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読み聞かせ学習会(第2回)

小学校のボランティアを対象にした読み聞かせ学習会の2回目に講師として参加した。今回のテーマは「昔話の残酷性」についてである。まず、昔話の残酷性を3つの側面から説明し、つぎに、昔話に現れる残酷な場面がどのように使われているのかを紹介した。例えば、「七羽のカラス」で描かかれている少女が小指を切って鍵に使う場面と「ガチョウ番の娘」の罰の残酷さは、その内容も意味合いも異なっているということ、また、「ネズの木の話」と「三びきのコブタ」、あるいは「かちかち山」についてもそれぞれのお話の意味を踏まえた上で残酷性を考えるべきであるということを話した。

さらに、「天とうさん金の鎖」のお話を一年以上にわたってせがんだ男の子のエピソードを紹介し、現代における「昔話の残酷性の意義」について、子どもと自然にからめてお話しした。

ワークショップは元アナウンサーのSさんの協力を得て、「馬方山姥」の朗読を教わった。もう少し時間がほしかったが、さすが現役、みなさんとてもお上手だった。ただし、「馬方山姥」は声を選ぶ作品であることが実感させられた。かわいい山姥が3人ほどいたのはご愛敬。唯一の男性の語りには思わずみなから拍手がでた。
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非常勤講師は…

非常勤講師とは「使い捨て講師」であることを実感させるような事があった。常勤教師のささいな対応一つにも、その人柄がでて、その大学のもつ特質が見える。

教師だって傷つく。立場の弱いものにとって、強いもののふとしたひと言、手続き、行動でその本質が見えてしまうと思うのは、私が被害妄想に陥っているのか…。

夏休みの読書量

先月末からリアル大学では順次授業が始まっている。久しぶりの面々、長い夏休みのため、彼らも社会(授業)復帰には時間がかかるようだ。夏休み前に、通年科目を受講している学生には「とりたてて課題は出さないが、できるだけたくさん本を読んでほしい」と伝えていたので、それぞれのクラスで夏休みの読書量を訊ねた。

なんと、20冊以上読んだ学生はゼロであった(挙手してもらったのだが、講義のクラスではリスポンス・シートにも書いてもらったので、まず間違いない数字だろう)。10冊以上が1人(2年生)。5冊程度という学生がぱらぱら、ほとんどが2,3冊で挙手をし、なんと、1冊も読まなかったという強者(!)もいた。

言葉が出ない。授業の補完としても、楽しみのためにも本を読んでいない学生のいかに多いことか。「音楽やアートのイベントに参加したため」読書ができなかっという言い訳もあった。また、彼らの読書空間はほとんどの場合「(通学)電車」であることも判明。ならば、2,3冊という数字もうなずける。

一体どうなってゆくんだろう…。

ちいさい男の子とおかあさん

先日、バスを待っているときのこと。2歳をすぎたばかりと思われるの男の子が、少し坂になった歩道をとことこ走っていた。近くには保護者らしき人は見えない。最初は、少し離れた所にいる保育園の子どもが群れからはずれているのかと思ったが、そうでもないらしい。保育園の子どもたちを連れてる保育士らしい人も、その男の子のことを気にしている。そんな雰囲気が伝わってきていたので、私も、その子は保育園の園児だと勘違いしたのだ。しかし、保育士さんがその子を呼び戻したり、追いかけたりしている気配がないので、おかしいと思ったのである。

その子が保育園の園児でないと気づいたのは、保育園のスモックを着ていなかったからだ。この間、おそらく2,3分ぐらいのことだったろう。通りをはさんで走っている子どもの視線は、自分の目の前にしかない。ああ、ここで駐車場から車が出てきて、危ないことにならなければいいのにと思いながら、私の注意はずっと男の子にあった。それからなお、しばらくたった時、子どもの名前を呼びながら歩いてくるおかあさんとおぼしき人が視界に入ってきた。彼女は、ちょうど車が駐車場に入ってゆく通路のあたりに立って、怒鳴りながら子どもを呼び戻していた。

おかあさんの姿を見つけた男の子は、うれしそうにおかあさんのもとへ走り始めた(今度は若干の上り坂)、男の子がおかあさんのそばにやってくると、彼女は何か言葉を叫んで(道路の反対側にいた私は聞き取れなかった)、子どもの身体に「蹴り」をいれ、その子どもはその場に倒れた。そしてさらにもう一回の蹴り。それでも飽きたらずに、今度は子どもの頬を「ぴしゃり」と。当然子どもは泣き出す。その泣き出した子どもに向かって、さらに激しい言葉を浴びせかけている様子。

「ああ。ひどいなぁ」。子どもの責任は無いだろうに。活発な男の子とつきあうのは大変だろうけど、やはり、おかあさんの無責任で感情的態度が気になった。私と同じように隣でバスを待っていた年配の男性もどうも事の一部始終を見ていたらしく、「あれはひどいね。躾ではなく、虐待だ」と思わずというふうに、わたしに話しかけてきた。私もうなずきながら、「子育ては大変でしょうが、あのおかあさんの行為はゆきすぎですね」と答えていた。

私は、目の前に繰り広げら得ている「事件」が気になりながらも、そのときやってきたバスに乗って、その場から姿を消したのであった。いまでも気になる出来事である。おかあさん、彼にとってはおかあさんが全てなんだよ!

鶴岡の子どもたちと

9月下旬にE=ラーニング大学の学園祭行事とからめて鶴岡に出かけた(正確には鶴岡行き=朝暘一小訪問に絡んで学祭の企画が生まれた)。私は、朝暘一小の朝の図書館見学もそこそこに朝暘三小に移動し、1時限目と2時限目を使って1年生の子どもたちと絵本やお話をわかちあってきた。朝暘三小には、朝暘一小の初代の司書教諭M先生が異動して勤務している。そのM先生と五十嵐絹子さんの画策(?)で実現した「朝暘三小お話会」である。4限時には、再び一小に戻り、こちらも1年生(約90名)とともに、お楽しみのお話会を楽しんだ。さらに、昼食後、三小に戻り、読み聞かせボランティアの方たちと学習会に臨んだ。楽しかったけれど、さすがに疲れた。

三小からは、「ブックトークを」との要請を受けたのであるが、1年生には「ブックトーク」はむずかしく、「絵本の紹介をふくめたお話会」のような形式となった。とにかく、「楽しんでもらうこと」を優先にプログラムを考えた。

●自分の名前に動物の名前をつけての自己紹介(わ=わに、し=しろくま、こ=こおろぎ)
●絵本『これがほんとの大きさ!』(読み終わったあとは「クマ」のページを開いてブックスタンドに)
●詩「ある日くまは」
●お話「マーシャとくま」
●絵本『くまくん』
●クマが出てくる絵本の紹介
『クマがふしぎにおもったこと』
『くまのオルソン』
『クマよ』
●「へんなひとかぞえうた」をみんなで歌う(『くまくん』のヘンなクマから連想して)
●絵本『うえきばちです』(ヘンな人からヘンな生きものにつなげて)

最後はどのクラスも『うえきばちです』で終わるように時間を見ながら、お話「ついでにペロリ」や『三びきのやぎのがらがらどん』、手遊びを入れた。子どもたちが見せた盛りあがりはすごく、最後の『うえきばちです』では最高潮に達した。「ありがとうございました」のご挨拶の声の大きかったこと!

帰りには、朝暘三小の子どもたちの感想文をドサリと頂いた。子どもたちの感想文を読めば読むほど、この感想文を私が所有しているべきではないという思いが強くなり、一人一人に短い言葉を書いて返送することにした。彼らの文章は稚拙ではあるが、どれもこれも「楽しかった」という思いにあふれているもので、私自身も感動した。強制的に感想文を書かせることについては、その教育的な意義を認めつつも、異論はある。しかし、今回は子どもたちの真摯なほとばしるような「思い」が十分すぎるほど伝わってきた。だからこそ、この感想文は、子どもたちのことを理解し、つねにたっぷりの愛情を注いでいる人の元にあるべきだと思った。

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