいるので、気がつくとどこか遠くに出てしまうのが難点。今回は、タイトルに触発されてWitches を読み、そこからダールにはまってしまった。ずいぶん昔に読んだ『おばけ桃の冒険』が初めてのダール体験だったと記憶しているが、この道に入るとかえってダールは(専門家からの評判が悪いので)敬遠していたのである。したがって、『チョコレート工場』をのぞいてはほとんど初体験といってもよい、と書いたところで、英語のレシテーション教材や「英語で語り」の講座で使った Revolting Rhymes がすこぶるつきにおもしろいことを思いだした。

Matilda もよかった。「魔法使い」の物語ではないが、マティルダの起こす「奇跡」と「魔法」がつながり、これも課題図書に入れてもいいかなと思い始めている。物語に「ページターナー」的要素があるし、速読教材としても使えそうである。しかし、ダールは今日図書館から届く(はまかぜ号)はずの The BFG でいったん中止としよう。でないと授業の準備が追いつかない!

昔話のアンソロジーでは、Ruth Manning-Sanders の A Book of Wizards がおもしろかった。邪な魔法使い、智に長けた魔法使い、ユーモラスな魔法使い、貧者に変装した魔法使いが出てくるが、中でも私は、"The Silver Penny""Rich Woman Poor Woman""Kojata"などのお話が気に入った。「貧者に変装して…」というのは、オーディンの流れをくんでいるような気がする。日本だったら「弘法大師伝説」か。

"Kojata"が気に入ったので、「また芋づるじゃん!」と自分自身につっこみを入れつつ、ロシアの昔話もまとめて読んでみようかと…。

小学1年生と…

今年度最後の「読み聞かせ」に出かけた。予定では、「ひらがなだいぼうけん」のつもりであったが、相方が体調を崩し、そちらは断念して、久しぶりに一人での「読み聞かせ」であった。

予定していた絵本はすでに相方によって11月に読まれたことが解り、慌てて職員室で学校図書館の鍵を借りて、『だいくとおにろく』(福音館書店)『どんなかんじかなあ』(自由国民社)を手にして(持ちだして!)1年生のクラスに向かった。

ひろ君が「きこえないって、どんなかんじかなあ。よし、しばらくみみをふさいでみるよ」というところでは、ほとんどの子どもたちが、手を耳にあてて、ひろ君の気持ちになっていた。1年生ではどうかなとも思ったのだが、1年生には1年生なりの感じ方や読み方があるのだということを実感した。読み終わったあとは、教室が「シン」となった。

突然の変更で準備ができなかったため、なんの脈絡もテーマもなく『どんなかんじかなあ』を読んだあとに、「アナンシと五」を語ったが、子どもたちがズンとお話の世界に入りこんでいるのがとても良く解った。思わずという形で発せられる子どもたちのつぶやきがかわいらしく、「おしまい」といったあとに、何人かの子どもたちが自然発生的に拍手をしてくれたのがうれしかった。

今日入ったクラスの担任は、ボランティアを「読み聞かせの先生」と紹介したり、「読み聞かせの学習を始めます」と子どもに唱和させたりするので、私は違和感をもっているのだが、今日は、『どんなかんじかなあ』に何かを感じてくれたらしく、聴きいってくれているのが解った。終了後には書名と出版社を確認された。あざといとは思うが、先生に受ける本もたまに混ぜると良いかもしれない。失礼ながら、子どもに喜んでもらう絵本を見つけるよりも、先生を「落とす」絵本を見つける方が楽だったりして(苦笑)。

久しぶりに学校図書館に足を踏みいれたが、使われていない図書館特有のよどんだ空気を感じた。

中学生のお話会

今年度3度目の中学生のためのお話会をすることになり(15日)、そのうち合わせをした。事前にいろいろ資料集めをしてはいるのだが、やはり、持ちよったものを、声に出して読みあいながら議論し、検討してゆくことが大切であると感じた。今回は、「アニマシオン」的なものも取り入れてみようと意気込んでいたが、これは見送りとなった。

絵本を2冊、お話をいろいろとりまぜて4つ程と考えている。おかしいお話、しんみりしたお話、短いもの、長いもの、いささか「こちゃまぜ」かなとも感じるが、その中で一つでも子どもたちの心に響けば良しとしよう。

途中から、韓国のりこちゃんが宿題をもって参加。私たちがお話を読みあう中、黙々と漢字の練習に励んでいたが、そのうち「黄金の髪」(チェコスロバキアの昔話)に次第に引きこまれてゆく様子が読み手としてなんだか楽しかった。彼女は、アン・ジョナスの『光の旅かげの旅』にひどく感動していた(「この人天才!」)。この姿こそ私には感動的であった。さて、本番まで時間がない。暇を見つけて練習しなくては。

斎藤惇夫『哲夫の春休み』を読む

ようやくリクエストの順番が回ってきて、『哲夫の春休み』(岩波書店)を手に取った。中学入学を控えた哲夫少年が父親の故郷長岡を訪ねる旅の中で不思議な体験をする(子どもの時の父や父の祖母にであったりする、少年が過去の一場面と交錯する)作品。

先行作品のテクストがそこここにちりばめられ、また斎藤惇夫の饒舌体が駆使された物語テクストが読者を不思議空間に引っぱってゆくが、それ故の冗漫さが読者を選んでしまうかもしれない。「自分の過去を見つけることで今の自分を意味づける」というのが作品の狙いだろうが、子どもの哲夫やみどりは自分の父親や母親の過去に出会い、よりそうことで自分を見つけるという構図になっている。この作品は斎藤惇夫による『トムは真夜中の庭で』のオマージュとも読める。

作品の成立には、彼自身の息子さんの夭逝があったという。痛い体験。

先週は、「サンライズ出雲号」に乗って島根に出かけてきた。全くの観光であったつもりが、当地では先進的な活動をしている学校図書館を見学したり、学校図書館関係者と懇談したり充実した時を過ごした。また、大田(おおだ)市の市会議員であるIさんの案内で、夫が小学校時代(ほぼ3年間)を過ごした場所にも連れて行っていただいた。感謝。

島根県は「子ども読書県」構想もち、すべての学校に専任の学校司書の配置をめざしている。そして、その成果は着々と上がっているようだ。ただ一人、ただ一つの学校だけの業績ではなく、行政が関わることの重要性を感じる。しかし、行政の意思の裏には、すぐれた学校図書館の存在があったに違いないだろうが。

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