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添削終了

「最終試験」の提出が始まったところで、レポートは〆切った。実際には、ルール違反(試験の課題を提出しておいて、レポートの〆切を延ばして欲しいと申し出てきた)者がいたので、その時点で、レポートは締め切ることにした。レポート格闘中の人には思わぬ「とばっちり」であると不満に思っていることであろう。しかし、それぞれのレポートを再度確認して、「あと一回の再提出」では、水準点に達することはできないだろうと、こちらも判断したからだ。

こんなルール違反をおかされると、ずっと緊張していた神経の糸が「ぷつり」と切れてしまい、再起不能になる。きっと、すごい勢いで血圧が上昇したことであろう。今回も「質問するのが怖かった」と言いつつ、自分の正当性を「しつこく」言いたててくる学生がいたり、当のルール違反者が「逆ギレ」したりと、ほんとうにたいへんだった。

前学期は、ひとつひとつの学生の言葉に傷ついていたが、今学期は「傷つきつつも」なんとか冷静に自分を保とうと努力した、と思う。

成績処理が終わった時点で、このブログもふたたび公開しようと思っている。



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ナルニアの怪

児童文学を研究しているSHさんのブログで、映画「ナルニア国物語」の時代設定に疑問を呈する記事を見つけた。映画の舞台は「第二次大戦時」と設定されているが、実際の舞台は「第一次大戦」の間違いではないかという内容である。

『ライオンと魔女』を扱ったレポート(まだ終わっていなかったのです)のなかに「第二次大戦を舞台に」という記述が見つかり、ブログの記事のことがあったから、「どうしたんだ」と不審に思い、さっそく調べてみた。手持ちの岩波少年文庫版『ライオンと魔女』(1985年、2000年改版)では、「この前の戦争(第二次世界大戦)」となっていたのである。びっくりして、SHさんに連絡を取った。彼女が参照した版(おそらく1985年版)では、「この前の戦争(第一次世界大戦」)」となっていたそうである。いったいどういうことであろうか? 『ライオンと魔女』は1950年に出版されているので、どちらの可能性もあるだろう。1950年の時点で、「この前の戦争」とあれば、「第二次大戦」ということもある。しかし、第一次大戦に従軍したルイスにとっては、戦争といえば「第一次大戦」のことかも知れない。うーーん、どちらだろう。

その後、SHさんからは、J先生の「第一次大戦だろう」というご意見をお知らせいただいた。しかし、疑問が解決されたわけではない。レポートが一段落したら、少し調べてみようと思う。二册はあるはずの原書が見つからない。こういうときにかぎって、もう。

ウィルス感染

ここ数日、ネットへの接続が悪く、パソコンの不具合が続いていた。レポートの添削があるから、接続状況を示すバナーをにらみながらコメントを書いたり、大事をとってコメントを保存したりしながら作業をし、わけもわからないのに、パソコンをあっち、こっちいじっていた。

何かの拍子に、「ウィルスチェック」が画面上に現れ、昨日早朝、チェックをはじめたのだが、出かける時間になっても、終わらない。仕方がないので、夫に後を頼んで、出かけた。

夜、帰宅した夫の話だと私のパソコンは「ウィルスまみれ」だったそうだ。何と100以上のウィルスちゃんが巣くっていたそうである。想像するだけでもおぞましい。キャー。

ウィルス対策ソフトは、入れただけではいけないらしいことを学んだのであった。ウィルスのなくなったコンピュータの調子はもとにもどり、ようやく安心して仕事ができるようになった。

まだ終わらない添削

「試験」の内容が公開されたというのに、添削はまだ終わらない。出してくる方は、「これでどうだ!」と思っているに違いないのだが、やはり「再提出」してもらわなくてはいけないレポートが多い。

「・・・・・である」という、断定的なレポートには、「あなたの議論を保証するために作品から、当該部分を引用してね」とお願いし、「私の独断と偏見では」とおっしゃる方には「それでは困る」といい、西に原稿用紙の書き方がわからない学生がいれば、「新しい段落は、一字下げてね」とお伝えし、東に「書籍タイトルの書き方が不適切」な学生がいれば、テキストを見て自分で発見してね、とアドヴァイスする。

寒い朝は、足先まで凍えそうになり、ネットが繋がらないといってはおろおろし、文句をたれては夫の顰蹙を買い、添削をする。そおいふ添削生活もそろそろ終わりにしたい今日この頃である。

これは「読みあい」かな?

G 大学の授業もそろそろ大詰めを迎えるのだが(2月9日終了)、やりたいことが多すぎてなかなか着地点が見つからず、困ったもんだ。2月2日は、テキストに書いてあることは、「読んでおいてね」とお願いして、「発見の本」(普通は「科学の本」とか「ノンフィクション」と言われている分野)とは何かを『みんなおなじみんなちがう』(福音館書店/かがくのとも)を読んで考えた。

絵本の表紙には、大小さまざまな模様のアサリが並んでいる(写真)。ページをめくるごとに、トマト、ひまわりの種、ウズラの卵、繭、生姜、さくらんぼうの写真が現れる。「みんなおなじ でもみんなちがう」という言葉とともに。

大きな教室なので、前にでたり戻ったりしながら、丁寧に一ページ、一ページ見せていった。「これなに?」「好き? 嫌い?」と学生に問いかけながら。彼らは「エー」とか「XXだ」「すごい!」などと自然に声を上げながら、周りの人たちとも何となくさざめいている。「好き?」の問いかけには、「子どものころは嫌いだった」とか、複数の学生が「ひまわりの種っておいしいんだよね」言ったのには「リスみたいね」なんて応えながら、ざわざわと「みんなおなじ でもみんなちがう」と読んでいった。最後にページを閉じて、それから私がみんなをみて「みんなおなじ でもみんなちがう」といったとたん教室は静まりかえった。それぞれが「みんなおなじん でもみんなちがう」というメッセージをことりと心に届けたようだった。

リスポンスカードでも『みんなおなじ・・・』の体験が心に響いたと伝えてきた学生がかなりいた。これが「読みあい」と思わせるような貴重な時間だった。

ところで絵本には「クワガタ」の写真もあり、「みんなそれぞれツノの角度がちがうんだよね」といった私に、「ツノ」ではなく「あご」だとあとで指摘してくれた学生もいた。男子学生です。

「みんなおなじ でもみんなちがう」は、金子みすずの「みんなちがってそれでいい」という詩句と似て非なるものである。金子みすずの詩句は、なんか押しつけがましい。

レポートの日々

ヴァーチャルでもヴァーチャルでなくとも、レポートに追われる日々である。一番腹立つのは、「とりあえず」組のレポートで、要求されている文字数にほど遠く(180字というのがあった)、出せば何とかなるというレポートが、ウェブ上で提出されていることだ。さすがに、顔を合わせている授業ではそんなことはないのであるが、見識を疑う、というより、悲しいかな、そんな学生に対しては、不信感をもってしまう。

きちんとレポートを書いて、こちらのコメントを受けいれてくれる学生は、粛々と提出し、さらに要請に応じて書き直してくれる。ところが、独りよがりの訳わかんない文章を書いてくる学生や、〆切ぎりぎりに提出し「再提出」の評価をもらった学生は、私の「ダメだし」に「逆ギレし」「言いたい放題言って教師をいじめ」(人脈があるから理事長に相談するんだって。何を?)、「春学期も教えるのですか」と来る。私も丸くなったもので「残念ながら、春学期も教えます」と返事をしたものの、不愉快ではある。

「「情報化社会」という言葉自体が表すように、実体性のない「情報」が実体を有する「社会」を構築するという奇妙なパラドックスを構造の基盤としているのが現代社会である」

私には、「????」なんですけど。情報化社会というのは、実体性がない情報が、実体を有する「社会」を構築しているのだって? その「実体性」ッてなに? 情報はおしなべて「実体性がない」のですか? ふーーん。「社会」は実体性があるから、それが「パラドックス」なんですね。ふーーん。で、いったい、何をいいたいの?

困ってます。まじに。だれか、助けて!!

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