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長新太さん

ネットで長新太さんがなくなったことを知る。もちろん個人的な面識はないが、大好きな絵本作家の一人でした。とぼけていて、滑稽で、ナンセンスで好きな絵本たくさんあります。残念です。長さん、あちらに行っても楽しい絵本でたくさんの人たちをよろこばせてくださいね。(合掌)

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添削が始まった

E-ラーニング授業を主体にしている大学のレポート添削が始まった。ときどき、砂漠の中のオアシスのようにおもしろいレポートに出会うこともあるが、ほとんど「レポート」の書き方を知らない学生に対しての添削。朝の爽快な時間がほとんどこれに費やされる。

通学主体の大学の学生だって、「レポート」が書けるというわけではないが、添削がないから細かく指導はしない。しかし、これでいいのかと反省。秋学期には「レポートの書き方」で何時間か使うほかはないだろう。

鶴岡市へ(続)

忘れてしまわないうちに、C小学校について書きとめておこう。今回は第一回校内授業研究会にあわせて、子どもたちに「何か」という依頼だった。研究授業は一年生「おはなしのくにへレッツゴー」というテーマで行われた。初期読書への導きを昔話絵本を使って、興味深い授業が展開された。最後の段階では、子どもたちが自分の好きな絵本を「おはなしのくに」に入りはじめた子どもたち(別のクラス)に紹介するというもので、担任と学校司書と司書教諭が「図書館」という場を中心に連携されている授業であった。

一クラス(一年生)だけの予定だったのが、「おはなし聴きたりない」子どもたちもう一クラスが増え、けっきょく60名をこえる子どもたちと絵本を楽しんだ。

まず『いちねんせい』(谷川俊太郎/和田誠)から「あ」をよんで、「か」は「かっぱ」、「さ」は「さる」(ともに『こちょばあそびうた』谷川俊太郎)を紹介。私の意図は「あいうえおの国へ」という気持ちで。そのごみんなで『しりとり』(谷川俊太郎・和田誠)をみんなで合唱(?)して盛りあがる。ふつうのしりとりでないところがおもしろく、「しょんべん」→「弁慶」や「マルセイユ」も「ミッチー・ミラー」も「瑠璃もはりもみがけば光」も知らないだろうに、大きな声でワクワク声を出していた。

『おー、うんこ』『くまくん』『わごむはどこまでのびるかしら』を読んだら、あっという間に45分がたってしまった。

鶴岡市へ

明日、朝一番の飛行機で荘内へ飛ぶ。鶴岡市のC小学校を訪問するのです。「一年生に何かして!」という教育サポーター(ボランティアです)への依頼があったから。「語り」をすることも考えたのですが、「あそぶことばたち」というテーマで、「ことばあそび」「しりとり」などをやろうかと考えているところ。

『ちぼくろさんぼ』

このところアマゾンでは最近復刊された『ちびくろさんぼ』が連日ベストセラーの第一位にあがっている。30をこえるカスタマー・レビューもよせられ、おおむね好意的に迎えられているようだ。レビューの中には「差別問題で絶版になった」ことに触れているものもあるが、ほとんどのレビュアーは「差別的ではない」との判断をしているようである。

突然の絶版騒動にも、今回の復刊にもびっくりしたが、ネット配信の『児童文学評論』第89号に細江さんの慎重な意見をのぞいては、子どもの本の関係者、図書館人からの発言も今のところ見あたらない。

90年代にアメリカで出版された<サンボ>本も、カスタマー・レビューから判断する限り、この『さんぼ』ほど売れていないようだ(横田増生『アマゾン・ドット・コムの光と影』、情報センター出版局刊、p88参照。商品にカスタマーレビューがつけば、その売り上げが一万円ほどあがるらしい)。やはり細江さんのおっしゃるようにドビアスの絵が好まれているということか、、。日本ではヘレン・バンナーマンによるイラストレーションがついたものもきちんと出版されていないし。

このへんでもう一度考えてみなくてはいけないだろう。むかし集めた<サンボ>関連本をひっぱりだして、もう一度読み直して、じっくり考えてみよう。

<サンボ>本
フレッド・マルチェリーノ『トラのバターのパンケーキ-ババジのおはなし』。評論社。1998年。
ジュリアス・レスター、ジェリー・ピンクニー『おしゃれなサムとバターになったトラ』。ブルースインターアクションズ。1997年。


大学生でも一年生はかわいい。

今年初めて担当する「基礎ゼミ」では、Borrowers の原典講読をしている。小人の世界を想像することや、自分たちには馴染みのない生活用品や家の構造などわかりにくいことが多くて悪戦苦闘。でも、クラスの雰囲気はなかなかよい。

先週、ふとしたことから「ホームシック」になっている学生がいることがわかる。授業中でもぽろぽろ涙が出てしまうのだって。私にも記憶があるなあ。「帰っておいで」といったのだが、切り詰めた一人暮らしでは、交通費もなかなかたいへんらしい。思わず「お金が足りなかったらカンパしてあげるよ」と、お母さんの気持ちになってしまった。

連休明けに「もう、学校やめたい」と先輩に訴えていたY子。「学校やめるなんていわないでちゃんとでておいでよ」と話し、気にかけてきた。すると先日「先生私のこと好き?」と突然きいてくる。ちょっとびっくりしたけれど「私の大事な生徒だよ」とつたえる。かわいいというか、幼いというか、、、。人と関係を結ぶのってむずかしい。

うんこ:『おー、うんこ』『うんこ日記』

7限の授業は「絵本の世界へのお誘い」。Rosie's Walk を使って、1 絵と文のコラボレーション 2 子どもを読者に想定していることを話す。講義をしながら隣りに座っている男子学生の様子がなんだかへんなことに気づく。笑いをこらえているようでもあるし、そわそわしているようでもある。なんと彼らは私が読もうと持っていった『おー、うんこ』『うんこ日記』の<うんこ>に反応しているのだった(あとでわかったのだが)。その様子ったら、まるで小学生。うきうき、わくわくしている。そのうきうきがさざ波のように伝わってゆく。『おー、うんこ』とタイトルを読みあげると、すかさずE君が「先生(タイトル)もう一回読んで!」とリクエスト。私の左隣のK君は、顔を伏せて笑いをこらえている模様。とうとう私の中でも「笑い虫」が大量発生し、途中読でめなくなってしまった。笑いすぎで! こんなことはじめて。

かつてG大学で読んだときには、あとから男子学生がやってきて「先生、あの本にはどんな意味があるのですか?」て聞きに来た。『おー、うんこ』のダイナミックな世界や読んだあとのすっきり感は感じられなかったのかしら、、、。途中で笑えて読めなくなってしまうのは読み手としてはもちろん不合格。でも、昨日の「絵本の場」は、教室全体になにかをつくった。いま思いだしても、笑えてくる。なんだろう。ちょっと幸せな絵本空間だった。

<うんこ>つながりで『うんこ日記』(これは深い!)、『ある朝ジジ・ジャン・ボウはおったまげた!?』を紹介。
『うんこ』2冊と比較すると『ジジ・ジャン・ボウ』は残念ながらつまらない。絵はいいのに。ナンセンス性もシモネタ度の仰天度もいまいち。<うんこ>系の絵本は、からっと明るくさわやかにありたい。

『おー、うんこ』(松下美砂子/架空社)
『うんこ日記』(村中李衣・川端誠/BL出版)
『ある朝ジジ・ジャン・ボウはおったまげた』(ひらいたかこ/絵本館)

『絵本翻訳教室へようこそ』

灰島かりさんの『絵本翻訳教室へようこそ』(研究社)読了。あったようでなかった本。惜しげもなく手の内を見せてくれた灰島さん、すごい。翻訳の「コツ」を伝えるのではなく、絵本というメディアを理解した上で、作品に迫るからこそ生まれてくる日本語があることがよくわかる。

最近、絵本や子どもの文学に注目が集まっているのはとてもうれしいことだけど、とくに絵本が新しいメディアとして、「子ども」とは関係のないところで作品が生まれたり、議論されたり、評価されたりする傾向にあるようだ。絵本の地平が拓かれてゆくことは大賛成なのだが、でも、そのおおもとのところには「子ども」がいることを忘れてはならないと思っている。

ことばの発展途上にある人たちに、すぐれて美しい日本語を手わたす役割が絵本にはあると思う。いちばん大事な役割だ。そして、その「すぐれて美しい日本語」は、成熟した人間の健康的な倫理観で保証されるものだとも思う。言葉と思想は一体化している。

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