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風邪をのりきりたい!

今週の火曜日あたりから、「のど」がひりひりし、熱っぽい。水曜日は、どうしてもはずせない「約束」があったので、イソジンでうがいをし、葛根湯を飲んで、のど飴をなめて何とかのりきった、と思う。しかし、そのあとも、授業は3コマ(二日にわたって)残っている。

昨日、ふらふら状態で4限を終えたあと、「リンパマッサージ」に行った。リラックス・オイルを使って全身のリンパ節を流してもらうマッサージは、贅沢だけれど「生きかえった」ような気持ち。のどが痛く、声がかすれる以外は問題なし。7限はとても元気だった。

あーあ、しかし、今朝ものどが、、、。さっそく、イソジンでうがいをして、さてと、思案する。今週最後の授業、車で行こうか、それとも電車を使おうか考えている。なんといっても往復160㌔。体調が万全でないときは、反射神経にくるから運転は避けたいところ。湾岸線を走ってくるのは、とてもいい気分だが、こういうときにはいささか疲れる。

先週、7限ですばらしい論文を読んだ。比較のために、今週は「×論文」を読んだ。「×論文」など読んではいけない。だんだん不愉快になる。この人は、いったいこの作品を愛しているのだろうか、この作品を楽しんだのだろうか、と大いに疑問を持ってしまう。確かに、論文やレポートは感想文とは違うのだけれど、でも筆者の対象作品に対する「思い」は伝わるのだ。受講生のみなさんも、「○論文」と「×論文」の違いにびっくり。プリントされている「論文」には「×」などないという「思いこみ」も取っぱらってほしい。

ちなみに「○論文」は、灰島かりさんの「内面への深い旅:『かいじゅうたちのいるところ』の表紙を考える」(『絵本をひらく』人文書院刊)
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いろいろなことが…

10月25日発売予定の著作の「見本刷り」が送られてきた。あー、やっと本になった。「うれしい」気持ちや「達成感」というより、緊張感が大きい。これでいいのだろうか、という恐ろしさにも似た気持ち。

しかも、すでに「ミス」を見つけてしまった。全くの不注意からのミスなのだが、おのれの無知をさらすようなミスで、落ちこんでいる。「まあ、いいさ」と開き直ることもできない。

『くまのオルソン』を子どもと読む

先週、山形県鶴岡市のC小学校の研究授業に出かけてきた。いままでは「おまけ状態」でくっついていき、授業は、のんびり見学させていただいていたのだが、今回は「研究授業」で子どもたちにコメントをという要請を受けた。それ以外にも、2年生、4年生のクラスで、語りや絵本をわかちあう機会も頂いた。日常的に子どもたちに接する機会がないので、C小学校でのこのような経験は、たいへん貴重で、今回もまた新しい発見があった。

7月7日の日記に、学生と『くまのオルソン』(ラスカル文/マリオ・ラモ絵/堀内紅子訳/徳間書店)を読んだ経験を書いたが、鶴岡の子どもたち(小学校1年生、2年生)の『くまのオルソン』の結末についての受けとめ方には、大きな示唆を受けた。

『くまのオルソン』は,「オープン・エンディング」を持つ作品である。ぬいぐるみのこぐまが、「いきたくまのこ」になるのを祈って、大グマのラスカルがともに過ごした9ヶ月。その最後の日、ラスカルが「いきたくまのこ」にならなかったこぐまをそっと樫の木の根元に戻し、冬ごもりのために洞穴に入ってゆこうとしたその瞬間、小さな声が「ねえ、ちょっとまってよ、オルソン」と呼ぶ。

私たちは、この瞬間に何が起きたかを察し、そして、これから何が起きるだろうかを思いめぐらせ、安心して物語を終えることができる。しかし、私が絵本をわかちあったちいさな人たちは、ここで終わると怪訝そうな顔して、「えっ、もう終わり?」「続きはないの」と不満げな顔を向けたのである。

ちょっとびっくりした私は、「続きはみんなで考えてね」といったのだが、子どもたちからは不安な表情が消えなかった。そこで、「オルソンとこぐまは、ずっとしあわせにくらしました」と急いで付け加え、物語を終えたのである。

このエピソードは、私たちは、豊富な物語体験のなかから、あるいは、おとなの知恵で、オルソンの物語を自分なりにハッピーエンドで終わらせることができるということ、けれども、物語体験の少ない子どもたちには、きちんとした「幸福な結末」を伝えなくてはいけないということを示唆していると思う。

子どもたちは、数多くのハッピーエンディングを経験しなくては、ハッピーエンディングを確信できないこと、また、ハッピーエンディングは、文字通り「幸福な結末」であって、幸福な結末がなければ、子どもたちにとっての物語体験ではない、ということではないだろうか。さらに、子どもたちが幸福な結末を物語で体験することにより、自分の人生を自ら進んで歩いてゆく力を獲得できるのだろうということも感じさせるエピソードであった。

また、「と、そのとき、『ねえ、ちょっとまってよ、オルソン』こぐまがちいさなこえでオルソンをよんだ」と終わる結末は、日本語のもので、英語版は"He had scarcely taken three steps inside his door when a little voice called out to him. It wouldn't be a lonely winter after all!"となっており、微妙な違いが見つけられる。しかし、オリジナルはフランス語である。原書の結末は、どのように書かれているのだろう。気になる。

授業風景

月曜日に出講しているK大学は、勉強嫌いの学生が多いのが難点だが、彼らは、人なつこくてかわいいので、怒りきれないのが困る。授業中というのに、私の着ている服にまでつっこみを入れてくる。そのタイミングたるや絶妙で、思わず私も笑ってしまい、教室中が笑いの渦に巻きこまれることもしょっちゅうである。まあ、私がいいようにからかわれて、笑いの種にされているのだけれど。

軟式野球部に所属のガタイのいいA君は、何回言っても辞書を持ってこない。最近は、教室に行くと、彼の鞄を覗いて辞書を捜すのがおきまりの行動である。一時は、「(福岡の)かーちゃんに言いつけるから、ケータイ貸して」と迫っていた。全然効き目なし。

ほとんど欠席がないクラスなので、欠席者がいると、友人や知り合いに電話をしてもらい、様子をうかがう(ペアで作業をしているので、突然休まれると困るからでもある)。昨日は、先週調子が悪かったO君がお休みだった。私が電話に出ると、みんなびっくりした様子で、やりとりを伺っている。風邪で休みだと聞いたので、「ちゃんとご飯食べて、しっかり眠るんだよ!」と電話を切ったら、「おかーさんみたい!」という声があがった。まぁ、年齢的には、そうかもしれない。

ある意味、和やかな雰囲気で授業が始められるのだが、なかなか進まない。思わず「かったるい!」と口走ったら、すかさずつっこまれる。「あんたたちがしっかりしないからでしょ!」と斬りかえしておいたけどね。

昨日は、子トラ柄のトップスを着ていることを指摘されたが、よく考えると、K大学には、トラ柄らヒョウの斑点柄の服を着てゆくことが多い(かもしれない)。自分の気弱さを「トラ」や「ヒョウ」を着て、覆い隠そうとする深層心理がはたらいているのかしら……。しかも、the leopard that lost a spotを教材に使った昨日はできすぎ?

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