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「語りの世界を楽しむ」授業

遠足大学では語り手たちの会所属のS・Tさんをお迎えして、恒例の語りの授業となった。S・Tさんを授業にお迎えすると、授業の方もゴールが見えてくる。やれやれ。

今年はとくに、「学生が楽しめるお話」をお願いした。メインは「新釈落窪物語」である。阿漕と北の方の二人の視点から、落窪姫を薬典の介と結びつけようとする北の方の策略をがなんとか逃れ、右近の少将と結ばれるというエピソードが語られた。扇を使って二人の女性を語りわける技もさることながら、声の調子やトーンにいたるまで若い阿漕と中年のしたたかな北の方がうまく語りわけられ、ストーリーラインも解りやすく楽しんで聞いた。

学生の中には「若い人の役をするときはとても若い人に見えたし、殿様や北の方の役をする時は、気のせいかもしれないが顔のしわが増えたように見えて、百面相で全然飽きなくて、Sさんの顔ばっかり見てしまいました。年齢不詳で魔女なんじゃないかと思ってしまいました」なんて感想もあった。顔の表情だけでなく、お話もしっかり楽しんでくれたと思うけど…。なんと、その後学生が三人揃って、質問ついでにSさんに直接年齢を聞いていたらしい。とても失礼。

<本日のプログラム>
はじめに
デ・ラ・メア「深く澄んだ目が二つ」
「もも売り殿さま」
「新釈落窪物語」
<インターミッション>
「あとかくしの雪」
さいごに
わしこ「語りびとの詩」

インターミッションでは、韓国のりこママと二人で、ペープサート「いちもくさん」(『ひらがなだいぼうけん』)を演じた。これも学生に楽しんでもらえたようだ。

翌金曜日は、ボランティア先の小学校で「いちもくさん」を一年生に聞いてもらった。物語の冒頭「本というのはひらきっぱなしにしておくと、もじがよなかにおしゃべりをしたり、とびだしたりするのです」というくだりで、女の子が感に堪えないように、「しらなかった」と思わずつぶやいたところが、とてもかわいらしかった。子どもたちの反応は、笑い声が聞こえたり、思わずつぶやきがもれたりして活き活きとストレートで、学生とは大きく違うことを改めて実感した。

Sさんの語りに声を出して笑ったのは、ひょっとして私と韓国のりこママだけだったかもしれない(顔の表情は緩んでいたらしいけれど)。ある学生は「笑いを噛み殺して聞いていた」とリスポンスシートに書いてきた。笑ってよ!

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バムセとハリネズミ

ぬいぐるみがベッドの物入れにしまわれたら、「モノ」に戻ってしまうのではないかという気がしたので、バムセとハリネズミは韓国のりこちゃんに里子に出す事にした。

のりこちゃんが最初に私のベッドでハリネズミを見つけたのは、もういぶん前の事である。まだ、あの時のように気に入ってくれるかしらと思ったが、里子に行ったバムセとハリネズミはとてもかわいがってもらっている様子だ。

「遊ぶときは膝にのせ、食事の時はハンモックに、寝るときは枕元でひとしきり遊び」片時もはなさず一緒であるという韓国のりこママからの報告が入った。これこそ、ぬいぐるみのとの正しいつきあい方だ。よかった。

お気に入りのハリネズミは、「ハリー」と名づけられたそうである。

模様替え

遠足大学の授業をのぞいて、ようやくすべての授業が終了した(遠足大学は2月2週まで)。半期15回のくくりは厳しい。最終回はほとんど授業にならず、レポートを集めたり、反省会をやったりで、回数をこなすだけの緊張感に欠ける授業になってしまった。

少し時間ができると、気になるのは増殖中の本である。そろそろ全ての面で「断・捨・離」を射程距離に入れなくてはと思っているが、しかし、まずは、気がつくと増えている本を何とかしなくてはいけない。本の整理を始める前に、友人夫婦に力を借りてベッドと机の位置を変えることにした。お二人は腕に覚えがあるだけあって、作業はさくさくと進んだ。机の位置を変えるだけにしても、いったんはパソコンの配線を切る必要があるわけだから、私だけではとうてい無理な作業である。友人夫婦には感謝してもしたりないほどだ。心からのありがとうを!

<本日の断捨離>
ゴムが効かなくなったボックスシーツ一枚

韓国のりこちゃんお気に入りのハリネズミのぬいぐるみほかの小さなぬいぐるみたちは、とりあえずベッドの物入れにしまったけれど、バムセと一緒に里子に出すべきなのかどうか思案中。

『Lantern Bearers』読了

ほぼ1年をかけて1章ずつ読み進めてきたサトクリフのLantern Bearersを読了した。アクイラが敵方を助けた事を告白する最終章はやはり感動的である。「日没の時代に生きている我々が、灯を次の世代に渡すのだ」というニンニアスの言葉は、現代にも鮮やかな価値を放っている。夜明けを迎える次の世代に何を手渡すことができるのだろうか。しみじみ考えた。

つい先日、ベンチに座って地下鉄を待っていた女老人(複数)が、電車が入って来たとたん、列にもつかず、扉の真ん中に陣取り、おりる人を押しのけてまで先に乗りこんでいった場面に遭遇した。降りようとしていた女子高校生はあっけにとられていた。私もびっくりしたが、そのあと怒りが噴出した(怒りは血圧に悪いと知りつつ、押さえることができなかった)。あのとき咄嗟に、ババたちの首根っこをつかまえて「降りる人が先!」と言ってやればよかったと思った。その時間の地下鉄はいつも空いているのに。

歳をとってくると、他人のことなど目に入らなくなり、自分のことしか考えられなくなると聞いたが、そんな風になるまで私は生きていたくないと心から思うのであった。

<読了打ち上げメニュウ>
自家製レバーペースト
マグロとアボカドのサラダ
煮豚とゆで卵
切り干し大根の煮付け
鹿肉のシチュー

レバーペースト、サラダ、煮豚はわしこ謹製。飲み物は赤いワインを2本。次回からは、The Silver Branch に入る。

『The Invention of Hugo Cabret: A Novel in Words and Pictures』

長くお蔵に入ったままだったThe Invention of Hugo Cabret: A Novel in Words and Pictures を一気に読了。おもしろくてやめられなくて、途中で中断せざるを得なかったときにはちょっと「むっ!」となったほど。コルデコット賞を受賞しているので、絵本としてジャンルわけされているのかもしれないが、副タイトルにあるように「絵と文による小説」なのである。

情景や設定などの状況の説明がほとんど絵でなされるので、モタモタせずに一気に物語の世界へ没入できる。状況描写というのは日本語で読んでも、自分の中にその世界をつくるのがむずかしいが、それが、絵で表現されているために、スピード感を損なうことなく読み進められる。また、遠景から対象によってゆく映像を意識したであろう絵もテンポがよい。

『魔法の声』のモタモタした描写に食傷気味だったので、満足感はひとしおであった。

『はじめてのおつかい』考:おつかいの裏に見える物語

絵本『はじめてのおつかい』でずっとずっと気になっていることがある。それは、みーちゃんが買った牛乳は誰のためのものかという点についてである。もちろんテクストには「あかちゃんのぎゅうにゅうがほしいんだけど、ままちょっといそがしいの。ひとりでかってこられる?」(p3)とあるから、赤ちゃんのためである事は明らかなのだが、それでも気になるのである。

まず、赤ちゃんが牛乳を飲めるほど成長しているかという点である。牛乳は乳児には飲ませないらしい。牛乳を乳児に与えるのは一歳過ぎ頃からだと聞いている。

見開きで描かれた第一場面では、赤ちゃんが泣きわめき、ガス台にはやかんと鍋がかかり沸騰している。「まま」が赤ちゃんの方からあたふたと台所に向かいながら、「みーちゃん」に牛乳を買ってきてと頼んでいる様子がうかがえる。赤ちゃんは、この見開きの場面と最後の二場面と裏表紙でしか判断できないが(心配して外で待っているママにだかれた赤ちゃん、家に戻るため後ろ向きになったママにだかれた赤ちゃん、ママにミルクを飲ませてもらってる赤ちゃん)、12ヶ月を超えているようには見えない。せいぜい10ヶ月といったところか。したがって、みーちゃんが買ってきたものは本当に「あかちゃんのぎゅうにゅう」だったのかが気になる問題として浮上してくるのである。

私は、みーちゃんが買ってきたのは、「ママがみーちゃんのおやつにつくるホットケーキのための牛乳」であったと読みたい。

台所のワゴンには、赤ちゃんの哺乳瓶とともに、卵を割り込んだ小麦粉のようなものがボールに入っている。その隣にはコップに半分ほど入った牛乳らしきものも見える。実は、私はこの絵本を初めて読んだときからこの場面を「ホットケーキの種をつくる牛乳が足りない」状況であると読んでいたのである。そのため、絵本についての本や学生のレポートの中で「裏表紙には、みーちゃんが赤ちゃんの牛乳をおすそわけにあずかっている場面が描かれている」というような「読み」にずっと違和感を持ってきたのである。確かに、テクストには「あかちゃんのぎゅうにゅう」とあるが…。

そのうえ、ママの胸もたっぷりと豊かで、いかにも授乳中ですという感じがする。どこかその辺に粉ミルクの缶でも見えると私の読みは補強されるのであるが、それはない。ただし、母乳で育つ子どもににだって、ミルク以外のものを飲むために哺乳瓶は必要であるから、粉ミルク缶が見えないからといってもそれは決定的ではない。

この絵本はかなり評価が高く、「子どもの冒険物語」としても位置づけられている(2003年国際子ども図書館展示「未知の世界へ」参照)。また、人気テレビ番組(日テレ)「はじめてのおつかい」にもアイデアを与えたのだと聞いたこともある。1977年に「子どものとも傑作集」としてハードカヴァーで出版されてからすでに30年以上経過し、いわば、古典の殿堂入りを果たしたすぐれた絵本であることは間違いないだろう。しかし、よくよく検討してみると、子どもの生活をリアルに描いた絵本の生命線ともいうべきその「リアリズム」にほころびが見えてこないだろうか? 

「はじめてのおつかい」は子どもにとっての最初の冒険である。その経験はとても貴重で、子ども自身の心にも深く刻みつけられることであろう。その最初の体験である「おつかい」の中身が「自分の牛乳」より、誰か他の人のためのものである方が達成感が違う。その点では「あかちゃんのぎゅうにゅう」である方がふさわしい。しかし、である。

ああ、林さんと筒井さんのお二方に伺ってみたい。「あの赤ちゃんは月齢何ヶ月ぐらいを想定してお描きになりましたか?」「テクストの赤ちゃんはいくつに想定なさいましたか?」と。

日頃、赤ちゃんばかりにかまけてしまい、さびしい思いをさせてしまっているみーちゃん(みーちゃんはどうやら一人で絵を描いていた様子)を喜ばせようと、ママはホットケーキを作ることにしたのではないかと思う。みーちゃんの「はじめてのおつかい」の背後には、母の「お詫び」の物語が読める。

絵本の研究が進み、絵本の絵の解釈コードをたくさんの人が手に入れる事ができるようになった。そのため、ことによったら「よい絵本」とされている作品の読み直しが求められる状況も出てくるに違いない。解釈コードをだけを頼りに絵本を読むのではなく、生活者としての視線も忘れずに今年も絵本を楽しんでいきたい。

空いていた!

交通集中による混雑を予想して出かけたが、なんと用賀インターはするする通り抜けられた。ふだんだったら、そこで環八に合流して北上し、甲州街道を西に進む(方角的に戻っている!)のであるが、首都高も空いているようだったので(信じられない!)そのまま3号線を中央環状まで、そして、4号から中央高速で調布まで、という具合に無駄に遠回りをして、Co2をまき散らして来たのであるが、大学にはいつもよりずいぶん早く到着した。

帰りも空いていて、白金から1時間少々で帰宅。「劇空き」とでも呼びたいような交通状況であったが、さすがに疲れた!

遠足大学では、レポートを提出できなかったお○○○学生が数名。忘れてきた! 提出日を間違えた! 3分の1程しかできていない! やっていない!! と言い訳は様々であったが、提出した学生に「来週受け取ることにしてもよいか?」と挙手をしてもらったら、半分ぐらいの学生の同意を得たので、本日出席で未提出の学生に関しては、一週間繰り延べることにした。

3年生ゼミは、11名のうち5名が風邪や体調不良で欠席したので、出席者には、レポートに関する檄を飛ばしてのち自主的に「学級閉鎖」をして、授業は早めに終了した。

試運転

遠足大学の授業に備えて、久しぶりに車を動かした。外出も久しぶりである。とりあえず、腕の調子を見ながらゆっくり運転をというつもりであったが、エンジンを入れるのに意外に力がいることを発見。ハンドル操作よりもむしろ、窓をあけたり、ベルトを締めたりの操作が困難であった。

図書館で本を返却し、これでいけそうだと判断したので、途中、給油・洗車を経て、T島屋で買い物。駐車場に入ってからのハンドル操作が思いがけないリハビリになった。

昼食、昼寝を経て、ずっと後回しになっていたリアル・レポートに赤を入れる作業に没頭。右手で書く作業にもようやく勘を取り戻しはじめている。授業で使う絵本を選んで、翌日持って行けるように袋に入れて準備をした。返却するレポートと絵本はずいぶんかさばるし重いものだ。電車で行くとすれば、カートつきのスーツケースのようなモノが必要になるだろう。フリーターでドサまわりの教師にとっては辛い。さぁ、新しい年の仕事が始まる。

今年もよろしくお願いします。

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