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「しまうま」

アーサー・ビナードさんの公開講座で紹介されていた「しまうま」という詩のオリジナルが手に入った。短くわかりやすい詩であるが、その批評精神は強烈である。

"Zebra" Gavin Ewart

White men in Africa,
Puffing at their pipes,
Think the zebra's a white horse
With black stripes.
Black men in Africa,
With pipes of diffrent types,
Know the zebra's a black horse
With white stripes

「しまうま」  ギャヴィン・ユーアート(わしこ訳)

アフリカの白人が
ぷかぷかパイプをふかしながら考えた
しまうまってのは、黒い縞模様のついた
白い馬なんだろうってね

アフリカの黒人は
ぷかりぷかりパイプをふかしながら気づいた
しまうまってのは、白い縞模様のついた
黒い馬なんだってね

私は「しまうま」をどっちに捉えていたのだろうか? この詩を提示されたときには、「頭をガン」と打ちつけられたような感じがした。しかし、これからは「しまうま」を見るたびにこの詩を思わずにはいられないだろう。文学(詩)の力というのはすごい。そぎ落とされた簡潔な言葉と比喩で私たちの既成概念や思いこみを鋭く撃つ。

ところでビナードさんは「しまうま」という言葉がとても好きだとおっしゃっていた。「そのものズバリで[対象を]ぴったり表している」からだそうだ。いいなぁ、この言葉に対する感受性。私は「しまうま」という言葉に初めて出会ったとき、どう感じたのだろうか。
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きえたスリッパ

寒いとき、起き抜けでそのまま仕事を始め、足の先がとても冷たいことに気づく、そして、それから、靴下をはいたり、室内ばきを探したりなどの手当をしようとするが、いったん冷えきった足はなかなか暖かくならない。今まであまり感じたことはなかったのであるが、今年はこたえた。歳をとるにつれて、だんだん冷え性になってきてしまったのだろうか。今年はあまり冷え込んでしまうと、靴用ホッカイロを室内ばきに入れて履いていた。

少し寒さが和らいだので、「靴型」室内ばきから「スリッパ型」室内ばきに変えたのはついこの間だった。なにかの拍子につまづずきかけて、それ以来、室内ばきが見あたらない。部屋のすみや椅子の下など、思いつくところを探したのだが、もう一週間ほどたつ。スリッパといっても、きちんとヒールがついているし、そんなに小さいものではない。でも、見つからないのである。おかしい。どこにいってしまったのだろうか?

二人の少年

ずっと気になっていたのだが、「ハード・カヴァーではちょっとね」だった、あさのあつこの作品
『The MANZAI①②』が文庫(ジャイブ刊)になっていたのを見つけたので、さっそく購入、読了。★★★★

『The MANZAI①』は、瀬田歩と秋本貴史のでこぼこコンビが、文化祭で漫才「ロミオとジュリエット」をクラスを巻きこんで上演してゆく過程がストーリーの大きな流れをつくり、そこに二人を取り巻く同級生の群像を描いてゆくというもの。この少年少女たちも、二人に劣らず初々しく好感が持てる。

おとなの小説とヤングアダルト向けの作品が、お互いに乗り入れている状況はすでに了解事項だと思われるが、やはりこの作品は「子どもの文学」であると直感した。なぜだろう。巻末に収録されたあさのと重松清の対談もその確信を強めたのは確かだ。

重松にも少年を主人公にした作品があり、あさの自身もおとなの小説を書き始めている。ひこ・田中氏が『週刊読書人』(2005年12月23日)で、このような現象について話題にしていたのも記憶に新しい。読者がジャンルを縦横にまたいで「読む」というのは、昔からよくあることだ。なんといっても『天路歴程』や『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記』などをおとなの本棚からいただいてきたのは、子どもたちである、しかし、作者が相互乗り入れしている状況は、ここ数年の特徴のようだ。

そこで、重松清『エイジ』(朝日文庫)を再読。物語を動かしている出来事は「同級生による通り魔事件」で、こちらはかなりシリアスだが、それは、周りにいる「野次馬」のような私たちにそう見えるだけで、「生」のまっただ中を生きている人たちにとっては、等価だと思う。「素材」の選択がおとなの本と子どもの本を分けるというのは、あまりにもナイーヴだが、光のあて方は違うかもしれない、と思う。

というのも「少年」へのまなざしが、あさのと重松では明らかに違う。あさのの描く少年は、初々しく透明感がある。歩が好ましく感じる少女に出会う場面は、

「一番最初に出会ったのは、掲示板前の廊下だった。目がうるむほどまぶしかった。(中略)萩本恵菜が輝いていたのだ。肩のほんの少し下まで真っすぐのびた髪だとか、ほおからあごにかけての、わずかな丸みだとか、すっと強く、でも柔らかく見える首の線だとか、彼女の全部がきらきら輝いていた。一四年間生きてきて、みずから発光する女の子に初めてあった」(pp22-23)と独白させる。

いっぽう重松の『エイジ』では、主人公の少年がひそかに気にしている少女をこのように書く。

「相沢は(中略)カバンに教科書やノートを詰めている。カットしたばかりの頃は頭のてっぺんの髪をしきりに気にしていたけれど、いまはそれも落ち着いて、ムースを使っているんだろうか、髪はいつも濡れたようにつやつやしている。横を向いて、隣の席の小野愛美となにか話して、おかしそうに笑った。ブラウスの背中にブラジャーの線がうっすら透けるのが見えて、ぼくは思わず目を伏せる」(p73)

どちらにもリアリティがある。ただし、重松のほうがより具体的である。このまなざしや表現の違いは一貫している。この差異が、子どもの文学とおとなの文学の違いをつくるものなのかもしれないし、「少年を捉えきれなかった」と嘆くあさのが女性だからなのかもしれない。彼女は、このことを「フィルター」と読んでいるが、いわばあさのにとって少年は<would-be-boys>なのだろう。これが透明感を生み、あこがれをくすぐるのかもしれない。

思わぬ出会い

ビナードさんの公開講座で思いがけない人に出会った。講座を修了し、持参の本2冊と新たに買った詩集にサインをいただいたあと(ミーハーなわたしです。でも、サインをいただくのが主目的ではなくビナードさんとお話をしたかったから列に加わったのです)、突然話しかけられた。「xx先生ですか?」。こういう時って「嘘」はいえないもんですね。びっくりしつつも、「はい」と答えたのであった。「アラビアのロレンス」は偉い。いや、別に嘘をつくつもりなどありませんでしたけれど。

私は人の顔や名前を覚えるのが苦手で、学生の名前を間違えては、ひんしゅくを買っているのである。だから、話しかけられたときは、「えっ。だれ!だれ!だれ!」と焦りまくっていた。でも、その方とは初対面であることが判明。

通信制大学の先学期の受講生で、その後、メールのやりとりなど少ししたK子さんであった。まさか、こんなところでお目にかかるなんて、うれし。ほとんど初対面というのに、「子どもの文学」という共通の話題のせいか、お食事も一緒にして(ワインも飲んで)、とても楽しい時を過ごした。

資格がとれたら、「せいせいした!」とばかりに教科書を売る学生がいるらしい、ということを耳にして落ちこんでいた私は、K子さんの「先生の教科書を読んで、うれしかった」という言葉に、心がじわっと来た。確かに、あのテキストはセンスもないし、高いし、ペラペラだし、とっておく気にもなれないのかもしれない。それでも、私は「自分の羽で織物を紡いだつう」のように、頭も体も心もこめて書いたのだ。そして、今もヴァージョン・アップのために格闘している。ビナードさんのご縁での出会いに感謝。K子さん、またお会いしましょう。

ところで、私の前にサインをもらっていた皆さんは、ビナードさんとほとんど言葉を交わしていなかったようだ(私の後ろの人は知りません)。もったない! えっ? 私のほうが図々しいのですか? 

ビナードさん公開講座

朝カル公開講座、アーサー・ビナードさん「日本語めがね」に出かけた。期待に違わず、豊かで楽しく充実した二時間だった。宮沢賢治とヘロドトス、カール・サンドバーグと芭蕉の作品を示し、異なる言語でありながら類似する心性が表現されていることをお話になる。同じような心性でありながら、微妙な違いにビナードさんが魅了されていることがよくわかる。それにしても、何という鋭い観察眼。批評意識のなんと深いことよ。外国語を学ぶ、それも文学を通して外国語に触れることは、言葉に対する自らの観察眼や感受性を高めるだろう。しかし、ビナードさんはすごい。私もビナードさんと同じぐらいは外国語に触れているだろうに(あくまでも物理的な時間という意味です)、ビナードさんほど深い問題意識を持っていただろうか、これは才能だろうか、としばし絶望的になった。いや、今からでも遅くはない、と今さらながら言いきかせているところではあるが。

ところで、彼は「僕の人格を疑われるかも」といいつつ、旧仮名づかいについておもしろい意見を披露してくださった。1946年の「現代仮名づかい」告知により、ほとんどの「ぢ」が「じ」に変わったそうである。「ろぢうら」が「ろじうら」(路地裏)に「ぢきゅうりょく」が「じきゅうりょく」(持久力)に変えられたのだそうだ(不見識な私は46年の改訂など知らなかった。恥ずかし)。ところが、その時、例の「やまいだれに寺」も「じ」変えられたのであるが、ちまたでは相変わらず「ぢ」が使われていることに、彼は気がつく。法(?)的には「じ」に変えられたのに、なぜ、常用レベルでは変わらないのであろうか。それは、あの「やまいだれに寺」なる病気は、「ぢ」と表記するほうがふさわしいのであると。確かに。「ぢ」であるからこそ、あの痛さ、あの辛さが実感されるのである(らしい)。さらにビナードさんは英語の表記について話を続ける。

英語では、かの病は <hemorrhoids> とラテン語起源の言葉でつづられるそうだ。知り合いの看護婦さんは<ヘモ>と言っていたが、いずれにせよ、ラテン語の表記がそのまま残されているということである。それはなぜか。<rr>が重なって、「呻るような、吠えるよう」な発音があってあの痛みが表現されているから、なかなかスペリングも変わらないのではないかというお話だった。

ところで、「ぢ」とキーボードで打ちこんで「やまいだれに寺」という漢字を出そうとすると、私のソフトでは「じ」の間違いであると指摘してくれるのであった。ありがとねっ。

続「とっちんやのばば」

「とっちんやのばば」を竹内智恵子『鬼追い:続昭和遊女考』(未来社)で見つけた。『鬼追い』では「トッチン家」というタイトルで収録されているものだと思われる。活字で読む「トッチン家」と語りで聴いた「とっちんやのばば」とのあまりの違いに驚いている。雨もりをする家が「トッチン トッチン」と音を立てるのがうれしいとよろこんだ娘が、祖母とともに郭に売られてゆく話である。「語り」では、一つの世界がきりりと屹立した感じを受けたのであるが、文字では「語り」で聴いたときの力は感じられなかった。

「語り」では、かなり悲惨な生を引きうけなくてはならなかった少女の唯一ともいえるであろう「美しい」祖母の思い出がさりげなく語られたが、この「さりげなさ」が聴くものの胸に迫るのであろう。「語り」としては美しすぎたきらいはあるが、、。文字で読んだだけでは、忘れてしまうであろう小さな小さな話である(もちろんこの少女の生を小さいものと思っているわけではない)この「とちんやのばば」は、お話というほどの流れをもつものではなく、ひとつの出来事を語ったものである。しかし、あの「語り」を聴いたときの「雰囲気」がずっと私の心に残っていて、その雰囲気が元話を探そうというエネルギーを生みだしたともいえるかもしれない。

「語り」を文字に書きとめることから失われてしまうものの大きさを感じ、語りのもつ「力」を実感している。「語り口」をつくることの大切さ意味が少しだけわかった。

PC回復

pcが回復した。というより、デスクトップのpcを新たに購入した。今まで使っていたノート・パソコンは画面がブラック・アウトしたままなのである。ハード・ディスクは壊れていないらしいので、液晶画面を取り替えれば使えるかもしれない。ただし、液晶画面はパソコン部品の中で一番高いものらしい。サポートに来てくださった方は「僕だったら買いかえるでしょう」とおっしゃていた。しかし、メール・アドレスなどのバックアップをとっていなかったし、まだ購入して3年にも満たないことを考えると、廃棄する気にもなれない。とりあえず、修理に出してみようかと思っている。

pcにほとんどふれることのない時間を過ごしたわけであるが、思っていた以上に本が読めたことは驚きであった。「仕事」と称してpcの前に座り、いかに無為に時間を過ごしていたかを大いに反省する。「書けない」といってはネットをのぞき、「情報収集」といってはpcを開いていたのであろう。ちょっと、情けない。これからはできるだけネットは避けて通ることにしよう。

そういうわけで、まだ、メールをこちらから書ける状況にはありません。何かの時に「楽しい」「おもしろい」メールを書いて、メル・アドをお知らせくだされば。幸いに存じます。よろしくお願いします。

緊急告知

昨日より、pc の調子がおかしくなりました。先日来の不調は前触れだったのでしょうか。いずれにせよ、当分の間、更新もアクセスも出来なくなります。それどころか、メールのチェックできませんし、仕事も一時中断です。

私に緊急の連絡があるかたは、このブログのコメント機能を使ってください。申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

「とっちんやのばば」

ストーリーテリング講座できいた「とっちんやのばば」が気になって、竹内智恵子『昭和遊女考』(未来社)を「アマゾン・ユースト」で購入。この本には「とっちんやのばば」というエントリーはなく、ざっと見たところそれらしい話も見あたらない。話を探して拾い読みをしていたのだが、読みはじめたら、やめられなくなってしまった。これはきちんと読んでおくべき本であると思う。

ストーリーテリング講座

櫻井美紀先生のストリーテリング講座の最終回に出かけた(第二期)。体調すぐれず(春の憂鬱?)、めげそうになったが最後まで参加。最終回は受講生の語りの発表だった。何も準備できていなかったのも体調不良の原因か。これは明らかに宿題をやっていかなかった小学生のようだ。

アニタ・ヒューエットの動物物語集 The Puffin Book of Animal Stories から「斑点をなくしたヒョウ」を思いだしだし語った。なんだかすっ飛ばしたところもあるが、途中、櫻井先生ほかみなさんの笑い声や表情に助けられてなんとか「おち」をつけた。最初「斑点」を「半纏」と聴き、「?」だった人もいらしたようだ。原文では "There were ninty-eight, sooty black on his soft yellow fur " ときちんとあるのにとばしてしまった。せっかくだから「語り」にまで高めてみたい。

その他の受講生のみなさんはとてもよかった。とくに「とっちんやのばば」(『昭和遊女考』)と「しっぺい太郎」(『桃太郎・舌切り雀・花さか爺』)を語った方はすばらしかった。

先生のお弟子さんが「ごろはちだいみょうじん」(絵本『ごろはちだいみょうじん』 福音館書店)を語ってくださった。ずっとずっとむかし、絵本を買い始めた大学生の頃、気に入っていた絵本で、地元の友人たちには不興を買った覚えたての関西弁で、よく友人に読み聞かせていたことを思い出した。

中川正文氏の使っている言葉は「男言葉」らしく、彼女は「女言葉」に語り直したとのこと。そうか、こんなこともストーリーテリングになるのだと感心した。情けないことに土地の言葉を知らないものには、「男言葉」であるか「女言葉」であるかもわからないのである。

ビナードさん『出世ミミズ』

アーサー・ビナードさん『出世ミミズ』(集英社文庫)を再読。どれを読んでも、新しい発見や驚きで感心してしまう。ビナードさんは、詩をつくるだけでなく、俳句をひねり、書道にいそしみ、謡を習っている。彼のこのような日常から照射してみせるエッセイが面白くないわけがない。

斉藤孝のベストセラー『声に出して読みたい日本語』の解説の言葉を、謡をうたいこんでゆくなかで獲得した「身体感覚」をもって批判するあたりはすごい。あれは「著作権切れのもの」ばかり集めて、大いに印税を稼いだものだと、あんまりいい感じは持っていなかったのであるが、収録された作品に対する「愛」もなかったのだなぁ。

来週末には「朝カル」で、ビナードさんの公開講座がある。楽しみ。

続・ナルニアの怪

『ライオンと魔女』研究社版(テキストはPuffin版が底本)が出てきた。くだんの場面は "This story is about something that happened to them[four children] when they were sent away from London during the war because of the air-raids." となっている。瀬田貞二さんは the war を「この前の戦争」とお訳しになっているのだ。しかし、ここで重要なのは、「どの戦争」ということではなく、子どもたちが孤立した場所にある教授のお屋敷に疎開し(一番近い鉄道の駅から10マイル、郵便局からも2マイル離れている)、そこで「ナルニア国への通路」を見つけることにある。

この研究社版には注があって(注釈者は森安綾さん)、the war にも注がつけられている。森安さんは「第二次世界大戦(1939-45)ちなみにこの本の出版は1950年である」(p165)と書いている。その根拠は、どうやら出版年から割り出したようである。

あとは、子どもたちの服装などのイラストレーションから推測できるかもしれない。ひきつづき、調べてみよう。

ところで、長い間<パスワード>で読んでいただいてきましたが、本日より<パスワード>なしで読んでいただけます。ご迷惑をおかけしました。

おひな祭りの宴

「雛の節句」にかこつけて、お客さま。予定していたうちの一人は、お子さんの病気で不参加、残念。Yさんがお手製のパウンドケーキを持ってきてくださった。

飲み、食べ、喋り、聴き、あっという間に時間が経ってしまった。夫を含めた3人でとても楽しい時を過ごす。

<本日のメニュー>
     
●タラモサラダ、マグロのタルターラ、トマト・イタリアン
●自家製ガーリックラスク
●とろ・いか・たくわん
●ブッフブルギニョントマト風味/温野菜添え
●蓬白玉団子、小豆あんと栗と一緒に/お手製パウンドケーキ
●ニセビール/白ワイン(ジャドウ・ブルゴーニュ)・赤ワイン(キャンティ・クラシコ)/黒糖焼酎(里の曙)/日本茶(掛川)・紅茶

●ラフマニノフのピアノ協奏曲二番/皇帝/トゥランドットなどなど

●『えをかく』(谷川俊太郎/長新太)

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