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「読み聞かせ」顛末記

地元の小学校へボランティアとして「読み聞かせ」に出かけた。「読み聞かせ」ということばには、とても抵抗感を覚えるのだが(授業などでは「(絵本の)わかちあい」という表現を使っている)、このことばが人口に膾炙しているので、ここでは、とりあえず「読み聞かせ」を使う。

たった15分弱の時間なので導入をどうするか悩み、経験豊富な友人や知人の意見を聞いたり、相談したりしたのだが、けっきょくは、「雰囲気で決める」ことにした。つまり、クラスの雰囲気が「お話モード」に入っていれば、そのままメインの『ありがたいこってす』からはじめることにするという方法をとることにしたのである。

余裕を持って少し早めに教室に行ったら、まだ、準備もできておらず、担任の連絡不備で「読み聞かせ」があるということも伝わっていなかった。近くにいた子どもたちに、あいさつをして、読み聞かせに来たものだと説明し、机と椅子を動かしてもらった。そんな状況だったので、まず「やすべいじじい」を歌いながら(?)、絵本をわかちあう心の準備をした。やはり6年生というべきか、見知らぬ「おばさん」(おねえさんでは図々しいね)に、突然「歌って」といわれても抵抗があようだったが、それでも2回目になると声を出してくれる子どもたちもいた。

そのあと、6年生でも導入にはよいかもとアドヴァイスをいただいた『うえきばちです』を読んだ。絵も遠目がきいて見やすいし、いい意味で彼らの期待を裏切る絵本であったことだろう。しかし、私も子どもたちも少々緊張気味であったが、最後には「ふわっ」と笑いがおきた。「[絵が]こわい」というつぶやきも聞こえた。その後、『ありがたいこってす』を読んだ。子どもたちはじっと聴きいってくれていたのであるが、こちらも張りつめていて彼らの反応をしっかり捉えることはできなかったのは、反省点である。担任の先生も子どもたちといっしょになってきいていてくださったのであるが、最後に日直さんに感想をいわせていたのは、少々残念であった。「先生はいかがでしたか?」と先生自身の感想もうかがったのであるが、彼女は自分の感想は述べず、「『うえきばちです』のほうが子どもにうけましたね。でも、外国の物語はあまり聞くことがないので毛色が変わってよかったです」というようなことをおっしゃった。

できれば同じクラスに継続して入りたいのだが、この小学校のボランティアの方針は、「できるだけたくさんのクラスに入る」というものだそうで、このクラスを再び訪れることは難しいようだ。残念。STさんに手伝っもらってまでして絵を描いた「へんなひとかぞえうた」は、今回は泣く泣く見送った。

ところで、「自分の好きな本を読まなきゃ意味がない」とのたまったおばさんは、「アメニモマケズ」を朗読したそうである。ふーん。
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映画『ライラの冒険:黄金の羅針盤』など

あまり気が進まなかったけれど、ようやくのことで、映画『ライラの冒険:黄金の羅針盤』に出かけた。予想通り内容的にはあまりにも薄っぺらでがっかりした。あろう事か、途中ほんの短い間だだが、二回ほど記憶を失った。映画館で映画を見ていて記憶を失うことなどかつてなかったことである。それだけ、つまんなかったのか、「歳」のせいなのか。

イオレク・バーニソンがらみの映像は、本物と見まごうほど迫力があり、わくわくした。CG(だよね)の技術も進んだものだと感心した。また、コールター夫人を演じたニコール・キッドマンは、演技力以前に作品のイメージどおりで、はまり役であると思われた。しかし、ファンタジー作品が映画化されると、なぜにこうも「戦い」の場面ばかりになるのか(迫力があり、見せ所なんだろうけれど)、がっかりだ。

例の件は、状態も安定しているが(原因は、おそらくストレスだ)、「お酒」は一滴も口にしていない。K子さんには「あらしじゃ!」と驚かれたが、私をリアルに知っている人は、たいていK子さんと同じような反応を見せる。ちょっと、情けない。冷蔵庫を開けると「プレミアム・モルツ」が目に入るが、私には、その缶の上に「毒」という文字がうかんでみえる今日この頃である。なんのこっちゃ! 先日は、「十四代」というすぐれもののお酒を楽しむ夫を横に、お茶でつきあったわしこであった。この際だから、ワインと日本酒とビールでできている「お腹周りの脂肪」を溶かしたいと意欲に燃えている。ちょっとだけ。

今日は、小学校に読み聞かせに行ってきまーす。『ありがたいこってす』をメインにしようと思っている。

わしこの英語塾

語りの仲間たちを中心に「わしこの英語塾」をはじめて、そろそろ1年が過ぎた。昨年、英国へ「語りの旅」に出かけるにあたって、日本の昔話を英語で語ろうという目的で始まった会である。最近では、自分たちの勉強のためにと、短い英語の物語をさらにやさしく書き直す練習や英語の発音やリズムの練習もプログラムに入れている。

インプットも大切だということで、ノルウェーの昔話「太陽の東 月の西」を英語(ダーセント再話)で、ようやくのことで読みきった。20世紀初頭に再話されたダーセント卿の英文は、受講生のみなさんには、さすがに古風で読みにくかったようだ。物語の源流にはギリシア神話の「キューピッドとプシュケ」の残響があり、類話もヨーロッパの昔話には多く見つけることができる。「語る」ためには少しばかり長いとも思われるが、壮大でリリカルな物語である。

ところで、メンバーの中にとても絵の上手な方がいらっしゃる。というわけで、私は明日、「読み聞かせ」の導入(クラスの雰囲気によっては、すぐ物語を読むつもりだが)に使う予定にしている「へんなひとかぞえうた」の食べ物の絵を描いていただいた。さすが! 「牧師さんの後ろ姿」が「さといも」に変わってゆく姿は、みんなから拍手喝采! STさん、ありがとうございました。私が自力で描いたのは、「イチゴ」「ゴマ」「ようかん」「きゅうり」「まんじゅう」である。

STさんに描いていただいた「にぼし」を見て、「太刀魚?」といったのは、我が家のだれかさんである。

えきさいてぃんぐー!

「読み聞かせボランティア」にゆくことになった小学校の図書館はやっぱり「開かずの図書館」だった。「読み聞かせ」のある金曜日だけは、ボランティアの便宜のために開けてあるが、日常的に貸出がなされている図書館とは思えなかった。子どもたちに読まれない資料や本はまるで「死んで」いるようで、書棚に押しこめられている本の気持ちを思うと忍びなく、悲しかった。

低学年の先生は、図書館からめぼしいものをピックアップし、教室の外の空間の本棚に学級文庫として設置しているようであるが、となると資料や本が学校全体で共有できない(でも低学年はまだマシらしくて、高学年の学級文庫は「悲惨」(お世話係さんの言葉)だそうだ。しかも、図書館には「目録」らしいものも目につかなかった。本の整理はどうなっているんだ! ボランティアの要請を受けて購入した本や新刊本は「別置」になっている。図書館に人が常駐していないとは、こういうことになるという「モデル」のような図書館であった。これは、校長の許可を得て、記録写真を撮っておくべきかしら。「パソコンルーム」と称されている部屋の一部も(壁のまわりには本棚がある)、机の上にだらしなく事典類が積まれていた。

ボランティアの打ち合わせが先日あり、途中、校長先生が挨拶に来たが、彼は新任(中学校から異動)で、国語の教師のくせに「読書嫌い」で、本は読まないのだそうだ。各学年3クラスの18学級なのだが、司書教諭は配置されていないらしい。その点について、校長に確認したかったのだが、さすがにはばかられた。「図書係」の先生は、去年に引きつづき2年目であるとのことであったが(かつては毎年変わっていたという。もちろん打ち合わせにはいらっしゃらなかった)、専科の先生にお願いしているあたり、この小学校の図書館に対する姿勢もうかがえるというもの。読み聞かせは、学習支援隊として位置づけられているようだが、実際は、ボランティアに丸投げ状態のようである。

しかも、ボランティアの姿勢が、<各自、読みたい本を読みましょう(資料参照)>というものである。私と同じ子どもの保護者でない新参のおばさんが、「自分の読みたい絵本がすでに読まれてしまったときには、時をおいてもう一度読んでいいのか」「自分の読みたい本が読めなければやりがいがない」といったときには、とうとうキレた私である。「自己実現のために読み聞かせはするべきでない」と。というわけで、自己紹介では自ら自分の職業をバラし(しばらくはおとなしくしているつもりだったのに)、たとえボランティアであろうとも、一人の人間としての読書生活の中で「読み聞かせ」を捉えること、「自分の好きな本」ではなく「子どもの心によろこび」を伝える本を読むべく、私たちは勉強しなくてはいけないのではないかと、ぶち上げてしまった。

そんなわけで、ボランティアのお世話係さんの依頼を受けて、早速「勉強会」をすることになった。しかし、いちばん熱心に勉強していると思われるお世話係さんでさえ、ちょっと話のついでに出た作家の作品すら知らないことにびっくりした。斎藤敦夫さんのお嘆きというかお怒り(『母の友』)がよーくわかる。また、彼女のお話によると、この小学校ボランティアはまだレベルが高い方なのだって。では、そうでないところはどんな状態なのであろうか。想像するだにおそろしい。

石井桃子さんが『児童文学の旅』に、彼女が日本の困難な状況を語るたびに、みんなは"How challegeable! " "How exciting! "といって励まされたとお書きになっていたが、私もこの「ちゃれんじゃぶるでえきさいてぃんぐー」な状況をよろこびとし、ひとつひとつ積みかさねてゆかなくてはいけない。

ところで、このことが原因なのか定かではないが、自己紹介のあと「ふわっ」という感じがして、何となく血圧の上昇を感じ、頭痛がきた。翌日になってもその「感じ」は直らず、おそるおそる血圧を測ってみたところ、血圧計は尋常でない数値を示していた。びっくりして(医者は大嫌いで行きたくないのだが)、敷地内のクリニックに行った。医者には「救急車もの」と脅かされて、薬を処方していただいた。いまは落ちついているのだが、さすがに「こわくなった」わしこである。最近は、<学生からのハラスメント>とでもよぶべきものにずいぶん悩まされていたこともあるので、ストレスがたまっていたのね。

●最近、アダルトサイトからの品性下劣なコメントが少なくなりましたので、試験的にコメント欄を再開したいと思います。

石井桃子さんと児童図書館

このところ石井桃子さんの著作や石井さん関連の著作を集中的に読んだ。その中でとくに問題意識を刺激されたのは、『ユリイカ<特集石井桃子:100年のお話>』に掲載された松岡享子さんの「石井桃子さんと子どもの図書館」である。

松岡さんは当該評論で、石井さんの業績はさまざなな点から論じられているが、石井さんと子どもの図書館活動の関わりについて言及しているものはほとんどないとして、石井桃子さんが日本の児童図書館の歴史に果たした役割を、きわめて的確に説得力をもって述べている。松岡さんは、以下のように書く。

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[石井桃子さんは戦前にも子ども文庫の開設(白林少年館)を試みているが、彼女が]図書館についての認識を深め、かつら文庫の開設を決意したいちばんの契機は、やはり1954年から55年にかけて、ロックフェラー財団の研究員として、欧米を視察したときの体験にあると思われる。
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この視察(ある意味での留学だと思われる)については、『児童文学の旅』(岩波書店)に詳しいが、財団の研究員としての渡米が決まったとき、石井さんはまず、戦前から交流があったバーサ・マホニー・ミラーさんと連絡を取ったのである。ミラーさんは、合衆国ではじめて子どもの本の専門店を開き、のちに、子どもの本の書評誌である『ホーンブック』を発行した見識のある女性であるが、当時、ミラーさんは石井さんの北米での視察のアレンジを一手に引き受けたのである(実は、このことでALAがむくれるということも起こるのであるが、なんだかALAの権威主義的な部分が見えて、傍目にはちょっとおかしい)。

この視察旅行で、ミラーさんのアレンジで石井さんが出会った人々というのがすごい。主な人たちだけをあげてみると、アン・キャロル・ムーア、リリアン・スミス、エリザベス・ネズビット、メイ・マッシーなどで、そうそうたる顔ぶれなのである。

この人たちは、アメリカにおける児童図書館の創生期をつくった人々で、石井さんの渡米時には、ほとんどの人が70歳を超えており、すでに現役を退いていたことと思う。とはいえ、子どもの本や図書館などについては継続的に活動していたことだろうから、自分たちの経験や理想や情熱を惜しみなく石井さんに伝えたことと推測できる。

石井さんは、いわば、アメリカ児童図書館を作った綺羅星のような人々が、最後の光を放っていた時代にアメリカを訪問したといえるだろう。この視察旅行が大きな契機となって「かつら文庫」の開設に至るのである。石井さんは、かつら文庫の記録である『子どもの図書館』で以下のように述べている。

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[欧米では]児童図書館というものが、よい創作活動を推進し、またその結果を本にする出版事業の支えになり、さらにまた、その本を直接子どもの手にとどけるという三つの仕事を一つでひきうけている、べつのことばでいえば、この五十年間、子どもの示す反応から学びながら、本の指標を高め、それを堅持してきたのは、児童図書館の大きな功績だということをみてきました。(『子どもの図書館』。p4。)
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たとえば、メイ・マッシーは、児童図書館員を経て、ALAで『ブックリスト』の編集に携わり、その後、請われて、ダブルディ社、ヴァイキング社で子どもの本の編集を手がけている。彼女の編集した本は「メイ・マッシーブックス」と呼ばれ、エッツ、ベーメルマンス、マックロスキーなど絵本の古典とされているものが多く含まれている。

まさに、児童図書館が「三つの仕事を一つでひきうけて」いた時代を石井さんはつぶさにみてきたといえるだろう。そして、石井さんは、その視察旅行で得た「宝物」を文庫活動や翻訳というさまざまな形で、私たちにあますことなく与え続けてくれたのである。私たちは、石井桃子さんにいただいた「宝物」が何であったのかをきちんと知り、彼女の志をさらに次の世代にわたすべく、守ってゆかなくてはいけない。

石井桃子さん、どうぞ私たちをお守り下さい。

斎藤美奈子『本の本』

全724ページの斎藤美奈子の書評集が出版された。すごすぎる。ベッドで寝ながら読むためにはふさわしくない。何となれば、重たくて支えきらず、眠くなってうとうとすれば、本は顔の上に落下し、鼻が陥没する可能性さえある(うそ)。はじめから順をおって読むのではなく、適当に開いたところから、気に入ったところから少しずつ読んでいこう。

普通の本では「前書き」にあたるであろう「この本の使い方」には、最後に<なお、商品管理には万全を期しておりますが、大部の著ゆえ、一気読みは健康を害する恐れがあります。くれぐれも読みすぎにはご注意ください>とある。そうだよね。

しかし、厚さ5㎝にもなる本をペーパーバックにするなんて、製本技術も進んだものだ。価格は2800円+税金で、お買い得設定だ。まぁ、斎藤美奈子の本だからこの値段で売れるのだろう。

すでにこの本で紹介されていた本を注文してしまった。これも、ちとヤバイな。

朗読教室

「朗読教室」全7回が終了した(5月より第2期が開催される)。最終回は、前回ダメが出た点を中心に細かな指導を受けた。私の選んだ「ぜつぼうの濁点」には、「ありのまま」に朗読するようにとのコメントを頂いたのであるが、どうもピンとこない。私は声が低いので、「ぜつぼうの濁点」と読むのでさえ、絶望的に聞こえてしまうらしい。むしろ、明るくメルヘンティックに読んだ方がよいとのことだった。むずかしい。

川端康成の「石榴」(掌編)を声に出して読むために、表現や言い回しやを「思い切って変えた」という強者もいた。うーん、天国で川端さんお怒りかも。しかし、彼女の朗読そのものは、原作を知らないだけにまったく自然に聴いた私たちであった。

前回、『葉っぱのフレディ』に挑戦し、今回は『ノンちゃん雲に乗る』の結末部分を読んだ男性もいた。子どもの頃の愛読書だったということだ。

第2期からのテキストに「マッチ売りの少女」と「みにくいアヒルの子」を頂いてきた。第2期は、仕事があるので、残念なことに何回かは早退しなくてはいけない。

『トムは真夜中の庭で』が舞台に!

フィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』が文学座によって劇化され、8月9、10、11日に日生劇場で上演されることになったそうだ。公演は全5回。

詳しくは、http://www.nissaytheatre.or.jp/fam/paf/Tom/index.htmlを。

『トム…』が舞台になるなんて、ちょっとびっくりした。あのすぐれたファンタジー作品の舞台化などできるのだろうか。疑問である。夜の庭園、イーリーの聖堂、トムと少女時代をすぎたハティとのスケートの旅などは舞台ではどのように表現されるのだろう。活字作品として完成度が高ければ、高い作品ほど劇化や映画化は難しいと思うのだが。

最近は、テレビドラマにしても映画にしても、自ら作品をつくり出すのではなく、漫画やファンタジー作品を原作に持ってくることが多い。なんだか、人のふんどしで相撲を取っているみたいで、個人的には気に入らない。たとえが下品ですまん。

結婚披露宴

甥の結婚披露宴のために九州に出かけていた。甥は神奈川に住んでいるのにもかかわらず、長男なので、九州の実家でも近隣の人たちを招いての披露宴をしなくてはならないのだ。新郎(甥)の両親(母親が私の妹、ちなみに彼女は仲間とゴスペルを歌って祝福した)がいろいろ演出に工夫を凝らし、素敵な披露宴だった。なんと、6ヶ月前から準備していたということだ。進行、プログラム、音楽、会場のセッティングなどすべて手作りだった。たいへんだったことだろう。

披露宴会場であるレストランには、姪(新郎の妹)の婚約者が作った大きな「竹のオブジェ」(照明)が飾られて何ともいえない美しい空間が作られていた。

私はスピーチを頼まれたので、甥の3歳の頃の思い出を語った。彼がいとこの女の子と遊んでいたとき、自分の持っていた小さなおもちゃを「とられて」しまったことを、「借りられちゃった」と母親に訴えたエピソードである。私は、「借りられちゃった」という言葉にひどく感動したのだ。もちろん、そのときの彼の中には、「とられた」という言葉も発想もなく、3歳の子どものボキャブラリーでの表現であり、「正しい状況を表現する言葉」を持っていなかっただけなのかもしれない。たとえそうであったとしても、「借りられちゃった」という発想は人間関係を構築する上で、美しいものであると感じたのである。

その後、漫画家をめざして一人暮らしをはじめ、きびしい生活費を切り詰めて貯めたお金で弟にプレゼントしたスニーカーが、きちんとカギのかかるロッカーに入れておいたにもかかわらず、「借りられちゃった」(そのときの弟の落胆ぶりはすごかったそうだ)とき、なんと彼は「盗んだ側ではなくてよかったね」と弟を慰めたのだそうだ。「借りられちゃった」と表現したやさしさは、彼の魂の核になっていることを改めて感じた。

ところで、この弟は、幼稚園ぐらいまでは安達祐実似、そして、国分太一似を経験し、いまでは「謎のアジア人」である。目は私とそっくりなのだが、会場で、ひさしぶりに会った近所のばあちゃんに女の子(本人の姉)に間違えられていた。

石井桃子さんの訃報

たったいま、NHKのニュースで石井桃子さんが亡くなったことを知った。あー、胸に大きな穴が開いたようだ。

合掌。

絵本を楽しむ

同業の知人が、新2年生の女の子(Sちゃん)連れで来宅。10数年ぶりの再会であるが、メールのやりとりや共通の知人を介してのやりとりなどで親交を保っていたせいか、すんなり「フツー」に話が弾んだ。Sちゃんは初めての家で少し緊張気味ながら、私が本棚から出した「バムケロ」シリーズなどをおとなしく読んでいた。その後、慣れてきた頃合いを見計らって、怒濤のように絵本をわかちあった。

『うえきばちです』『おー、うんこ』『くまくん』に笑い(よろこび度50%まだまだ緊張してるね)、「おもしろ系」がいいとのリクエストに応え、『しりとりのだいすきなおうさま』あたりになると「よろこび度」が70%に上がった。その後、『とうさんまいご』あたりから「しかけ絵本系」にシフトし、これがなかなか見つからないので、『にたものらんど』や『せんをたどって』『しまうまのさんぽ』などを紹介するが、どうもどれもポイントを外れていたようだ。

対象年齢は低いが、「しかけ絵本」だからと『てじな』をひっぱりだしてきた。このあたりになってくると、私のほうも破れかぶれではじけ、ワインもほどよくきいてきたので、「あんどら、いんどら、うんどら」のおまじないもすごいものになった。わしこ、はじけ度全開、Sちゃん、よろこび度100%。理由は定かではないが、Sちゃんは心の底から「よろこび」がはち切れんばかりで、もうどうしようもなくという感じで、笑いながらぴょんぴょん飛びはねていた。

『てじな』のおまじないの「あんどら、いんどら、うんどら」は、声に出して読むとなんだかつまらない。「すごいことがおこるぞ」「なんにかわるかな」という読み手の期待をいっぱいに受けとめるエネルギーに満ちた言葉がほしかった。今日のSちゃんの一押しは『てじな』だそうだ。また、きてね。

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