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読了!

夫が夏場所巡業中なので、どうしても生活時間が不規則になる。夜中の3時過ぎに目が覚めて、そのままずっと読書にふける、ということもしばしばだった。ネットだけでなく、実物のレポートがどさりと届く(絵本のわかちあい体験の記録)。ちょっと目を通したところ、とてもよいレポートが続々と出てくるので、ワクワク、ドキドキしている。

今年の学生は(というか3年生は)、例年になくいつもざわざわして、何回か「怒り」、個人的に注意もしたので、あまりいい気持ちで授業ができたとは思っていなかったのだが、レポートの出来はよいらしい。とにかく彼ら(3年生)は、聞くところによると、さまざまなクラスで教員に「うるさい!」と怒鳴られることもあったようだ。「私たちは静かにしてるのに、怒られ損」とは、私の授業では前の方に座っている学生の弁だが、やっぱりと納得したものだ。ひょっとしたら、学生の質が変わってきてるかも。

1年生の基礎演習で、ほとんど出席していなかったため、配った資料も持っていない学生が、本を読んでいるのに気づいて取りあげたことがあった。不愉快だけれど「出席していなければ、単位を認めるわけにはいかない。授業に参加していなければ、もちろん出席にもならない」と伝えた。終了後、その学生は私と接触することなく帰って行った。いままでだったら、謝りにきたり、そうでなくても、資料がほしいといってきたり、取りあげられた本を返してもらいに来たりするはずなのに、いったいどういうこと?

閑話休題。

仕事以外の読了本

●『センセイの鞄』(川上弘美/文春文庫)淡々とした恋愛小説のように見えるのに湿度を感じたのはなぜ?
●『百人一酒』(俵万智/文春文庫)俵万智って、酒飲みだったのね。上等なワインをたくさん飲んでいるようでうらやましい。『サラダ記念日』より、早20年、彼女は母親になった。
●『川の名前』(川端裕人/ハヤカワ文庫)夏休みの自由研究が発端になって、最後は川を下る冒険小説になってしまった。少年たちが魅力的。
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学校司書の実践記録

現役の学校司書である五十嵐絹子さんの実践記録『夢を追い続けた学校司書の四十年:図書館活用教育の可能性にいどむ』(国土社)が出版された。五十嵐絹子さんは、先進的な図書館活用教育で知られる鶴岡市立朝暘第一小学校の学校司書である。

この著作は、平成14年に「学校図書館大賞」を受賞した朝暘一小の図書館活用教育を学校司書である五十嵐絹子さんの目からつづった記録であり、また、五十嵐さん自身の学校司書としての歩みの記録でもある。「たいへんだったけどいい思い出」として書かれているのではなく、「子どもの学びの質を高めるために・・・教育創造のヒントとなり、子どもたちの明るい未来へ向けて、進んでいく力や励ましに」なってほしいという思いに支えられたためか、書きづらかったこともあるだろうに、丁寧に誠実に筆が進められ、そのお人柄もうかがえる。

学校という組織の中で、学校司書という位置はきわめて微妙である。図書館に閉じこもってばかりいないで、午前中は職員室で事務の仕事を手伝うように言われたこともあったらしい。鶴岡市では昭和41年から大規模校に限って学校司書を配置している。確かにこれは、現実のほとんどの学校の状況を見る限り、たいへんうらやましいことである。しかし、学校司書が配置されているからといって、ことはそれほど簡単ではなかったことが、このエピソードからわかる。教師の学校図書館に対する理解や知識がなければ、図書館は十分に活用されないのだ。朝暘一小の活動がここまできたのは、校長主導のもとに全校的にとり組んできた結果であると思うし、五十嵐絹子さんの地道な働きかけと図書館に対する真摯な思いが実を結んだのであると思う。

この著作は、いまあちこちで育っている学校図書館運動へのうねりに光をあて、励ましをてわたしてゆくだろう。それは、この著作が子どもに対する信頼と「読書があなたの人生を支えるのだよ」という熱い思いがほとばしる謙虚なメッセージにあふれているからだ。

学校図書館研究会

夫主催(妻料理人)の学校図書館研究会に「おみそ」で参加させていただく。でも無知をさらけ出して、一番いいたいことをいっているのは私かもしれない。すまん。

『学校図書館研究』に掲載された「『学校図書館の手引き』作成の経緯」という論文の報告がK先生よりなされる。これは、敗戦後、アメリカ主導のもとに行われた「教育改革」の流れの中で、「学校図書館」を作るための『手引き』が作成された事情を丁寧に追ったリサーチ・ペーパーである。この『学校図書館の手引き』作成の事情を知ることは、日本における学校図書館制度が確立してゆく歴史を知ることにもなる、らしい。

私にとっては、はじめて知ることばかりであったが、学校図書館の事情や学校図書館の認識は当時(1947年)と変わらないことについてはたいへん残念に思う。図書館を活用した教育がどのようなものであるのか、いま、ようやく一部でその重要性が理解され、実践されはじめたばかりなのだから、『手引き』の編集委員や文部省が理解していたとも思えないのである。

学習センターとしても読書の場を提供する場としても、学校図書館は充実させなければいけないと思う。私が小学生だったころの学校図書館は、ほとんど「開かずの部屋」だった。高学年になったときに<ナルニア国物語>やリンドグレンの作品にであったのは、読書教育に熱心な担任が自分のポケット・マネーでそろえてくれたからだったと思う。ただし、岩波少年文庫にであったのは、あの薄暗いほとんど開館することのなかった学校図書館だったような気がする。あのころ、いつも図書館が開いていて、学校司書がいてくれたら、私の人生もちょっぴり変わっていたかもしれない。

<本日のメニュー>
●アボカド・ワカモーレソース/クラコット
●ゴーヤとプチトマトのサラダ
●スモークチーズの豚肉巻き焼き(やきとりMのパクリ)
●鶏もも肉の自家製味噌焼き/野菜添え/玄米ご飯
●白ワイン/紅茶/ワインゼリー

最近、手を抜いてガーリックラスクを作っていないなぁ。K先生より自家菜園の野菜を頂きました。ありがとうございます。

レポート・レポート・レポート

あいかわらず添削の毎日であるが、今学期はそれほどストレスがたまらない。これは、すぐれたレポートがたくさん提出されているからだ。レポートの域を超えて論文といえるものもある。「ひょっとして同業者?」と思われるレヴェルの高いものも提出されて、ほんとにびっくりした。問題意識の深さ、論旨のたてかた、資料の使い方に「プロの技」を感じたのである。何を教えることがあるんだろう、といいつつ「再提出」していただきましたが。まぁ、この学生さんは、別格かもしれないが(ほかの科目でも優秀なレポートを書いているらしい)、それにしても、こんなに良いものが出てくるなんて、感激! 

レポートに触発されて、サトクリフの『運命の騎士』を再読した。これは、ノルマン人とサクソン人が同化してゆく11世紀後半を舞台に、孤児である犬飼いの少年ランダルが騎士となってゆく過程を物語ったものである。読み出したらやめられなくなってしまい、明け方3時過ぎからずっと読んでいた。サトクリフの文章は、緻密でしっかりと組み立てられていて読み応えがある。風景描写と色彩感覚は秀逸だ。あぁ、またサトクリフを読みたい。この猪熊葉子さん訳はすぐれていると思う。

レポート添削中に資料として作品を読み返したり、文献を調べたりすることはあっても、レポートに触発されて読み直すということはめったにない。このレポートの作品分析が明晰で、日本語としても読ませるものだったからだ。こういうすぐれたレポートを「レポート」のままにしておくのはとてももったないので、何か良い方法はないかとメディアセンターに相談したら、ブログを作ることを勧められた。ええっ! 本名でブログ書くのもちょっと抵抗あるし、非常勤講師だし、愚痴は書けないだろうしで、迷っている。

このところのブログのエントリーがすべてレポートがらみであるということは、やはり、「ストレスがたまっていない」とはいうものの、添削がストレスになっているからだろうし、ここで「書く」行為を通じて、ストレスを発散させているにちがいない。さて、どうしたものか。

レポート

レポートの締め切り(14日)には、山のようにレポートが押しよせ、髪を振り乱しつつ添削をしていた。おかげで目はしょぼしょぼするし、Kim読書会では、細かい字が読みにくかった。こういうとき「衰え」感じるこのごろである。

今学期はさらに学生数が多くなっているので、コメントをつけて「再提出」をくり返すのは避けたいところだが、そうもいかない。やっぱり、相変わらずの添削風景である。しかし、その中でうれしいのは、読みごたえのあるすぐれたレポートがたくさん提出されていることだ。先学期の不作を補ってあまりあるほどの出来だ。うれしい。「新しい段落では一字下げて」などという情けないコメントもつけなくてはいけないのだが、ほんとうに心から「おもしろいですね」と書けるよろこび。こういうのが教師を育てるのだと、しみじみ思う。お願いだから「これっきり」にしないでくれ!

それでも、まだ水準点に達し完成したレポートは少ない。これからも添削の日々が続く。

課題図書の選択

レポートの締め切りが近づいているので、朝起きると、まずパソコンを起動し大学に入り、レポートの着信を確認する。可能なものは速やかに添削することにしている。資料を読み直したり、作品にあたったりしなくてはならないものもあるからだ。レポートのための課題図書はかなり広い範囲を網羅しているが、学生がレポートの題材に選ぶ課題図書にはばらつきがある。今期は圧倒的に「ナルニア国物語」が多い。いままでも「ナルニア」を選ぶ学生は多かったが、今期はとくに多いのである。映画化効果であろうか? たぶん。

ところが、「ナルニア国物語」で出てくるレポートが総体的に出来が悪いのである。おそらく、映画化されたから、いろいろ話題になっているから「『ナルニア』だったら何とかなる」と安易に選んだ結果だろう。「ナルニア」でレポートを出したほとんど(出来の悪いレポート)からは、作品を楽しんで読んだ、という気持ちが伝わってこないのだ。作品を楽しんで読んでいないから、「宗教性」「子どもの想像力」「子どもの読み」などという視点から論じることになる。作品とレポート制作の間に「自分」が介在してこないのである。自分の問題意識を深めることができないまま、既製の「ものさし」で論じようとし、ただの解説、あらすじの紹介になっている。

子どもの本を楽しむことができなくては、子どもの読書生活に関わろうとする仕事など選ぶべきではない。

「児童文学なんておとなが読むものではないと思っていたのですが、読んでみたらとてもおもしろかった」という学生が、一学期に何人か出てくるが、このような学生がいてくれるから、添削もがんばろうという気持ちにもなるのである。

 

人形物語を読む

このところずっと人形物語を読んでいる(再読もあり)。読みながら、私はずっと自分に「なぜ人形物語に魅力を感じるのか?」「なぜ人形に魅かれるのか?」と問いかけていた。これは、まさに人形が「ヒトガタ」であり、私はどうやらその人形が「魂をもつこと」を望み、信じているのではないかと考えるようになった。

『アナベル・ドールの冒険』(アン・マーティン ローラ・ゴドウィン/偕成社)もおもしろかった。100年前つくられた人形の家に住む、陶製の人形の一家の物語。人形や人形の家の所有者は成長し、代替わりしてゆくが、人形たちは生まれたときそのままである。アナベルは、ある時、45年前(!)行方不明になったサラおばさんの消息が気になり、探し出そうと決意する。おりしもそのころ、新しい人形の家がプレゼントとして持ちこまれ、アナベル一家には「お隣さん」ができることになった。新しい人形たちは、新しい時代に作られたせいか、その素材や家の家具調度やら何もかもがアナベルたちとは違っている。アナベルと友だちになるティファニーの一家はなんとプラスティックの大量生産からなる人形なのだ。したがって、彼らが魂を獲得する秘技のような方法も、大量生産的で神秘性も薄れている。

アナベルとティファニーが二人で出かけるサラおばさん探索が物語の後半部分の山になってくるのであるが、サラおばさんを含めアナベルもティファニーもアリエッティの正統な継嗣であることが確認できる。すると、小人と人形はどうこがどう同じで、どう違うのかしら、、、。

作品を読み進めるうちに、人形や無生物が魂をもつことにいかに作家が興味を持っているかがわかり、興味をそそられた。ここをもう少し考えてみよう。

また、午前様!

木曜7限の例のメンバーとまた飲んで帰った。来週はクラスのコンパだというのに、H君たら授業前に「前夜祭だから・・・」とかいって、私をすり込んだのだ(と、人のせいにして、いけないヤツ、私って)。普段は、9時45発のW号に乗って帰るのであるが、最終の急行に乗った。また、午前様だった。

このクラスは、軽いレポートのほかに三回に分けて「絵本評価シート」を書いてもらい、出てきたものは、短いコメントをつけて返却している。すると、回を追うごとにだんだん出来がよくなっているのだ。学生もフィードバックがうれしいと言ってくれた。コメントといっても、「?」「○」「ここ深めて!」など長いコメントではないのだが、それでも赤が入って、読んだことがわかるのが励みになるらしい。今日は最後の提出があり、欠席者一人をのぞいて全員提出。なかなかおもしろいものがでてきて、これもうれし。

今日の絵本は、『くまのオルソン』『とりかえっこ』『スイミー』。読み手はすべて男性。『くまのオルソン』が読み終えられたとき、「ほっ」というため息が漏れ、自然に拍手がわいた。とても幸せな気分になった。「やりにくいな」とつぶやいて読みはじめられた『とりかえっこ』は、『くま・・・』とはまったく違った世界が展開されたので、教室には笑い声が起こり、また違った空気が流れた。なんだかとてもいい意味で感覚がくすぐられて、「議論」って感じではなくなったのもいい体験だったかも知れない。こんな時に「感想は?」なんて野暮なことは聞きたくない気分だった。

●『くまのオルソン』(ラスカル マリオ・ラモ/徳間書店)
●『とりかえっこ』(さとうわきこ・二俣英五郎/ポプラ社)
●『スイミー』(レオ・レオー二/好学社)

あれや、これやと

あれや、これやとうろうろしているうちに7月に入ってしまった。レポート提出がはじまったが、きびしいと評判になっているらしく、出足は遅い。「レポート」を作品解説、感想文、断片的な情報をまとめたものだと思っているらしい。あれほど口を酸っぱくして言っているのに、、、。朝から脱力である。

最近、立て続けにアボカドをワカモーレソースにて食している。これが最高! 昨日は、大航海K先生菜園から頂いた、とれたての「きたあかり」(馬鈴薯です)の上にのっけて、白ワインとともにいただいた。ソースにはトマトをダイスにして入れこむ。おいしかった! K先生、ごちそうさまでした。

石原千秋著『大学生の論文執筆法』は、『学生と読む『三四郎』』のレポートの書き方部分をヴァージョンアップした著作。第一部「秘伝 人生論的論文執筆法」、第二部「線を引くこと」ともに面白い。第二部は、「線を引くこと」(二項対立を作る)をキーワードに、論文を読み解いて見せているが、そこには「書く」ということも意識されている。来学期の必読文献になるのは間違いないであろう。そのほか、廣野さんの著作にも大いに刺激を受け、満足感をえる。うれし。必要あって、人形物語を読み進めている。

寒い頃仕込んだ味噌の天地返しの時期がやってきた。塩の量を間違えてしまい、何とかならないものかと考えていたが、この時期に、塩の量を加減した味噌を新たに仕込んで、一緒に混ぜては、という「技」を思いついた。麹を注文した味噌屋さんに相談したら「大丈夫」とのこと。今日は、味噌を仕込みます。

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