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おだやかな休日

敷地内サロンで行われたフラメンコサークルの発表会にバレエのお稽古仲間と出かけてきた。ステキな時間をいただき、感謝。

フラメンコっておとなの女性にふさわしい踊りであると再確認した。スレンダーな体つきよりぽっちゃり系の方が魅力的に感じる。いやむしろ太っていてもOKだ。ただし、足運びはターン・アウトできている方がきれいだ。

リチャード・ペック『ホーミニ・リッジ学校の奇跡!』を読んだ。おもしろかったけれど、『シカゴよりこわい町』をこえる事は難しい。アマゾンのレビューがとてもよいので、批評はどうかそちらを参考に。<シカゴ>シリーズの3作目が出ていたことを発見。
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ほっ!

木曜日が終わると「ほっ」とする。一週間の授業が終わるからである。少々喉に痛みがきているのが辛い。昨日、授業で大きな声を出したからだ。

ある授業で、短い物語を訳して声に出して伝えるという「語り」に近いプロジェクトに取り組んでいる。昨日は、「お話を伝える」ためのワークショップをした。ほとんどの学生が大きな声を出した経験などなく、最初は「声を届かせる」ことも難しかった。

手本を見せようとはりきって大きな声を出した私の喉が警戒情報を出している。今日はこれから小学校で「読み聞かせ」があるというのに…。

故あって絵本が使えないので、3年生のクラスに変わってもらい、お話をすることにした。なんと、韓国のりこちゃんのクラスだ。古典的であるが、「アナンシと5」をメインにしようかと思っているのだが、子どもたち、楽しんでくれるかしら…。

怒!

うすうす気づいていたけれど、政権が変わっても、やってることは同じ。といって自民党を支持する気にもならないけれど。Y大臣の学習能力のなさは「白雪姫」並み(姫よ、許せ! あなたが学習能力がないことには大きな意味があるのにね)。

チョー人気らしい小泉2世の顔を先日の国会中継で垣間見た。信じられないぐらいに面変わりし、悪人面になっていた。びっくり。政治家は○○でないとやっていけないのか、○○だから政治家になるのか。

読んだ本

必要あって、『種まく人』(ポール・フライシュマン)、『きらきら』(シンシア・カドハタ)を読んだ。

本のテーマより何より、「美しい日本語を読みたい」と切実に思った。Kira-Kiraは、美しい文章だとは思わないが、すっきりしている。

柏葉幸子『魔女モティ』を読む

『魔女モティ』(講談社)を読んだ。怒りにまかせて家出してきた紀恵(キー)が、黒猫に導かれて魔女モティの娘となり、クレッセント島で過ごし、自分の抱えている問題を了解し自分の家に戻るという「行って帰る」形式の一次元的ファンタジー。ライトな設定でありながら、扱っているテーマは「家族」で、離婚、ネグレクト、虐待についても触れられている。ただし、主人公が抱えている問題はさておき、それ以外に提示される問題に関しては、取って付けたような印象は免れない。

会話の不自然さ、流れの悪さでたびたび読み返し、立ち止まって考えたりして、思いのほか読みにくい作品であった。とくに日本語の明晰さに欠ける。「○○が言った」という件が、当の会話のあとに来ることが多く、そのたび流れを止められ、途中からイライラのしどおしであった。これは、会話に個性がないこと、また、読者が想定する流れとの間にギャップがあるということであろう。



ある母親の言葉

母親が子どもに呼びかける言葉の貧しさについては、様々な点から指摘されているのは周知のことだ。ほとんどの場合、「禁止」「命令」「怒りの発露」「断定」にあたる。そんな言葉に出会うと、子どもによりそいたい私は、心が痛む。

ところが、心が痛むどころか、心をすくませる言葉の現場にいあわせた。某日某所、ある母親が幼稚園児らしい子どもに「うるせぃんだよ!」と発した言葉には、びっくりした。思わず耳を疑い、その親子を見つめてしまった。こんな「お里が知れる」(死語?)言葉を発した母は、普通に見えた。男であろうが女であろうが、このての言葉は、人と結びあう意図を持った言葉ではない。

韓国のりこちゃんは、自分の同級生の母親が自分の子に「ふざけんな!」と言ったり、父親に「金持ってこい」と怒鳴っている場面に遭遇したそうである。いやはや。

こんな状況では、「家庭教育」などに期待できるはずもなく、あそこの大学が不振に陥るのもわかる。

柏葉幸子『ミラクル・ファミリー』(短編集)を読んだ。お得意の一次元ファンタジーである。また、「語る」ことが「騙る」ことにも通じるということを見せてくれ、文句なしに楽しかった。しかし、そのタイトル故に期待した「ミミズク図書館」は残念ながら、完成度も低く今ひとつの出来だった。

角川文庫での再刊なので、巻末に井辻朱美の解説「照らされるような読書」がついているが、これが鋭く秀逸。「救われているのに『痛い』。痛いのに、あたたかく、救われている」のは、井辻さんのおっしゃる「詩」と「実話」の両方を包含しているからであり、だからこそ、読者の着地点が「そのまま新しい本の中になる」のだろう。引用はすべて「解説」から。

山本容子のカヴァーも好き。

子どもの貧困

子どもの貧困関連の本を読み進める。事情を知れば知るほど、辛く、暗い気持ちになる。ほとんどの著作が国家(政治)の責任に言及している。それは、そうだろう。しかし、経済的な支援や政治的な問題だけでに帰してしまってよいのだろうか。気になる。学力格差、教育力の低下と「子どもの貧困」との、密接な関連に疑問の余地はないだろうが、そこだけに目を奪われたくない。深刻な事実が提示されたと受けとめ、自分ができる事を考えたい。

青砥恭。『ドキュメント高校中退』、ちくま新書。
赤旗社会部「子どもと貧困」取材班。『「誰かボクに、食べものちょうだい」』、新日本出版社。
浅井春夫ほか。『子どもの貧困』、明石書店。
阿部彩。『子どもの貧困:日本の不公平を考える』、岩波新書。
堤未果。『ルポ貧困大国アメリカ』、岩波新書。

『王妃の離婚』(佐藤賢一)、おもしろい!

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