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ケータイその後③

新しくしたケータイに文字を入力するのがめんどくさい。同じメーカーなのにキーの位置が違い、とつとつと打つのは、まったくもってもどかしい。そのため、文字で返事をすることが極端に少なくなっている。夫の「帰るメール」には、いろいろある動く画像を選んで、返事を出している。

ケータイは進化したのに、私自身は退化している。いったいこれって?

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『不機嫌なメアリー・ポピンズ』

『不機嫌なメアリー・ポピンズ』つながりで、『召使いたちの大英帝国』(小林章夫/平凡社新書)、『イギリス式結婚狂騒曲』(岩田託子/中公新書)を読みすすめる。『召使いたち・・・』は読了。『不機嫌なメアリーポピンズ』は副タイトル<イギリス小説と映画から読む「階級」>とあるように、映画や作品からの考察であったが、『召使いたちの大英帝国』は、作品にも触れているが、むしろ資料を駆使してのもの。

「物語」の方が、事実を忠実に再現した「博物館的展示」よりも、説得力を持って、力強く迫ることがあるが、この二册もその例にもれなかった。『イギリス式・・・』の著者の岩田さんは、川端有子さんと『英国レディになる方法』(河出書房新社)を出している方である。この本もすこぶるつきに面白い。図版もたくさんはいっていて、資料としてだけでなく、読み物としても楽しい。しかし、この出版にあたっては、気の遠くなるほどの資料を集め、調査をしたのだろう。たいへんなご苦労が忍ばれる力作であるが、「苦労しました」といういやらしさが出ていなくて、好感が持てる。

ところで、小林章夫さんは『『くまのプーさん』を英語で読み直す』(NHKブックス)をお訳しになった方であるが、この翻訳が???でいただけなかったことを思い出した。「英語で読み直す」というコンセプトの本を、日本語に直すわけだから、もう少しゆきとどいた心くばりが欲しかったのである。

いそがしい一日

いやー、昨日は一日フルに動いたぞ。

朝5時から、仕事。夫にたのまれた、英国の大臣が図書館について発言しているスピーチの翻訳。とりあえず、8時まででなんとか完成させる。細かいところは、「だめだし」がでるであろう。その後「ファイト」を鑑賞しつつ朝ご飯。持ってゆくものを点検し、着替えてから9時40分すぎに出発。

午前中はバレエのお稽古、その後、ポワントのミニレッスン。右足の親指、ほんのちょっと爪を切りすぎたみたいで、ダンデュでポイントをすると痛い。ポワントも同じところがちょっと痛かった。爪は気をつけて、丁寧に切らなきゃいけない。血を出したこともある。

シャワーを浴び、ジェットバスで筋肉をほぐして、スポーツクラブをあとにする。ポワントのレッスンの分だけ、時間がおしているので、行きも高速を使って、学校へ。

お昼を食べ(生協のお弁当、これがなかなかいけるが、量が多い)、研究室の助手さんに、デジカメの使い方を教わる。が、ずっとほっておいたカメラなので電池切れ。いちおう接続の仕方を教えていただくが、時間切れで、授業へ。ちなみに、デジカメの接続の指導は助手さんの正規の仕事ではなく、彼女の好意で教えていただいたもの。

研究室にはぞくぞくと久しぶりの顔が登場。イングランド人の L 氏が、大量の「オレガノ」「ローズマリ」を根付きで持ってきた。一瞬、栽培欲に駆られるが、、、。ひょっとしたら来週、共同研にはプランターが出現してるかも。L 氏には「コリアンダー」(香菜)を所望。

1年生は、全員元気に登校。大学の授業って、たいてい誰かが何かで休んでいることが多いが、このクラスは、わりと全員揃う。和気藹々と休みの話などして、「物語体験とメタ認知」の話をし、来週からの担当を決め、絵本を2冊読んで解散。

2年生は、全員出席というわけにはいかなかったが、まずまず。唯一人の男性が来なかった。教室に置きわすれた教科書を掃除の人に、ゴミ扱いで処分された子あり、沖縄で彼氏を見つけてきた子あり、さまざま。「早く終わろうコール」に応えて早めに終わる。でも、講読作品の導入と、最初2ページは、さらっと私が読んで、なんとか「授業モード」を作る。

予定よりずいぶん早く帰宅した私が、授業を早く終わったと知り、またもや、夫の顰蹙を買う。ニセビールを飲みつつ、夕食の支度。

夕食後なぜか「ショパンのピアノコンチェルト一番」(これを指導する番組があり、二人でけっこう見入ってしまったのである)を聴きながら、今月初めにでかけた集中講義のレポートの採点。20枚ほど見たところで、限界。

教師の孤独

E-ラーニング主体の大学で「学生ブログ」ができたらしい。春学期、私の授業を履修した学生が、「**サービス論」をおすすめ授業としてブログに載せたいが、原稿を「見てください」と、連絡をくれたため、その存在を知った。私は、自分が手を入れるべきものでも、口を出すべきものでもないから、「お任せします」という返事をだして、そのことは忘れていた。もちろん、非常にきついであろう私の授業を「おすすめ」として、公表してくれるという申し出には、おおいに感謝している。正直、うれし。

春学期のすべての処理が終わったとはいえ、ぽつり、ぽつりと質問がよせられたり、アップしなくてはいけないこともあるので、ときどきアクセスしていた大学のHPを開いたとき、「学生ブログ」の存在を思い出し、学生ではないから「ブロック」されているかもしれないと思いながら、開いてみたら、なんと開いてしまったのである。そしたら、ある学生が「履修したくない授業」のひとつに私の「**サービス論」をあげていた(ありがとねっ)。しかも、この学生は、自分が履修したわけではなく、人づてに聞いた「噂」から、その記事を書いたらしい。

ほんとにやんなるなぁ。「何を言ってもいいが、受講してから言えよな」と心で毒づきながら、さらに読んでみると、さすがに「受講もしないで、しかも匿名で投稿するのはルール違反」とのコメントをつけてくださっている人がいたので、我を忘れて「バカ」なことをしないですんだ。ありがと。

でもって、その失礼な内容の書き手は、確かめもしないで、自分の予見と想像で「ブログ」に投稿していることもわかった。曰く「**サービス論」の**は、学生を呼びよせるための方策である(**と書いてあれば、やさしい科目だと思われる)とか、シラバスに「読書に興味のある人には受講をすすめる」とあったとか、いいかげんなことばかり。シラバスには「絵本や子どもの本に興味のある人」とは書いたけれど、「読書」とは一言も書いてないぞ ! ちゃんと読めよなっ、シラバス。しかも、「**」という言葉を書けば、学生がたくさん集まるであろうという認識には、「**」に対する投稿者の差別意識があるじゃん。

ところで、秋学期のシラバスには「読書の習慣がないものには、たいへんきつい授業」であることをしっかり強調しておいた、私である。

くそー。教師だって「教師ブログ」があれば、いーーっぱい、いーーっぱい、学生のこと愚痴るのに。悲し。うちなんて、同業の敵がいるから、いちおうの理解はしてもらえるものの、あまりの私の怒りのすごさに対して、その怒りが敵には「自分に向けられているもの」と思わせてしまうようで、夫婦げんかだっておきるんだぞ ! 夫、ごめんね。

学生ブログに関して言うと、G大学の「鬼仏授業評価」も把握している。これも偶然知った。このブログも言いたい放題である。大学生の授業評価ブログはたくさんあるが、ほとんどが個人的な感情(落とされた恨み?)に左右された評価や、やさしい先生(かわいい先生←こういう場合は、ほとんど男の先生)や、楽勝科目への評価が高い、ように思える。

ところで、教師の容姿(「おばさん」だって)についてまで評価した、G大学のバカヤロー学生に告ぐ!

君の品性下劣な評価が、後輩の「仇」になり、「偏見」になりうることを(学生にとっても教師にとっても)承知して、投稿しろよな。←自己規制はずれてます。

匿名ってこわい、ネットってこわい。

教師って、ほんとに孤独。春学期の途中には、この「ブログ」の存在も、少数ながら学生に知られるようになり、「ブログ読んでます」と複数から言われて、びっくりした。その後、ブログの内容も、過激にならないように自己規制もしている。

あーあー、こおゆうことでぶつくさ言って、怒っている私が情けない。

『小公女』における階級

新井潤美さんの『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(平凡社新書)に触発されて、イギリスの階級についてさまざまなことを考えたり、思い出したりした。私がイギリスの「階級」を意識するようになったのは、たぶん、バーネットの『小公女』である。最初に読んだのは、小学校高学年のころだ。小学校の5年、6年の担任教師が、「作文教育」や「文学教育」に熱心で、そのころ出始めていた、<ナルニア国>シリーズなどをむさぼるように読んだ覚えがある。『小公女』はその中の一冊だったと思う。リンドグレーンも大好きだったが、<ナルニア国>シリーズに較べて活字が大きく、「高学年になって、こんな字の大きい本を読んでいいのだろうか」という、遠慮のようなものを感じていたことも思い出した。(大きな字の本を)読んでいるのを見られたら、恥ずかし、とも思っていた。

ところで、『小公女』。かなり好きだったし、何回も読んだ。が、一つだけどうしても気になることがあった。「ベッキー」の存在である。ミンチン女子寄宿学校に、鳴り物入りで入学してくるセアラ・クルーは、フランス人の小間使いを連れ、一人だけ特別な部屋をあてがわれ、ミンチン女子寄宿学校の看板生徒(特別寄宿生)としての扱いを受ける。

ところが、父のクルー大尉が事業に失敗し、亡くなってしまう。そのため、セアラは、屋根裏部屋に追いやられ、学校の小間使いとして働くことになった。その時点で、セアラは、一時的ではあるがベッキーと同じ階級に属することになったのである。にもかかわらず、ベッキーが「お嬢さま」とセアラを呼ぶことに、「へーぇ」という微妙な違和を感じていたが、さらに、気になったのは、亡くなった父と事業をともにしていたカリスォード氏に見いだされ、養女になったセアラが、ベッキーを「侍女」として、つまり自分のための召使いとして連れてゆくエピソードである。

小学校校のころの私は、このベッキーの扱いに対して、とてもびっくりし残念にも思ったのだ。ベッキーがカリスフォード氏の養女になれないことに、違和感を持ち、なぜという疑問を感じたのである。カリスフォード氏は大金持ちのくせに「ケチ」なのかしら、などと思ったり、私だったらベッキーも一緒に養女にするだろうなと、心のなかで、作品に対して異議申し立てをしていた。これは、子ども時代のイノセンスとナイーヴさに支えられた読みであったと思う。長じて、「イギリスの階級」についての知識を得ると、このことについては、「あー、そうだったのか」と納得したのであるが。

しかし、1995年制作(アメリカ映画)のアルファンソ・クアロン監督の『リトル・プリンセス』の最後では、セアラとベッキー(黒人)の関係は曖昧に描かれている。二人の階級的な違いは、少なくとも私には、服装からは区別できない(同じ素材でデザイン違いの服だと思っていたのだが、確かめたらそれはわたしの記憶違いであった)。

最初、この映画を見たときには、また別の意味でびっくりしたものである。なるほど、ベッキーを黒人の少女にし(PC)、原作にあった階級を曖昧にすることは、この監督の意図であり、『小公女』の現代的解釈である、と。この映画は、そのほかの点でも、「これが『小公女』?」と思わせるような仕掛けや演出に満ちている。

ただいま読書中

あっという間に一週間がたってしまう。とくに先週は、バレエの帰りに寄り道をしたため、家にゆっくりいることができなかった。ほとんど人づきあいもない生活をしているから、たまには「お茶」やチャコットで「買い物」をして気分転換もいいものだけど。

とうとう来週から、授業が始まる。社会復帰するのに時間がかかるなぁ。「学校モード」に直さなくては、、、。

『妖精のアイルランド』(下楠昌哉/平凡社新書)
『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(新井潤美/平凡社新書)

ともに面白い。とくに新井さんの『不機嫌な・・・』では「そうだったのか」とうなずくところ多く、授業のネタにもなりそうな考察や情報がありがたい。メアリー・ポピンズが不機嫌なのは「ナニー」だからという読みも納得。また、「ナニー」と「ガヴァネス」は階級が違うということも、恥ずかしながら、ここで教えていただいた。これで、英文学専攻ですから、まったく始末に負えない、私であるが、、、。

また、BBCアナウンサーの発音とアッパー階級の頂点ともいえるエリザベス女王やチャールズ皇太子の発音の微妙な違いがわかるのも、新井さんが、英語圏でさまざまな学校教育を受けていたからだろう。

ロンドン・コックニーでは、けっこう笑える失敗をしたことを思い出してしまった。「エイ」が「アイ」になるのは頭でわかっていても、いちいち翻訳しなくてはいけないのがつらかった。電話で「ナイム? (name) 」ときかれて、「ナイン (9) 」だと勘違いしたこともあった。

アボカド

TBS の「はなまるマーケット」でアボカドのディップソースが紹介されていた。しかも、香菜もいれるのだって。これははずせないと思って、レシピをメモした。昨晩の前菜のつもりが、ほとんど「メインディッシュ」状態になってしまい。お代わりのラスクを追加で焼くことになった。

レシピでは、生唐辛子(青唐辛子)がはいっていたのだけれど、昨日よったスーパーでは売り切れだった。代わりにピクルスを粗みじんにして入れ、レモンジュースをはずした。ほんとうは、辛みが欲しいのだけど、適当なものが見つからず、断念。それでもおいしくできた。まぁ、オリジナルの味を知らないからね。「ハラペーニョ」のピクルスがあれば常備しておこう。

アボカドを最初に食べたのは、20年ほど前に暮らしていたアメリカ(マイアミ)でだ。その時は、どうしてものどを通らず、すごくつらかったことを覚えている。以来、アボカドはずっと食べられないでいた。いまでも、わさび醤油で食す、なんてのは食べられない。しかし、カツオの和風カルパッチョに、アボカドと香菜とをいれると、これがすばらしくおいしい。カツオを、味噌、醤油、ニンニクなどのソースにつけておくのがミソ。あとは、EV オリーブ・オイル、味を見ながら塩・こしょう。

でも、アボカドカロリー高いんだよね。『アボカドベイビー』(ジョン・バーニンガム)の赤ちゃんもむちゃくちゃつよくなってしまうもんね。

ヴァジニア・ハミルトン

雑誌『ネバーランド』第4号が「ヴァジニア・ハミルトン」を特集している。残念なことに、私は彼女の作品を心の奥深いところまで受けとめることができないでいる。論理的にというか、頭で理解し、読んでいるような気がずっとしていた。だから、ハミルトンについて、熱い思いを語れる人の前では、つねに劣等感にかられていた。ハミルトンを心の深奥で理解し、読みたいと思う。

鈴木宏枝さんの「『マイゴーストアンクル』再読」論は、そんな私に、もう一度ハミルトンの世界に誘ってくれるほどの力を持っていた。鈴木さんのハミルトンに対する溢れんばかりの愛情が感じられ、しかし、それでいて情感におぼれないで、的確に分析した力作だ。日本語も美しい。

丁寧に言葉を選びながら筆者が語るハミルトン作品の特徴(「登場人物や事象に強い象徴性が包含され、現実と非現実とが強烈に混交している」p114 、「[前半期の作品は]日常と超現実が激しくぶつかりあい、その中で、民族集団の過去や歴史にふれた子どもの生をより高いところに引き上げるものであった」p115 、「子どもの生のリアルな状況にエキセントリックな登場人物や超自然的事象が重なり合い、混沌としたところに生まれる力強さ」p124-125 )は、誠実な読みに支えられてのものだからこそ生まれるのだということを実感させる。こうした、冷静でありながらも、作者に深く共感する読みから導きだされる『マイゴーストアンクル』論を読むと、表層的な言葉でしか語れないものとのあいだに、大きな差異が生まれる。言葉を「私が」が発することは、言葉への責任と誠実さがなければいけないのだとの岡本夏木さんの言葉も想起される。

悲しいかな書誌と伝記がごちゃごちゃになって読みにくい。きちんとしているものだけに残念だ。特集以外には、谷田恵子「サンボとサム:『ちびくろサンボ』復活に思う」、灰島かり「進化する赤ずきんたち」、渋谷やみぃ「カニグズバーグをめぐる冒険」など。しかし、この雑誌いわゆる「目次」がないので、目的の記事を探しにくいことおびただしい。

ケータイその後 ②

今日は、ブログの不具合でずっとアクセスできなかった。(?_?) タダのブログだからか?

ところで、せっかく新しくしたケータイ、やはり、ホテルに忘れていた。帰る途中、いやな予感がしたのだが、、、。帰宅してさっそく 「着払いで、送ってください」とお願いしたが、なんと、元払いで送ってくださったY ホテルである。こういうところ、「ぐっと」くるなぁ。しかも、スイッチも切ってくれてあって。でも、私は消すことができない「たまごっち」状のキャラクターを見られたと思うと、ちょっと恥ずかし。

敵と二人であこがれていた Y ホテル、ベッドのスプリングが気になったが (トゥインにすればいいだけ?)、さすが! I S さんのお気に入りだったホテルだけのことはある。このことだけでなく、他にもたくさん心くばりをいただいたホテルであった。今度はぜったい「ウニの天ぷら」食べるからねっ。♥

数年前に送った原稿の初校がつい先日届き、今日は一日それにかかりっきりだった。もう出ないと思って、作品以外の資料は全部処分していた。資料が残っていたとしても、たぶん見つからないだろう。ほんとに出るのか? 返信用封筒も同封していないし、電話しても出たためしがない。うーーん。  

ケータイその後 ①

新しくしたばかりのケータイ電話。昨日まで集中講義のために泊まっていたホテルに忘れてきたみたい。

私のケータイは敵とのやりとりがほとんど。基本的に、一緒にいたわけですからケータイなんて、私には必要ないのでした。ホテル滞在中、ケータイを使ったのは、疲れはてて早く眠ってしまったので、夜中に目覚めたとき、時間を確認するために開いたのでした。一日目は、12時09分、二日目は、午前1時29分でした。


集中講義終了

一日半にわたる集中講義が終わった。一日目が3 コマ(90分×3)、二日目が4 コマ半だった。ホテルに帰ると、声も出したくないし、かすれている。履いてゆく靴は、注意深く選んだつもりのサンダル。ヒールは低いがオシャレっぽさもある。しかもこのサンダルは、数年前イギリスに出かけたときにデビューし、ロンドンの町を歩きまわったときに活躍してくれたとても縁起のいいものであった。しかし、ずっと立ちっぱなしだったせいか、さすがに、二日目の午後の授業あたりから、ぬいでしまった。じっくり観察すると、靴をぬいで授業に聴きいっている学生さんも、ちらり、ほらり。

どんな方が受講するのだろうと、緊張して臨んだ授業だったが、とても楽しく、いい気持ちで授業ができた。仕事を持っている方が多く、なかには図書館の現場で働いている方もいらっしゃって、とても反応がよい。ほぼ百名の受講生を相手に、あいかわらず地声で喋ることにこだわった(残念ながら、体重は変化なし)。

授業の「リアルな現場」というものの大切さを再確認することができた。講義がすすんでゆくうちに、ある「関係性」が生みだされてゆくのが感じられるのである。それは、「信頼感」でもあるし、ときには講師の私に対する「距離感」でもあったように思う。一年、あるいは半年かけて進んでゆく授業とも違った濃密な「関係性」であったようだ。

私が強調したことは、①子どもの読書資料としてすぐれたものを知る。②絵本の世界の豊かさを紹介する。③読書とメタ認知力の関係。④物語ることの意義。この四つの柱を中心に話したつもりだが、時間が足りない。

若い受講生は、全般的に読書量も幅も少ないように感じられたが、この講義をきっかけに、たくさん読んでくれたら私としてはこの上なくうれしい。子育て中のお母さんや、子育て終了後の女性たちは、絵本や子どもの本のことをさすがによくご存知で、こちらが試されている「こわさ」も感じた。こうして、私は育ててもらっているのだろう。受講生のみなさん、スタッフのみなさんありがとうございました。

看板に偽りあり

最近のブログのエントリー見ていると「読書日記」どころか「読書記録」すら書かれてない。もとはといえば、自分の読んだ本のメモや「ネタ」になりそうなものをここに記録しておこうというつもりではじめたブログだ。なのに何ということだ、最近のブログは ! 

自分の読んだ本を公開したり、その感想を書いたりするのは、やっぱ、かなり恥ずかしいことだということも、わかってきた。しかし、私はこのブログを書くことで、自分の精神生活のバランスをとっているようにも思う。

さて、きょうから集中講義がんばってきます。

マニュアルだいっきらい !

ケータイを買い換えた。といっても、そっち方面に関しては(も?)まったく無知なので、全面的に敵にお任せした。ありがとね、夫。とはいうものの、使い方を覚えなくてはいけない。500ページもあるマニュアルを「読め」といわれて、悲しい。しかし、読まなきゃわからないのも、わかる。読んでもわからないので、悲しい。

とにかく東京フィルハーモニーのサイトで気に入った曲を見つけてきた。「皇帝」「エロイカ」「ラフマニノフの二番」などなど。ところがこれを、個人の着信音に設定しようと思って、トライしているのだが、さっぱりわからない。しかも、メールの手順なども、若干(微妙以上)違うので、時間がかかること夥しい。カメラもテレビ電話機能もついているが、新しい機種ではないので安かったらしい。でも、きっと使いこなせないで、宝の持ち腐れになるだろうなぁ。これも、悲しい。

待ち受けに、たまごっちみたいに動き回る「ヘンな動物」を出してしまい、消し方もわからなくなった。頭に来たから、ディスプレイを英語にしてやった。わかんないのは同じだもん。

あしたから

あしたから都心の大学の集中講義に出かける。合計一日半の講義である。大学院のころは、魅力的な研究をなさっている先生が遠くからいらしてくださり、5日間連続の集中講義というのも楽しみだった。私も遠かったので、その時は学校のとなりのホテルに宿泊したり、授業を終えた先生と一杯飲んだり、とくにT先生とはそれをご縁におつきあいいただくことになった。その先生が集中講義にいらしているあいだは、単位などにはお構いなく、なんとか都合をつけて出かけたものだった。そのT先生も今年の初めに、あちらに旅立ってしまったのだが、、、。

一日中、講義を聴いたり、演習をしたりすることには慣れているが、自分が喋るとなると初めてだ。もつかしら?

今回は、とくに絵本をたくさんもっていって、できるだけ多く紹介しようと思うが、何しろ初めてのことなので、予測がつかない。通常の授業の時でも、だいたい「このぐらい」と思っていることの80%喋ることができればいい方なのだ。寄り道もするからね。「子ども時代の読書と私たちの役割」という方向で話をしようと思っている。ほとんど準備も終わったが、でも、落ち着かない。ホテルまでは車でゆくが、いくら近いからといって、あんなにたくさんの本や資料をどうやって運べばいいのかしら。

おまわりさん、ありがと。

昨日(土曜日)はたいへんだった。さっさと成績を提出し、そのあとバレエのお稽古へ。「プチポワント」のレッスンと発表会の振り付けもはじまったので、夕ごはんはお稽古場最寄り駅の、地元の人ぞ知るという「焼とり M 」の予定だった。6 時15~20分のあいだに、現地集合ということで、「混んでた場合は、まあ、なんとかしましょ」という約束で向かった。夫としては、「ケータイ」があるからいいやと軽く考えていたのだろう。確かにそれは間違っていない。

ところが、私のケータイ、「最近電池が早くなくなるなぁ」「充電ばっかりしてるなぁ」状態だったのだが、あまり深く考えずに、なにもしないでいた。お稽古が終わって、ケータイを見たら「電池切れ」で、すぐOFFモードになる。すわっとばかりに、焼とり M に走ったが、夫はいない。「どうしよ、どうしよ」と思いながら、夫のケータイ番号を捜しだす(すぐOFFモードになってしまうケータイにしかその番号は入っていない)。そして念仏のように番号を唱えながら、とりあえず駅へ。

「だれかー、書くもの貸してーー!」(←心の叫び声)おぉ、なんとおまわりさんがいるではないか。あいかわらず、番号念仏を唱えながら、きれぎれに「書くものかしてください」とお願い。私の焦りが移ったようにおまわりさんも、あちこちポケットを探して、ボールペンを貸してくれた。おまけに、死につつあるケータイをもう一度ひらいて、番号の確認まで一緒にしてもらう。おまわりさん、ありがとう。ついでにもう一つ、公衆電話も見つけてもらう。

公衆電話めがけて走る私の前に、やはり高校生ぐらいの女の子が二人、なんか公衆電話つかいたいっぽい様子。さりげなく急ぐも(押しのけたりはしません、心のなかでは、高校生の必需品だろケータイは、公衆電話使うな、と願いながら)、負けそうだったその時、一人が大きな声を出した。「ギャー! 虫がいるーー」。すかさず私が「あら、こんなもの怖くないわ(ちょっとはびびる。だって大きなカマキリだったのだから)」と手で払いのけるふりをした私。

私はいったん電話ボックスに入り、何かを思いだしたように彼女らに問いかけた「あら、あなたたちが先だったわね」とさりげなく、先をゆずるふうを見せた。でも、虫(カマキリですってば)におびえて固まっている少女は、私にゆずってくれたのである。「やったー!」。私がボックスに入っているとなにやら「あんなとこで私ぜったい電話できない」なんてほざいてやがる! ふんっ! おばさんは強いんじゃい。カマキリぐらいで、かわいこぶりっこすんないっ! と心の奥で叫びながら、ようやく夫と連絡が取れたのでありました。夫は夫で、 焼とりM が混んでいることを電話をかけて知り、私には、メールも電話も山のように出していたらしい。夫、ごめんね。
私のケータイはすごく古いらしく(でも、たかだか5年ぐらいだけど)、買い換えた方が安くつくかもしれないらしい。

<本日の教訓>
夫のケータイ番号は頭の中にもいれておくべし。

ビナードさん

アーサー・ビナードさんの『日本語ぽこりぽこり』(小学館)を読みはじめたら、おもしろくてやめられない。読んでしまうのがもったいなくて、我慢して、いま一時中断中。なぜ、「さん」づけなのかというと、ビナードさんは、私の敬愛する「あのかた」のご主人らしいのだ。で、どうしても「さん」がついてしまう。

外国語である日本語をかくもみごとに操り、ユーモアとエスプリに彩られたエッセイは、とくに「言葉」に関するものがすぐれている。「テンガロン・ハット」のほんとうの意味を探りだす姿勢には、自分のいいかげんさを反省。私だって、いくら大きい帽子とはいえ「10ガロン」も入らないよなぁ、とは思っていた。でも、ビナードさんは「なぁ」で終わらないで、きちんと調べているのだ。

お国の大統領のイラク政策にも、鋭い批評精神できちんと苦言を呈し、ビナードさん自身が尊敬なさっているように見える、小熊秀雄さんのようではないですか! その調子で、ジョージの子分の J 一郎も俎上にあげて、鋭く批判して、われわれの濁った目の曇りを取りのぞいてください。

さもしさに汚れる

私は「さもしさ」や「品性下劣」を心の底から嫌悪する。ところが、またレポートがらみで、自分の心がさもしさに汚されているのが心底情けない。ある学生がレポートの遅れを

①自分の入院
②肉親の死
③システムの不調

と、3回にわたって言い訳してきた。どれも納得できるし、①②にいたっては、ほんとうにお気の毒と思うし、母を早くに亡くしている私にとっては、心を痛めずにはいられないできごとだった。

ところが、こちらで調べる限りシステムの不調は発生していないし、すでに一月前に、レポートの「再提出の要請」もしている。一月以上も音沙汰なしで、ぎりぎりになってシステムの不調を訴える学生に、にわかに不信感が噴出してきた。他にも、拙著テキストから、引用、出典を明記しないで、あたかも自分の文章のように書いてきた学生が2人。さらに重大な知的財産の侵害行為におよんでいる学生もいる。

朝のさわやかな時間に費やす仕事がこれでは、一日中気分が悪い。しかも、学生を信用できなくなってきている私がいる。自分のさもしさに気づき、朝からへこむ私。情けない。

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