スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

読書記録

とりあえず読んだ本を記録しておこう。

●斉藤洋『白狐魔記 源平の風』(偕成社)★★★
●斉藤洋『白狐魔記 蒙古の波』(偕成社)★★★
●アレックス・シアラー『チョコレート・アンダーグラウンド』(求龍堂)★★★★
●小風さち『ゆびぬき小路の秘密』(福音館書店)★★★★

『白狐魔記』はたぶん単独で読んだら、★四つはついたかもしれないが、間髪を入れずに『チョコレート・アンダーグラウンド』を読んだので、少し評価が下がってしまった。「きつね」についての資料本。

シアラーは、読まなくてはと思いつつ、先のばしにしてきた本。「うまい!」。

『ゆびぬき小路の秘密』は、ファンタジーの中に入れ子のように「タイムスリップ」が起きる、おもしろい構造をもっている。物語は、リアリスティック・フィクションのように始まるのに、どうしてファンタジーだと思いながら読んでしまうのか? 場所なのか? 日本人の作家がイギリスを舞台にして書いているからなのか? とにかく不思議。
スポンサーサイト

『テレプシコーラ』全10巻完結!

ときどき『ダ・ビンチ』を立ち読みしていたため、「千花ちゃん自殺」という衝撃的な出来事も知っていたのだが、やはり、一冊としてまとまったものを読むと、いろいろ考えるところがある。

大地くんが千花ちゃんの遺影を前にして泣いてしまう場面は、電車の中だというのに、不覚にも涙が出てしまった。そして、五嶋先生の「気が重かった」という、思いやりに欠けて冷酷とも思わせる発言に対する、「一緒に悲しんでくれる人があれば感謝こそすれ悪いなんてことは。でも…みんな親をおいて先にいかないでね」という詩織先生の言葉はじんと心にしみた。

「親をおいて先にいかないでね」、確かに。千花ちゃんだけでなく、いじめを苦にして自殺してしまった子どもたちに聞かせてあげたい。千花ちゃんいじめの張本人だったと思われる「高森真由子」は、千花ちゃんの「自殺」については、罪の意識どころか、痛痒すら感じていないことが、残酷にも知らされる。現実にいじめに荷担した子どもたちも「高森」的な心性もっているのだと言われたようで、私は幻想を打ち砕かれた。

でも、最後には六花ちゃんが「トゥオネラの白鳥」を踊ることで、千花ちゃんの死をのりこえて、創造者の道を見いだすところで終わってくれたのが救いだった。第2部はどう展開してゆくのだろう。

「新しい段階」の意味

読書日記を書く暇もおしく、新旧とりまぜあれこれ本を読んでいる。古いところでは、『マヤの一生』(椋鳩十/大日本図書)、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎/岩波書店)などなど。『君たち…』の主人公であるコペルくんは、中学二年生であるが、今どきの大学生にも読んでもらいたい本である。

ところで、『週刊読書人』には、年末に「児童文学回顧:動向・収穫」が掲載される。ここ数年の評者は、ひこ・田中氏である。残念なことに、物理的にも経済的にも、出版される児童文学をすべて網羅できるわけではないので、私は、年末のこの記事をありがたく参考にさせていただいている。さて、「2006年児童文学回顧」では、「大人と子どもの関係が新しい段階にきている兆候を示す作品」として、『荒野のマーくん その受難』(花形みつる/偕成社)『ハーフ』(草野たき/ポプラ社)が挙げられていた。さっそく『荒野のマーくん』をユーストで購入して読んだ。

ある日、見知らぬ少女がマーくんの家を訪ね、マーくんのパパに向かって「あたし、あなたの娘です」(p16)と言い放つところから物語は始まり、ママのいない(実家に帰ってしまった)マーくんとパパのほぼ2週間にわたる生活が描れている。ところが、このマーくんのパパがとんでもないのである。読みながら、「未熟なおとなであるパパ」「マーくんにたよる情けないパパ」に付箋を貼っていったら、本は、すごいことになってしまった。しかも、付箋の数に正比例して、だんだん腹立たしくなっていったのである。

先日、ここでも触れた『マリオネットディズ』には未熟でジコチューな非可塑的母親が描かれていたが、『荒野のマーくん』では、その父親版が登場する。この二つの作品は、ある意味で表と裏だろう。とにかく、読んでいると、これでもか、これでもかとパパの「無能ぶり」や「未成熟な子どもっぽさ」を見せつけられて不愉快だった。

パパの描かれ方が極端でリアリティに欠けるため、「戯画的でおもしろい」と思う人もいるだろうが、この作品もある意味現実を映し出していると考えると、ひこ・田中氏のように冷静に「新しい段階」にきているなどという状況分析はできない。「これまでの大人は、子ども時代を振り返りながら語ったり、子どもの側からもの申したりしてきた」(同記事)のが、「新しい段階」を受け容れている(受け容れざるを得ない)マーくんがあまりにも気の毒だからだ。また、この関係が「新しい」のであるならば、本なんか読んでいないで、現実を変えるために何ができるのだろうかと、しばし、考えてしまった。

文庫化された『穴』(ルイス・サッカー)を再読したため、さらに、Stanley Yelnat's Survuval Guide to Camp Green LakeSmall Stepsを読んだ。アメリカの作品は、リアリズム系のものでも「ほら話」っぽいところがあるが、これも例外ではない。Small Stepsはグリーン・レイクキャンプのアームピットとX=レイの後日談である。最後まであきさせず読ませる力は、さすがルイス・サッカーである。

学生の輝きに希望をみる

木曜日、「英米児童文学」の授業が最終回をむかえた。この学校は、年明けに一回授業をすると、そのまま試験期間に入ってしまうので、いつも「おめでとう。さようなら、お元気で。」ということになってしまう。というわけで、4コマの授業が今週で最終回をむかえた。

7限の「英米児童文学」は、時間も遅いし人数も少ないこともあって、和気藹々とした雰囲気がよい。学生たちもうち解けてきて、授業のはじまりには、おみやげの交換有り、絵本の見せあいがあったりして、笑い声やおしゃべりが絶えない。しかし、切り替えが早く、授業が始まるとちゃんと集中してくれるのはありがたい(大学なんだから当然なんだけど。そうでもないところもあるんだ、これが)。

後期の後半は、絵本論のためのプレゼンテーションを主体にしての授業だったのだが、ひどいときには一回で5人のプレゼンをしたこともあった。プレゼンテーションの流れとしては、①絵本を読む②作家についての説明③自分の意見を述べることになっている。その後、ギャラリーからは意見や疑問が出され、活発な意見交換があり、時間配分に苦労したものだ。なんといっても、T沢、Cヶ碕など遠距離通学者もいるのだ。

先日は、プレゼンターの3人が3人とも長い絵本を読み、それぞれが思いを語り、ギャラリーが積極的に発言したので、最後の『おやすみなさいフランシス』は、まだ読み終わらないうちにチャイムが鳴ってしまったのである。しかし、読み手も聴き手も動揺することなく、粛々と「読んで」「聴いた」。私は、その学生たちの姿に感動した。先を急ぎたい気持ちも有るだろうに、最後の最後まできちんと授業を創ってくれたのである。おまけに、集合写真まで撮ったのだ。

このような学生がいるとは、まだ捨てたもんじゃないなと、うれしくなった。ありがとう。

シャロン・クリーチ『Love That Dog』を読む

どこかで読んだのかそれとも聞いたのか、もはや記憶は曖昧なのだが、金原瑞人さんが翻訳のクラスで教材に使っているらしいLove That Dogを読んだ。

SEPTEMBER 13

I don't want to
because boys
don't write poetry.

Girls do.

うっかりものの私は、ここを読んで、頭が「?」でいっぱいになってしまった。"I" を自分のこと、つまり「女の子」と読んだのである。日付のエントリーの上には、JACK とあったのに。

9月13日

いやだ

男は
詩なんて書かないものさ

女は ちがう

ストレッチベリー先生の詩の授業(アメリカではlanguage art というんだろうな)で、ウィリアム・カルロス・ウィリアムの詩を紹介され、自分たちも詩を書くことを奨励されたと思われる男の子の日記らしい。

詩なんて解らない、詩を書くなんていやだと思っていた少年が最終的には、自分の好きな詩人を見つけることができるほどに「詩」に喜びを感じるようになる物語の裏には、「愛犬の死」を詩として昇華させるという、つらい体験を対象化する過程の物語がある。この表と裏の物語は、あざなえる縄のように、絡みあって螺旋を成している。

しかし、形式面をも含めて「詩」の本質に迫ろうという意図があるため、読者には積極的に物語を「読む」をいう行為が求められる。読者が参加しなければ、少年の内的独白はその美しさを見せてくれない。

短い文が語単位で詩のように積みかさねられる詩的表現のために、読者の前には、まず一つ一つの言葉がゆっくりと屹立する。そして、読み手が作りだす言葉の共感や振幅に比例して、少年の内面の物語がストレートにつくられてゆく。

Yes, you can put the two blue-car poems on the board but only if you don't put my name on them.

このように一文で書いてしまえば、なんの抵抗もなく読めてしまう「普通の文」が、8行に分けて表記されると、少年の「詩」(自分の書いた二つの詩)に対する逡巡や愛着がじっくりと姿を見せてくれるのである。



2007年

新しい年の訪れを言祝ぎ、みなさまのご健康をお祈りいたします。

2007年を迎えたにもかかわらず、あいかわらずの日常です。まず、起床後、E=ラーニング大学にアクセスして、レポートの添削をしました。5つのレポートが到着していました。

2日から出かけるので、自宅でのお正月の支度は最低限の用意です。今日は、10時頃にシャンパンでお祝いです。

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

月別アーカイブ

最近のコメント

プロフィール

わしこ

  • Author:わしこ
  • 無断転載ご遠慮ください。
FC2カウンター
最近の記事
カテゴリー
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。