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行ってきます!

明日から「イギリス、ストーリーテリング交流の旅」に出かけてきます。旅の仲間は、櫻井美紀先生をはじめとする「語り手たちの会」のみなさまです。まだお目にかかったことのない「仲間」もいますが、「わしこの英語塾」こと「英語で昔話を語る会」のメンバーも何人かご一緒するので、心強いです。帰国は7月1日。

エジンバラでは、今秋来日予定のディヴィド・キャンベルさんにお目にかかり、湖水地方では、タフィー・トマスさんのストーリーテラーズ・ガーデンを訪問します。そこでは、ニック・ヘネシー氏の「語りのワークショップ」も開かれます。

旅の仲間たちは、英語や日本語で語りをするそうです。きっとたくさんのお話を楽しむことができるでしょう。

というわけで、更新はしばらくお休みします。帰国したら、また報告します。
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試験が嫌い

私は試験が嫌いである。心底。だから、基本的に語学の授業でも試験はしないできた(ここ数年、語学は2コマのみ)。しかし、「試験をしない」ことが彼らに伝わると、勉強嫌いな英語嫌いな学生さまは、「じゃぁ、授業に集中しよう」という方向には進まない。デロデロ状態なのである。あー、戦略を間違えた。で、「試験はする」と最終宣言。もちろんブーイング。理由は「他の科目の試験準備やレポートが忙しいから、この授業まで試験をしてほしくない」ときた。それでは「ふだんこの授業で予習、復習をしているのか」と問うと、「まったくしていない」というお返事。

じゃぁ、せめて授業中ぐらいしっかり集中しろよと思う私は、おかしいだろうか? 学期のはじめから「この授業のために一冊のノートを準備しろ」と言い続けて、昨日もノートを用意していない学生にとうとうキレた。あーぁ、最近爆発が多いわ。「いわれたことをしろ!」と怒る私に、「小学生じゃないんだからそこまで指示されたくない」と切り返してきた。「ノートなんかなくてもやっていける」とも言っていた。

といって、「試験に出るから」と脅し脅し授業するのも性に合わない。試験が嫌いだからだけが、試験をしたくない理由でもないのだ。ほとんどの学生が「一夜漬け」「丸暗記」で試験をスルーしようとしている姿勢が嫌だったからだ。それならば、授業中の発言や姿勢で評価した方が学習意欲に変化が出ると考えたからだし、たしかに、効果も表れていた。しかし、どうやら学生の質が急に変化してきたと思わざるを得ない、昨今の状況である。

カメラが嫌い

カメラが嫌いである。写すのも、写されるのも。しかしイングランド、スコットランド行きが近づいてきたので、夫に「カメラ持っていった方がいいかなぁ」と聞いてみると、「当たり前だろ」との返事。そうか、やっぱり持っていった方がいいのかと思い(他の人をあてにしてはいけないのね)、カメラをだした。カメラちゃん、なんと、ウンともスンとも言わないのである。

前回使ったのが、2005年1月に出かけた「アメリカ・カナダ学校図書館訪問の旅」である。報告集をつくるというのがお約束だったため、カメラ持参が義務づけられ、あなた任せで買ってきてもらった「デジカメ」、2年ぶりの登板だ。

「バッテリー」を充電して、いざと思ったら、日付の設定をしなくてはいけないらしい。そのへんをごそごそ探してようやく見つけたマニュアルを見ながら、日付を設定した。

ところが、モードだとかなんとかいろいろややこしい。「どうやって写すの?」というお馬鹿な質問に、「押しゃいい」というお言葉。はい、押します。これで、何枚の写真が撮れるのであろうか? 前回は、20数枚撮影していた。さて、今回は…?

物語体験

つねづね学生の物語体験の少なさが気になっていたので、今年の1年生は、たくさんの物語を読むことにして、まず、AikenのA Necklace of Raindrops and Other Storiesを読みはじめた。さすがに、このレベルの英語だとらくらく読める学生が多いので、すでに読了間近である。授業では、「英文解釈」を超えて、「物語の語法」や「言葉の選択」についても話ができる。この物語集はタイトルも韻を踏んでいるものも多く、語り口も昔話的なので、声に出して読むとさらに楽しい。

"A Bed for The Night"に鶏の足に乗った家が出てきたので、「ババ・ヤガーって知ってる?」とたずねるも、知っている学生は皆無であった。さらに、3,4年生対象の「英米児童文学」でも同じ質問をしたら、80人ほどの学生のうち手を挙げたのはたったひとりであった(といって一人だけしか知らないというわけでもない)。そこで、「美しいワシリーサとババ・ヤガー」を読んだ。長い話であったが楽しく聴いてくれたようだ。また、すでにシンデレラ型の物語についても話をしてあったので、話型にも興味を抱いた学生もいた。

ババ・ヤガーの小屋のまわりは「人間の骨できたかきねがめぐらしてあり、くいの一本一本に、目玉のあるしゃれこうべがつきさしてある」。「しゃれこうべ」がわからなくて、辞書で確かめたとレスポンスシートに書いてきた学生がいた。「しゃれこうべ」なんて言葉は、確かに物語に触れていないと出会わないだろう。骸骨模様の服やアクセサリーは身につけているのに…。

昔話や創作メルヘンは、読んでもらって楽しむのが一番だ。たくさんの物語を紹介したいが、物語ばかりを読んでいたら授業にならないし、かといって、昔話や物語になじみのない学生に理論ばかりを講義してもつまらないだろうにとも思うのである。

「輪になってみんなが一つずつ昔話や物語を読む会」というのができないかしらと考えることがあるが、彼らはそうまでして物語を楽しみたいだろうか。

●「美しいワシリーサとババ・ヤガー」(東京子ども図書館編『愛蔵版のお話のろうそく2:なまくらトック』。東京子ども図書館。所収)

学生って?

E=ラーニング大学では、1単位の「スクーリング」授業の1クール目が終わり、昨日から2クール目が、総勢24名で始まった。こちらの受講生にもきちんとしたレポートを書いてもらいたいものだと、心から思う。そのためには、誠実に謙虚に課題に向きあうことである。

またもやレポートが書けなくて、「逆ギレ」した学生がいる。しかも、テキスト履修の時は、「受講料をドブにすてたようなもの」と発言していることを知った。聞き捨てならないと思い、過去の資料を調べてみたのであるが、何のことはない、ただ、レポートを提出していなかっただけのことだ。私としては、レポートを提出する気がなければ、登録しないでほしい(授業料だって払う必要はないし)。なぜならば、「再提出」をくり返して、粘り強くきちんとしたレポートを書いてくる学生は、レポート提出者の70%から80%に上るのだが、合格率を計算する時の母数が「全受講生」になるため、勢い、合格率が低くなり、「難しい科目」というイメージが作られるのである。やさしい楽勝科目ではないが、こちらも意地悪で「再提出」を求めているのではないのだ。

「書式がきちんとしていないすぐれたレポートはない」のだ。K大学のT先生は院生に「あなたたちに良い論文なんて期待していないから、せめて書式だけでもきちんとしてちょうだい」と仰ったそうである。同じことを言ってみたいだなんて思わないが、せめて「原稿用紙の書き方ぐらいは習得してちょうだい」「常体と敬体の区別ぐらいしてちょうだい」といわせてほしい。

件の学生は、「新しい段落の一字下げ」すらできていないのである。おまけに、「パートででも図書館で司書として働きたかった」とも伝えてきた。「パートででも」という言葉にはひっかかりを覚えた。

そういえば、先週リアル大学であまりにもひどい「解釈」をした学生に、「きちんと予習をしてちょうだい」と言ったら、こちらも「きちんと予習している」と逆ギレされた。これには、久しぶりの大爆発をおこした私である。「さらっと眺めて、知らない単語を辞書で引くだけでは予習にならない!」。爆発のあとは、やけ酒でも飲みたい心境だった。最近とみに感じるが、学生の質が低下している?

授業で、私たちは「食べること、死ぬこと、身体で愛しあうこと」など動物的な部分を隠して生きてきた、という話の流れから、電車で飲食、電車で化粧に話が脱線した時のこと。「私は電車で化粧はしませんが、電車で化粧することのどこが悪いのか」とレスポンスシートに書いてきた学生がいる。絶句! 確かに「法律」はないが…。

最近の学生って?

コンサート

MMホールへ久しぶりにコンサートに出かけた。先月は風邪でダウンしたので、また、中村紘子を聞き逃してしまったのである。チャイコというのに、残念であった。

昨日のプログラムは、R・シュトラウスとクライスラーだった。川畠成道くん(と書いて、hpを見たら、90年に桐朋大学に入学していた。「くん」では失礼である)、もとい、川畠成道さんのヴァイオリンがすばらしかった。やさしく、深く、気持ちのいい音であった。今度は是非コンチェルトを聴きたいな。楽器は何を使っているのだろう? コンマスのK野が嫌いな私は(だって、尊大なんだもの)、心の中で「K野よ! あなたもこんな音出せるなら、出してみろ!」と心の中で毒づいていたのである。

私のお気に入りのシンバル奏者は、最近「パーカッションの一番」になったらしく、ティンパニをたたいている。独特の「間」の取り方には、やはり目を奪われてしまうのである。

『バスラの図書館員』を読む。あれれ?

「葦岸堂之日々是日々」というブログの主宰者である「葦岸堂」さんより、『バスラの図書館員』の翻訳には問題がありそうだということをうかがっていた。気になっていたのだが、図書館にゆく暇もなく、とうとうアマゾンからしぶしぶ取り寄せた。原書は出版後すぐに入手していたし、「出版を前提」に訳も完成させていたので、じつは日本語訳は必要なかったのである。なんと日本語版は、原書より一回りも小さいのである。

この絵本は、イラクのバスラで実際にあったことを作品化したもので、そのネタもとは、2003年7月23日付けで『ニューヨークタイムズ』紙に掲載されたシェイラ・ディーワン氏の記事である。バスラの図書館で働くアリア・ムハマッド・ベイカー(Alia Muhammad Baker)さんが、アメリカのイラク侵攻下において、図書館の蔵書のほぼ70%にあたる3万冊を個人の力で救い出したという話である。

私がこの絵本に出会ったのは、ヴァンクーバー市ディヴィッド・リヴィングストン小学校を訪問した2005年1月のことである。先生(司書教諭)が小学校1年生の子どもたちに「読み聞かせ」ていた授業を見学したのである。日本語版は、多人数にむけてわかちあうというより、個人の読書を想定して作られたように思われる。少なくとも小学校低学年が読めるようには編集されていない。

ここだと思われるところを見つけた。以下、原文、日本語版、わしこ訳の順序で紹介する。

At last, the beast of war moves on./ Alia knows that if the books are to be safe,/ they must be moved again,/ while the city is quiet./ So she hires a truck to bring all thirty thousand books/ to her house and to the houses of friends.

やっと、戦争というけだものは、町をでてゆきました。
町が静かになっても、アリアさんは安心しませんでした。
もし本が無事だとわかったら、戦争というけだものは、
きっとまた、町にもどってきます。
アリアさんはトラックを借りて、3万冊の本全部を、
じぶんの家と何人かの友だちの家にはこびだしました。(日本語版)

ようやく、戦争という怪獣がこの町からうごきはじめました。
しかし、本をまもるためには、いまのうちに
本をどこかにかくさなければいけないことが
アリアにはわかっていました。
30000冊の本をアリアははこびます
じぶんの家へ、友だちの家へ。(わしこ訳)

日本語版は、明らかに<if the books are to be safe, they must be moved again>を読み違えているようだ。よく読んでみると<もし本が無事だとわかったら、戦争というけだものは、きっとまた、町にもどってきます>は、意味をなしていない。私は、この本を小学1年生にも理解してもらうことを念頭において訳文を作ったので、今こうして書き写してみると、いかにもぎこちないのが情けない。

また、「アリアさんはのぞみをすてない」という表現が使われているところが数カ所あるが、原文では、<wait>である。「アリアさんは戦争が終わるというのぞみをすてません」は、<She waits for war to end.>である。「まつ」と「のぞみをすてない」の違いは微妙かもしれないが、本質的であるように思う。この絵本における<wait>には、理不尽な戦争に対するある強い意志を感じるのである。

日本語版の帯には、<「この絵本が好き!2007年版」(平凡社)ベスト4位!><厚生労働省社会保障会議推薦><やまねこ翻訳クラブ絵本部門対象受賞>という文字が躍り、2007年4月には、第5刷が出版されている。評判になった絵本だけに、これまで何の対応もなされていないことが残念である。

●Jeanette Winter. The Librarian of Basra :A True Story from Iraq. Harcourt,INC. 2005.
●ジャネット・ウインター絵と文、長田弘訳、『バスラの図書館員:イラクで本当にあった話』。晶文社。2006年。

英語でストーリーテリング

「イギリス、ストーリーテリング交流の旅」の出発も迫ってきた。旅行会社からは、「旅行の栞」や「機内持ち込み品の注意」「請求書」などが送られてきて、否が応でも今月末からのイギリス行きが実感される。

昨日は、リアル大学の英語ネイティヴの先生に"Three Paper Charms"(「三枚のお札」)のお話を聞いていただいて、英語をチェックしていただいた。一カ所、不自然な表現を指摘されたにとどまり、一安心。しかし、なんといってもお話を楽しんで聞いていただけたことがうれしかった。たくさんの先生方が出入りする教員室で、私もよくやるよと思ったが、背に腹は代えられない。私自身も楽しんで語ることができた(カンニングペーパーつきだけどね)。

「まて、まて、ふんどししめて…」は"Juuuuuust a moment! Ieeeeeee'm putiiiiiiing on my paaaaaaaants!"とのんびりとぼけて語る場面が気に入っている。

現在のところ「絵姿女房」「指を囓る娘」「三枚のお札」の英語ヴァージョンがようやくできあがっている。先日も、旅行メンバーと我が家で「特訓」をしたのだが、15年以上の経験を持つ語り手ですら、英語で語るとなると厄介なのである。「語り」というのは、原稿をそのまま一言一句暗記することではない。自分自身の「語り口」をもちながらも、お話は聴き手や場によって、微妙に変化するのだ。したがって、自分の中にお話のイメージができていれば、くり返しや歌の部分以外の表現は変わることもある。日本語であれば、さまざまな表現のストックをもっているベテラン語り手でも、英語の表現となると、とっさには出てこない。そういうわけで、まず、「暗記」しなくてはならないのである。お話をイメージして、それにふさわしい英語で表現するのは難しいが、それだけによろこびもある。さて、どうなることか。「仕上げをご覧じろ」というところだ。

『ピーターラビットのおはなし』の初訳を読む(1)

『ピーターラビットのおはなし』の本邦初訳とされる、『日本農業雑誌』(明治39(1906)年11月)に掲載された「悪戯な小兎」の全文を読んだ。新聞記事では「お伽小説 悪戯な小兎」となっていたが、本文には「お伽小説」という語句はない。また同誌翌月号には、「悪戯な小兎 後日談」が掲載されている。両方とも「田園文学」のコーナーに掲載されており、この連載記事の前後には川柳や俳句のページがある。

時代的な制約はもちろん考慮に入れなければいけないが、はたしてこれを「翻訳」とよんでいいのか、ということをまず感じた。「ピーターがマグレガーさんの畑に行って、命からがら戻ってくる」という物語の基本的な路線は外していないのであるが、それ以外では、削除、書きかえ、説明がくり返され、むしろ、ポターの作品を松川二郎が「翻案」したと考えるべきであると感じた。もちろん、このあたりのことについては、同時代の翻訳の状況と比べて考えなくてはいけないだろうが。

新聞記事を見た時にははっきり確認できなかったので、前回のブログには書かなかったのであるが、「フロプシー」が「エロプシー」、「ピーター」は「ペター」と表記されている。さらに、これも原文にはないのであるが、4匹のウサギたちの名前の由来が説明されている。

エロプシーと言ふのを、人間の言葉になほしますれば、駈落者といふ意味で、モプシーは始終ふて口をして居る佛頂面、コツトンテールは木綿の尾(しっぽ)、ペターは旋毛曲(つむぢまがり)の我儘者と言ふ事になるのですけれども、駈落者だの木綿の尾だのと言ふのは、除り可笑し過ぎて人の名のやうでは―否(いや)サいくら兎としても、斯(こん)な名は冗談めいて居て、眞實(ほんとう)の名のやうには思へませぬから、矢張りエロプシーとかコツトンテールとか、兎仲間のことばの儘で呼んで置くことに致しませう。(p59)

ちなみに手元にあるThe Penguin Dictionary of First Names で調べてみたが、Flopsy(Elopsy)、Mopsy、Peterについて、ここに書かれているような記述は見あたらなかった。というより、Flopsy(Elopsy)もMopsyもこの辞書には採用されていない。『フロプシーのこどもたち』の原書出版年が1909年だから、少なくともこの雑誌が出版されている時には出ていないし、件の本では、フロプシーは子どもを愛する母ウサギであり、「駈落者」でもない。しかも、松川は「フロプシー」を「エロプシー」と表記しているのである。単なるミスなのか、意図的に変えたのか気になるところだ。

ピーターたちのお母さんは「未亡人(ごけさん)で、兎の毛の手袋や靴下を編んだり(中略)兎の仲間が甘(おいし)がって喫む巻煙草だのを賣って、小供の大きくなるのを樂しみに暮らし」(p60)ているのだそうだ。また、ピーターたちの「阿父(おとう)さまは知らずに彼處(あそこ)へお這入りになって。懀い懀い杢平爺の爲に桶伏になって御殺されのになったんだからネ」(p60)ということだ。

「桶伏」というのは、江戸時代に行われた私刑の一種で、年貢を払わない農民や金を払わない遊郭の客を桶に入れて見せしめにしたのだそうだ。文化の違いによる訳語の改変や説明をよく調べてゆくとたいへん興味深いが、最後に一つ、石井桃子さんの訳では、確か「かみつれのお茶」になっていた"camomile tea"は、松川版では「熱さましのカモマイル茶―人間ならば葛根湯」(p64)となっていておもしろい。当時は「正露丸」はなかったのだろうかと、余分なことを考えてしまった。(この項続く)

この記事のコピーをとってくださったKSさんに感謝!! ありがとうございました

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