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絵本を読んで育つ

学生たちの話を聞いたり、授業のレスポンスカードから察すると、どうやら、『かいじゅうたちのいるところ』 『ぐりとぐら』 『三びきのやぎのがらがらどん』 『はらべこあおむし』などの絵本たちが、彼らの幼い頃の定番絵本になっていたことが実感できる。つまり、1990年前後に、これらの作品が、ようやく絵本の古典的定番として定着したのではないかと推測されるのである。きちんと統計を取っているわけではないし、私がつきあっている学生のことを一般論として考えることは危険ではあると思うのであるが、幼稚園の運動会の参加賞に『ぐりとぐら』をもらったという思い出を報告してくれた学生もいる。

「絵本」がこの世に生まれることと、「定番になること」までには、膨大な道のりが横たわっている。定番になるどころか、あっという間に、「品切れ、絶版」になってしまう絵本の方が圧倒的だろう。子どもたちが楽しみ、そして、その子どもたちが親になって手渡す。はじめは細々と、その絵本の真価を理解し、伝えたいと思う人たちが、一冊ずつ心を込めて手渡して来たから、こういった状況が生まれるのである。

木曜7限は、『がらがらどん』の話で盛りあがった。子どもの読書の特徴として、「主人公に同化して読む」という話から、自分たちの体験が続々と出てきたのである。「私は小さい頃、大きなヤギになっていた。大きなヤギがかっこよかったから」「大きなヤギはおとうさんだった」というように、主人公と同化して読んだとしても、その読み方はさまざまだ。いずれにしても、そのときの自分の有り様と重ねあわせて読んでいることが興味深い。

『がらがらどん』の「遊びページ」に描かれた谷川の景色を「トロルががねんねしているところをよく見せて」といって、この絵本を楽しんだ子どもの話をしたら、TFさんが「背筋がぞくっとした」と言った。幼い子どものまっすぐに絵を見る鋭い視線に、教室には深い感動が生まれた。その子どもは、この「遊びページ」をよく見て、確認して『がらがらどん』を楽しんだのだろう。このページを見ることで安心して、冒険の世界に入っていったのである。このページは、彼にとっては心強い「冒険の道連れ」であったのだ。
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コンサートなど

ポワントのレッスンをパスして、MMホールに急ぐ。いつも5分ぐらいは開演が遅くなるのであるが、今日は6時ぴったりに始まってしまい、席までゆけずに、一曲目は、後ろの席で待機。

今日の目玉は、ドボルジャークのバイオリンコンチェルト(とても若い女性であったが、力のある音を出していた)とレスピーギの「ローマの祭」。「ローマの松」は過去二回ほど聞いたことがあり、結構お気に入りの曲であるが、「祭」の方は初めて。なんという大編成。金管、パーカッションはきっと「トラ」をよんだのだろう。ファンファーレ、ティンパニの力がこもる演奏に、あっという間に引きこまれる。疲れてあくびが出ていたのだが、眠気が吹っ飛ぶような大迫力。この曲は、コンサートで聴かなければ、おもしろくないだろうと思う。

春休み太りしている私は、「アフターコンサート」は、楽しみでもあるが、後がこわい。でも、「サヴァティーニ」でカルパッチョ、ブイヤベースなどを二人でシェアし、ワインもしっかりいただいた。体重計に乗りたくないよう。

バレエ・ポワント

先週、バーに捕まってピルエットの練習をしたと思ったら、今日はいきなりセンターでピルエット。「えっーー!」と思うが、やるしかない。先生は「大丈夫できるよ」とおっしゃってくださるのだが、こわい。バレエシューズでピルエットをするのと基本的に変わらないのだが、なぜポワントになると「こわい」のか、、、。

これまでバーを頼りにしてのレッスンがほとんどだったのだ。ポワントでのセンターレッスンは、ほとんど初めてといってよいぐらい。上級者のAさんと一緒だったので、勢いで乗りきったお稽古であった。

足も痛い。最後のピケターンは、バレエシューズで回る。上体を引きあげていても、体重はポワントにかかるわけで、センターで踊るためには体重を減らさなければと実感した。

今日は、朝からポワントのひもの位置を微妙に調整するために、なれない針仕事。

バレエのレッスン

4月から、クラシック・バレエの火曜日担当の先生が交代した。この先生は、現役のダンサーで(若い!)、てきぱきしていて適度にきびしい。ほとんどの先生が、「スポーツクラブのカルチャーだから」と思っているのかどうか、特に初心者には、あまり多くを要求しない。ところがこのK子先生は違う。きちんとしたあるべきポジション、姿勢を求める。もちろん「すぐにできないのは当然だけど、本来の姿を知ってほしい」という、フォローも忘れない。

お稽古には適度の緊張感が流れ、かつての火曜日とは全く違うクラスになった。終了後、仕事が控えているのだけれど、何とかがんばって参加したい。火曜日のお稽古で「たくさん」汗をかくのはひさしぶりだし、なんと、今日は「おしり」に筋肉痛がある。使ってなかったってことね。反省。

「プチ鬱」で引きこもり状態だったために、またまた、体重が増えていたのであるが、ひきしめようっと。

『Kim』読書会

Kim 読書会。Sさんが膝の痛みを訴えてお休み。当分二人でやってゆくことになりそう。まだ、第一章をうろうろしているが、第一章は、次回で終了し、第二章に入る予定。歴史的背景、文化的背景、地理的背景などなかなか一筋縄ではいかない。英語も難しいし。しかし、だんだんおもしろくなってきている。

<本日のメニュー>

●ヒジキと香菜の炒め物
●ゴーヤチャンプルー
●豚トロ焼き/トマト
●茶そば
●ニセビール(円熟←なかなかよろしい)/日本酒(竹の露大吟醸蔵古流)/黒糖焼酎(えらぶ)
●パイナップルのシャーベット、紅茶

バッハの永遠に天上を志向する音楽を聴いてまったりする。日本酒がおいしくて、すいすい飲んでしまった。やばい! 食事は「メニュー」などとはよべない家庭のお総菜。香菜大好き!

『あなたがうまれたひ』

「英米児童文学」の授業の導入に『あなたがうまれたひ』を読んだ。読んでいる間は、教室はしんとなり、みなが身体中で言葉を受けとめてくれるのがわかった。授業が終わったあと、何人もの学生が「とてもよかった」とリスポンスシートに書いてくれたり、自らその思いを伝えに来てくれた。うれし。

この作品は、一人の人間の誕生を宇宙の神秘的なめぐりあいのなかで祝福し、語ったものである。「あなたがうまれてきてとってもうれしい!」と。学生たちは、絵本を読みながら自分も「あなたがうまれてきてとてもうれしい!」といわれて育ってきたことに、気づき、よろこびも感じたのだろう。

すぐれた子どもの本には「あなたがうまれてきてとてもうれしい」というものがなくてはいけない、というのが今日のテーマ。このメッセージこそすぐれた子どもの本を作るのであると確信している。

もちろん「あなたがうまれてきてとてもうれしい」という思いは、ときには(とくに大きくなると)、「ぅるせーんだよ」と感じさせるようなヴァリエイションを生みだすのであろうけれど。

<今日の絵本>
●デブラ・フレイジャー、井上荒野訳、『あなたがうまれたひ』。福音館書店。1999年。
●ジョン・バーニンガム、たにかわしゅんたろうやく、『おじいちゃん』。ほるぷ出版。1985年。
●谷川俊太郎作、長新太絵、『えをかく』。講談社。2003年(新装版)。




やられた! 『カフーを待ちわびて』

「第一回日本ラブストーリー大賞」に選ばれた『カフーを待ちわびて』を読了。午前3時過ぎに目覚めてしまい「これはまずい」と、二度寝のためにと思って、この作品を手に取ったのが間違いだった。二度寝どころか面白くて、やめられなくて、一気読みしてしまった。これは私が買った本ではなく、夫がさりげなく「ハイ」って渡してくれたもの。

もったない! もっとじっくり楽しみたかった! 途中から「これは面白い」から、先を急がすに、じっくり読むのだぞと言いきかせて、右ページを読んでいるときは、左ページを隠していた。

沖縄の与那喜島が舞台である。主人公の明青は祖母から受けついだ島の万屋を経営しながら、のんびりと暮らしている。一度だけ、出かけた北の島で、絵馬に「嫁に来ないか。幸せにします」と書いた。しばらくすると、幸と名乗る清楚で美しい女性が明青のもとを訪れ、「よろしくお願いします」といって明青の一人暮らしの家で暮らしはじめるのである。まるで、「絵姿女房」のような始まりだ。たしかに、おとぎ話のようなラブストーリーである。

最後の最後まで引っぱってゆくストーリーの構成力はすごい。また、沖縄=心やさしき人々の住む地というステレオタイプにも依拠することなく、小さな島が生き残ってゆくには、「観光産業」に身売りする現実も見せている。でも、やはりおとぎ話的な幸福感はある。

幸をはじめとして明青の周りにいる人たちもすてきだ。明青の人間でない友人の犬もいい。隣に住む巫女のおばあも魅力的だ。

白雪姫は王子のキスで

英文科一、二年生の授業が始まった。あいにくの雨だったが、二クラスとも全員出席。二年生は、男子学生が6人もいることに感動してしまった。去年は、たった一人だったのだ。

今年の一年生は、昔話を原典で読むことになっている。さっそく「白雪姫」を語る。お后が鏡に向かってたずねるところを、歌でやろうかと思ったが、音をはずすと恥ずかしいのでやめておく。彼らは、白雪姫が三回も殺されることに怪訝な顔を浮かべ、リンゴをぽろりと出して蘇生する場面にはたいへんびっくりしていた。今年の学生の「白雪姫」経験は、全員が「王子のキス」で目覚めるヴァージョンだけだ。また、『本当は恐ろしいグリム童話』を本物のグリムだと思っていた学生も一人いた。テキストに収録されているSnow Dropを途中まで読んだところで時間切れ。来週は「白雪姫」を導入にして、グリムの話をしようと思う。

二年生は、Earthsea Quartetをテキストに<ゲド戦記>を読んでいく。最初の一ページをさらりと読んで終了。物語を読む楽しさをほんの少しでも、感じ味わうことができればと思う。とにかく彼らは、読書体験が少ない。英文科の学生なのに、自力で原書を読んだのはたった二人。それも、ノンフィクション(一人は一時ベストセラーになった『チーズはどこへきえた』←タイトル曖昧。もう一人は、『五体不満足』の英語版)だ。

すべての学生が、映像化された<ハリー・ポッター><ロードオブザリング><ハウルの動く城><ナルニア国物語>のどれか一作は見ているのに、作品を読んだ学生はほとんどいない。『ハリポタ』がぽつぽつ、『指輪物語』もぽつぽつ、全巻読んだ学生は一人、あとはみな一巻目で挫折している。ちょっと、ブルーになる。

癒しの語り手ベリットさん

櫻井美紀先生が代表をしている「語り手たちの会」が主催する「ヒーリング・アートの語りとは? ノルウェーの語り手、ベリット・ゴダガーさんを迎えて」に参加。会場である自由学園の明日館は、会員の方々の心づくしのお花(桜や小さな花たち)などで飾られ、会の性格が随所に現れた落ちついた素敵な会だった。

ベリットさんは、シュタイナー学校での教師経験もあり、癒しとしてのストーリーテリングをイギリスのエマソン・カレジで学んだ経験を持っている。現在はプロの語り手として、実際に病院などで、ストーリーテリングを治癒の一環として実践している女性である。ボランティアで病院にはいるのではなく、病院のスタッフとして、医者や看護士にセミナーを開催し、子どもたちと関わっている。子どもたちとは、基本的に一対一で関わるそうだ。拒食症の少女の場合は、女性の英雄のお話、「美しいワシリーサ」「12羽の野鴨」を選んで語ったそうである。ベリットさんの実践で興味深いのは、彼女がお話を語ったあとに、聞き手の子どもたちにも実際にお話を作ってもらうことにある。子どもたちは、昔話の形式(登場人物、舞台、魔法的な小物など)で自分の物語を語るのだそうだ。この昔話のデヴァイスは、子どもたちの想像力を紡ぎだすきっかけのようなものであろう。そして、彼らはこのお話作りを通じて、自分と向きあい、病気と向き合い、自分自身を受容してゆくのである。

私は「ヒーリング」「癒し」という言葉をあまり信用していない。とくに最近では、安易にどこにでも使われていることに不快を覚えるが、彼女の話には納得できるものがあった。つまり、彼女は、お話が、とくに昔話が、私たちの「魂」のレベルにまで到達し、「魂」に働きかけることがあることを了解した、深い認識のもとで活動しているからだ。しかし私は、癒しをもたらすのは、「お話」そのものではなく、「お話」を仲立ちとしたコミュニケーションが生みだすのだと思う。でも「お話」の選択は重要である。彼女もじっくり選んで「自分の好きな話を語る」とおっしゃっていた。

「お話の中の登場人物、風景や舞台、雰囲気、プロットの流れが私たちの身体や感覚や精神の中を循環するのです。お話の中の出来事を、私たち自身の一部であるとして経験すれば、そのお話の内容がどんなものであろうとも、お話は私たちを生き生きさせる経験となります。また、私たちおとなの気づきを、お話の中のあらゆる出来事、すべての登場人物にむけることができれば、私たちは、自分が何者であるかという感覚を育て、自分の身の回りの人たちや物との関係を育ててゆくことができます」。これは、ベリットさんがエマソン・カレジで学んだナンシー・メロンさんの著書の一節である。

ここには、「お話」が私たちの感覚や想像力をひろげるものであるという信頼がある。しかもシュタイナー教育においては、感覚とは五感だけを指してはいない。生命感覚、運動感覚、言語感覚、自我感覚などがふくまれる。

学校図書館研究会

夫主催の学校図書館に関する勉強会。メンバーは「大航海」のK先生、K大学附属中学のF先生。私は料理人。ただし、Focus on Inquiry の探究型学習のモデルについての説明を求められた。「探究型学習」とはいわゆる日本でいう「調べる学習」「総合学習」のことである。この学習には図書館の活用が不可欠である。ところが、日本では現場の先生が「総合学習」の経験もなければ、学校図書館を十分に活用した教育を受けていないため、「調べさせられ学習」になってしまい、生徒の自主的な「学び」に依拠するはずの学習がつまらないものになっているのである。

しかも、ゆとり教育の一環として「総合学習」を導入した文科省が、PISAのテスト結果の落ちこみをみて、「総合学習」を見直そうとしているらしい。おまけに、小学校段階での英語教育の導入を実現しようとしていて、明らかに日本語軽視の方向に進んでいる。PISAの成績がふるわなかったのは、日本の子どもたちが本を読まなくなり、情報活用能力が貧困なためであり、日本語力の低下に起因していると思われるが、どうやら奴らには何もわかっていないらしい。

「調べる学習」と大学生のレポート制作は大きく共通することがある。学習する子どもたちが対象に深くのめり込まなくては、達成感のある学習ができないのと同じように、レポートも論文も対象に深く沈潜して初めて書ける。ただし、学習や書き方のモデルやマニュアルがあったとしても、学習者の積極的な関わりがなければ、いいものは生まれない。「調べる学習」やレポート制作は、自己をたどる作業であるし、自己をさらに識る作業である。「頭」だけの作業ではない。

<本日のメニュー>

●マグロのタルターラ/ガーリックラスク
●スモークタンとベビーリーフのサラダ(自家製ブルーチーズソース)
●イカと里芋の煮物
●柔らか煮豚/ブロッコリ、プチトマト
●ご飯/味噌汁/イカナゴのクギ煮(お手製の頂き物)
●本物ビール/白ワイン(ミュスカデ)/黒糖焼酎/日本茶(掛川)
●チョコレート/柏餅

(ゴルゴンゾーラを使ったブルーチーズソースはなかなかのできでした。これは、某レストランのパクリ)

ああ、がっこが始まる!

ヴァージョンアップ中のテキストもそろそろ終わりにしたいと思っているのだが、ここにきて進まなくなってしまった。こういうのは、一回中断してしまうと、書いていたときと同じモードに自分をもどしてゆくのが難しい。3月の最終週は出かけてしまったし…。

しかも、第2週からがっこも始まる。少々登校拒否気味の私である。「がっこ行きたくないよー」と泣いていたら、知人が「先生でもそうなの?」って不思議そうに訊いてきたが、そりゃそうですよ。教師だって行きたくないときはある。とくに長い休みの後とか、、。去年、サヴァティカルだったHさんは大丈夫かな。こないだ新しい服買って気合い入れていたけど。

まあ、新しい学期がはじまるというものは結構緊張するもんです。そういえば、「先生の授業うけるよー!」というメールが来ていたなぁ。彼女たちの顔があるならば、少しリラックスできるだろう。

あと少し、ラストスパートだ!

新しい旅立ち

妹が姪を連れて我が家を訪問。妹と会うのはほぼ一年ぶり。今回は姪が上京するのでその準備にやってきたのだ。

姪は小さい頃からバレエをやっているので、特別にお願いして、クラスレッスンに一緒に参加。3ヶ月ぐらいブランクがあったそうで「自分の身体じゃないみたい」といっていた。体つきも、ずいぶん女性らしく丸くなってしまった。もったない!

お稽古のあと中華街でご飯を食べる。朝暘門から入って、一本目を左に曲がったところにある「鳳城酒家」。小龍包が大きくおいしかった。

東京に帰る姪と横浜で下車する私と妹。妹は「xxちゃんは、東京の人になったんだね」と何回も何回も口に出す。何もいえない私。おそらく、これからは生活基盤が東京になり、ふるさとの九州に帰ることはないと思っているのだろう。今さらながら妹の気持ちが身にしみる。

彼女のところは、この春もう一人自立する。こちら(男の子)は日本画を勉強するために愛知県の大学に入学するのだ。彼ともずいぶん会っていない。彼が3歳の頃「誰に似ているの?」と聞いたら、「安達祐実」と独特の九州のイントネーションで答えたことがあった。父さんか、母さんじゃなかったところがおもしろかった。その彼も最近は「国分太一くん」似になったそうだ。

春は、子どもたちが自立し、旅立つ季節だ。若い人が親元を離れ、自分の可能性をひろげ、チャレンジする季節だ。でも、その自立や旅立ちをよろこびながらも、さびしく思っている母親もいる。がんばれ! お母さん!

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