スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

語りの会

語り手たちの会主催による「幻想の系譜”月”」へ出かけた。三人の語り手が月にまつわるお話を語るという趣向でパンフレットには、「語り手たちの会芸術の語りとしての事業」とあった。演目は、「夕顔」(『源氏物語』)、「鬼女房」(日本民話)、『高野聖』(泉鏡花)で、それぞれに笛の演奏が伴っていた。

語り手の三人はさまざまな場面で活躍している方々で、技量ではおそらくトップクラスの語り手であろう。その方たちが「語り」をさらに極め、「芸術の語り」にしたいという意気込みをもって開催されたことが感じられる会であった。しかし、その点で期待が大きかっただけに、不満も残った。

「夕顔」は19歳の夕顔の一人称語りという演出のために、導入部分で夕顔に同化できないとちょっとつらい。また、ストーリーも「光源氏との儚い交情の顛末」というエピソディックなものであるために、テクストだけでは聴き手をひきつける力が弱かったようだ。したがって「語り方」に演技的要素がつけくわえられたのだろうが、残念なことに、私はその点で主人公に同化できなかった。「語り」と「演劇」は、似て非なるものであると今さらながら悟った次第。

「高野聖」の語り手は、語尾が弱くなってしまう発声の癖(?)のためとテクストがより「文字の言葉」に近づいたために、日本語そのものが聞き取りにくい部分が所々にあらわれ、これもまた物語についてゆけないというフラストレーションを味わった。あの鏡花の美文調というか、たたみかけるような文体の流麗さが感じられなかった。語り手(女性)の声は低音で良く響いたが、声質と鏡花という組み合わせは相性が良かったのだろうかと疑問を持った。



スポンサーサイト

授業「子どもと読書」

通勤圏内にあるとは思えない大学まで小旅行気分で出かけてきた。一コマのために往復5時間かかる(最寄り駅から歩いて15分×2も入れて。さらに、正門から講義棟までの徒歩5分は計算外)後期のみの授業が始まったのである。

新宿の雑踏を思い憂鬱になったので、今日は、車で出かけた。こちらは往復4時間であった。帰りは、首都高に入り湾岸線をひた走り、走行距離は90㎞を超えた(行きは70㎞ぐらい)。最近、大学はどこでも車での入構を制限しているが、ここでも始まった。非常勤講師が臨時で駐車をすると、1回200円徴収されるらしい。さらに、車通勤を申請すると、交通費は出してもらいないそうだ。

今年はいつになく学生数が多いので、授業が始まった時点で登録を終了した。遅刻者にはもちろんお帰り頂いたが、きちんと教科書を持っている学生も目立ったし、シラバス読んでくれていたのね。今年は期待できそう。となれば、大人数に怖じ気づくことなく、レポートもきちんと添削しなくては。

あらら・・・

ちょっとチェックを怠っていたら、石原千秋先生の著作がパタパタと出ていた。新書が3冊、選書版が1冊である。どれもこれも興味深いテーマを扱っているので、どれから読もうか目移りがして仕方がない。「河出ブックス」から出版された『読者はどこにいるのか:書物の中の私たち』はほぼ終了したが(これはきちんとノートを取って再読しなくてはいけない本)、授業の準備に追われているために、なかなか時間がとれない。

どうやら、石原先生はサバティカルだそうで、それでこんなに固まって出たらしい。

2年生の子どもたちと

2年生のクラスで『まほうつかいのノナばあさん』(トミー・デ・パオラ/ほるぷ出版)を楽しんだ。お話に聴きいっている子どもたちの表情は美しく、いとおしい。

ところで、この絵本の訳文では、呪文が歌えないのである。ノナばあさんの呪文は「うた」となっているのだから、歌えるような歌詞でないとまずいのではないのだろうか。というわけで、急遽歌詞を変えることにした。かつて、朗読教室である人が「歌とあるところは歌わなくてはいけないのか」と質問したことがあったが、私は「やっぱ歌わなきゃね」と思っている。何回か練習して「作曲」したが、うまく歌えたかどうか…。

絵本の「歌」の部分を、よく知られているメロディを使う人がいるが(『ぐりとぐら』の歌を「権兵衛さんのあかちゃん」でうたった例を知っている。合うんだけどねぇ。)、これは、知られているメロディだけに子どもたちを物語世界からひきもどすことになるので、問題があるのではないかと思う。

最後に先生が「わしこさんは、この学校に女の子がいらっしゃるんでしたっけ?」とお訊ねになったが、「私に女の子がいたとしても、もうずっと大きいのに」と思いながら、「いえいません」とお答えした。ふ、ふ、ふ。

小学校では、市立図書館の司書や子ども読書コーディネーターの助けを借りて図書の整理が始まるらしい。しかし、私は、「子ども読書コーディネーター」のレベル(講座内容や実態)を知っているだけに(もちろんすべてではないが)、「いいのかなぁ」と不安である。また、司書とはいっても、学校図書館に関しては的確な指導ができるとは言い難いように思われる。つい最近、公共図書館の司書と学校司書の認識の違いを思い知っただけに、なんだかなぁと。

『グリーンフィンガー』を読む

卒論指導の流れで、ポール・メイの『グリーンフィンガー:約束の庭』(さえら書房)を読んだ。明らかに、『秘密の花園』に対するひとつの批評であり、続編であると感じた。挿絵も美しい。

『秘密の花園』は、その結末でメアリーの影がかすんでしまというフェミニスト的不満が聞かれることがあったが、この作品はそれに対するひとつの答えを提示していると感じた。ここから照射してみる『秘密の花園』はどう見えるか? それについて何を基軸にするかで、面白い卒論が書けるような気がする。

授業後の「おたのしみ会」(女子ばかり)で、『小公女』がテレビドラマ化されることについて、みんながみんな、舞台設定(日本)や時代(現代)について不満を持ち、なおかつ、自分たちが読んだ『小公女』を汚されると感じているのがわかって、興味深かった。

本の購入

卒論指導のため本を購入した。川崎寿彦さんの『庭のイングランド』(名古屋大学出版会)以下数冊である。『森のイングランド』は、すでに所有し、既読でもあるのだが、『庭』はお値段が少々高いこともあって、遠慮申し上げていた。しかし、この度はそうもゆかず購入と相成った。高い! この学生は、「メアリーと庭」をテーマに『秘密の花園』に取り組むのである。 

今年度は、二人の学生が卒論を書くことになっている。非常勤なので、正式な審査は、当然常勤の先生にやっていただかなくてはならないのであるが、ゼミの時間のあとにいろいろ話をすることになり、「卒論の話」を口実に、泡などをともにすることになる。

卒論を書かない学生たちも、「ゼミ論」は必須なので、そろそろテーマを絞りこむことになっている。昨日の4ゼミは、「内定式」出席などで半分が欠席していた。秋学期の授業では、サトクリフのSun Horse, Moon Horse を精読する。絶版で手に入らないので、これも、○マゾンUKで購入した図書館の廃棄本をコピーして使う。

『Kim』 読了

2007年の時点で、ようやく8章を終了していた(全15章)Kimを先月の読書会でようやく終了した。キプリングの難解な英語に何度も挫けそうになりながら、何とか最後までたどりつけた。めでたい。たとえ月1回であっても、終わりがあるのだとしみじみ思う。まさに、「千里の道も一歩から」を実感。

今月からは、同じキプリングのPuck of Pook's Hillを読むことになった。というわけで、『Kim』読書会改め、『Puck』読書会となる。Puck of Pook's Hillのあとは、Stalky & Co.が続く。サトクリフ読書会も、現在進行中のSheild Ringは今年中には終了予定なので、現在、つぎの作品の選書に入っている。

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

月別アーカイブ

最近のコメント

プロフィール

わしこ

  • Author:わしこ
  • 無断転載ご遠慮ください。
FC2カウンター
最近の記事
カテゴリー
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。