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『火山のふもとで』を読む。

夫が図書館で借りてきた『火山のふもとで』を読んだ。端正な文章で綴られた先生を始めとする個性的な人たちの「図書館の設計」を軸に展開された世界がとても心地よかった。さらに、ユーストで手に入れた『沈むフランシス』『優雅なのかどうか、わからない』を購入して読んだ。これが期待外れでがっかりだった。読後感は「?」がつきまくった。何を書きたいのか、何がテーマなのかもわからなかった。そこそこ魅力的な人が出てくるのだけれど、さまざまに尻切れトンボ感が拭えない。残念。

「火山のふもと」といえば、ラウリーの Under the Volcano を想起せずにはいられないが、関連性は全くないようだ。こちらの方は「浅間山」(しかし、著者の前職が文芸系の編集者だというから、ラウリーのことが頭にあったことは間違いないだろう)。ストックホルム市立図書館を設計したアスプルンドを知ったことも収穫であった。アスプルンドつながりで『北欧が好き!②』を購入。また、作者の松家氏が須賀敦子さんとの浅からぬ関わりがあることには、たまたま『須賀敦子の手紙』を入手したばかりの私にとっては、偶然とはいえ驚きでもあった。
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乱れ読み

池井戸潤、葉室麟、中島要、斉藤洋などを乱れ読み。

読了

近藤史恵『胡蝶殺し』、梨木香歩『岸辺のヤービ』などを読了。

遅めのランチに入った★プリチョーザ、隣の主婦らしき客が突然ケータイで、友人らしき人と近況報告を始めた。内容は親のがん診療等について延々と。小さな店内でプライヴェットな話をする非常識に立腹。

図書館の本

予約して借り出してきた三冊の本、『ロマンス小説の七日間』(三浦しをん)、『絶滅寸前季語辞典』(夏井いつき)、『子どもを本嫌いにしない本』(赤木かん子)。「せんせー(ここははまちゃん風に)」の『絶滅寸前季語辞典』を除いては読んでしまった。昨日借りてきたばかりなのに(涙)。

しをんさんの本はおもしろかったから、かん子の本は読むところが少なかったから(125ページではあるが活字が大きく、字もスカスカで、定価1500円なり。もし買っていたら「ぼったくり!」と叫んでいたことだろう。買わなくてよかった)。

『子どもを本嫌いにしない本』を借りた理由は、赤木かん子に関するずいぶん前のエントリにコメントがついていて(いわく、文学好きなおとながかん子に批判的ではないか)、そのコメントにもごく最近まで気づかなかったため、では、今一度読んでみようと思って予約した著作であった。一目見て、この活字組みは「長編詩か」と思わせるほどに字がスカスカで、内容も論拠もない主張や、観察や印象から導かれるハウ=トゥの羅列で、当然引き起こされるであろう「なぜ?に対する応酬もないため、途中から腹立たしくなってきた。うがった見方かもしれないが、こんな体裁にしたのは、「子どもを本嫌いにしたくない」と思っている想定された読者(おとな)も本を読まないだろうと推測したのだろうか。とすれば、読者を馬鹿にしているにも程がある。『花もて語れ』というコミックの存在を知ることができたのが唯一の収穫。

読みました・読んでます・読みます

前・中・後

今年度の仕事が終了したせいか気が抜けて、you tube の画像に心を奪われる日々を送り、読書の方はあまり進んでいなかったのだが、それでもぽちぽちと読んでいる。その過去、現在、未来の画像である。とはいえ、これはごく一部。

学生(男子)おすすめの「歓喜月の孔雀舞(パヴァーヌ)」と『山んばと空とぶ白い馬』はたいへん楽しく堪能した。さすがセンスの良い学生だと某先生と目をつけただけの事はある。彼は『山んばと空とぶ白い馬』を小学校2年生時に読んで、衝撃を受けたと話してくれた。すぐれた読書家であったと驚いたが、そうであるから現在の彼があるとみた。内容、ヴォリュームから察せられる対象年齢は小学校高学年あたりだと思うが、たまにこういう学生にであうと楽しい。

初版は1974年であるが、後書きを読むと内容的に1960年代後半までのことしか書けなかったとある。つまりそれ以降、作品の舞台となっている黒姫山を始めとする地域が劇的な変貌を遂げたからであると推察でき、いぬいとみこさんとしても、続編は書くつもりだったろうが、自分のあり方や問題意識の顕在化が困難だったのだと理解した。

久しぶりに渋谷に出て、映画「孤高の白鳥」、「ラファエロ前派」展を鑑賞し、豊かな気分で帰宅した。たまには出かけなきゃと思った次第。

付記:『山んばと空とぶ白い馬』はもともと雑誌『子どもの館』に「キツツキ小屋だより」として連載されていたものを、大幅に書きかえて単行本にしたものである(誰に向けて書かれたのかという問題を考えると興味深い)。読書中「なんでここを漢字表記にしないのかなぁ」と一度ならず思い、読みにくさを感じた。例えば「青暗い」を「青ぐらい」と表記するなど、時々?が灯った。漢字表記にしなかったからこそ、小学校低学年でも読めたのかとも思うが、いっぽう、これほどの作品を読みこなせる子どもならば、漢字は「読めた」のではないかとも考えるのである。

池井戸潤その後

『下町ロケット』に始まった池井戸潤ブームは、その後『ルーズヴェルトゲーム』『七つの会議』<半沢直樹シリーズ>(三冊)『仇敵』『空飛ぶタイヤ』と続いている。

いままで読んだ彼の作品には、「暴力(肉体的な)」や「殺人」などがなかったのだが、『仇敵』で両要素がでてきて少々びっくりした。つまり私はそういうのがないところにも好感を持って読んでいたのだという事がわかった。

さて次は…?

しをんブーム再来

勤務先の大学で三浦しをんさんのトーク・エヴェントが開催されたので、授業終わりに学生さんと聴きに行った。「講演会」ではなく「トーク・イヴェント」いう形式で、司会役のH先生(しをんさんとは某新聞の書評委員仲間)とのゆるやかな対話ショーというイヴェントとなった。どうやら新聞告知等の宣伝効果もあり、学外からの聴衆も多く一番大きい教室が7割方埋まっていた。

しかし、しをんさんねらいな聴衆には残念なイヴェントだっただろう(私も)。まずは、H先生の仕切りが悪いのである。書評委員会の楽屋落ちネタも状況が解らない人には「?」な話題で、H先生の滑舌が悪く固有名詞が聞き取りにくかった。また、本編では、ほぼ鉄ヲタのH先生の鉄道話をしをんさんが聴き役に回るという展開となったのである。また、何故か先生はイライラしてらしたようで、質問者に対しての対応も「ポイントをいってください!」とのたまり、「キレている」と思わせるような場面もあったのは不愉快だった。ふつう多勢な聴衆を前にして質問するのはよほどの経験者でない限り、あがってしまうものだろうが、彼の我慢のできなさが一瞬にして場に緊張感を生み出してしまったのである。

というわけで、しをんさん再読、新読。『舟を編む』『秘密の花園』『神去なあなあ日常』『仏果を得ず』『光』…。

『利休にたずねよ』 再読など

『利休にたずねよ』を再読。ずっと再読したいと思っていたのだが、どこを探しても出てこない。事によったら、何かに紛れて古本屋に売ってしまったのかもしれないと諦めていた矢先、夫が図書館から借りてきてくれた。

この作品のおもしろさは、その構成にある。現在(利休切腹の日)から過去のそれぞれの時点に遡り、さまざまな視点で語られる点が特徴的だ(この点については、解説の宮部みゆきも大きく評価している)。作品中の視点は、利休を始めとして、秀吉、宗恩、古渓宗陳ら利休をとりまく人々とさまざまに変化する。ややもすると、エピソードの積み重ねになってしまいがちな構成であるが、そこは作者の力量がすばらしいのだと思う。いったん過去に戻りつつ、その過去から「利休の現在」が照射されるのである。この構成を貫くものが、「緑柚の香合の謎」「利休と秀吉の確執」である。

さらに、積ん読状態だった『下町ロケット』を読了。テンポが良く、これも読ませる。一時は、挫折しかけたプロジェクトであったが、町工場の従業員たちのプライドが、挫折や分裂を乗りこえてゆく原動力となってゆくのがよかった。

図書館で予約待ちだった『マイストーリー』も終了。残念ながら途中で失速。主人公の下品な恋愛沙汰など書いて欲しくなかった。あまり必然性もなかったし。林真理子の作品は表層的で問題意識の深まりがないことを再確認。

芋づる式読書

芋づる式読書

以前にも書いた事があるが、私の読書は芋づる式である。多分、それについては多くの人の同意が得られるだろうと思う。この度の最初の芋は辻原登さんである。彼の著作を手にしたのは、you tube でみた「わがままな本棚」というテレビ番組がきっかけになった。この番組は又吉くんと若林くんをMCに、MCが提案した一冊の本からゲストが何冊かをつなげてゆくという趣向を持っていた。その時は、又吉君が『春琴抄』をとり出し、そのあとに、辻原氏が『朗読者』とつなげたのであった。「欠如」をテーマに『朗読者』とつなげた辻原氏に強い印象を受けて、彼の大学での講義録を手にした。小説ではなく評論(文学講義)を選んだのには、いつものようになんとか自分の仕事に生かせないかという邪なる気持ちがも働いていたのも確かだ。この講義録は作家の側から「小説とはどのように書かれるのか」という問題が議論されていて、たいへん興味深いものであった。そして、そこから『源氏物語』につながっていったのである。しかし、私は過去<源氏>ではことごとく失敗している。与謝野源氏、円地源氏、寂聴源氏しかりである(夫が高校時代に与謝野源氏を読んでいると知って、ちょっと競争心が芽生えた)。なんとか楽しめたのが和歌からアプローチした俵万智の『愛する源氏物語』であった。

というわけで、この度は林望謹呈訳を手にとった。これならば、<源氏山>を制する事ができるかもしれないという気持ちを抱いている。あせらず楽しんでゆこう。

『ピーターパンとウェンディ』

『ピーターパンとウェンディ』を再読。初読はいつなのか記憶にないぐらい昔である。子どもの文学としてこれは成立しているのか。ジャックリーン・ローズの著作をちゃんと読まねば。しかし、ティンカーベル、気に入らない。

読書願望

もう次はないだろうと漠然と思いこんでいた、北村薫<円紫さんシリーズ>の最新刊、『太宰治の辞書』が出版されていた事を新聞の書評欄で知った。件のタイトルの書籍があるとは何となく知っていたが、まさか、シリーズの最新刊だとは思いもよらなかった。まずは、市立図書館に検索をかけたたが、一冊の所蔵で、162人待ちだった。いつ私に巡ってくるのか? 文庫化の方が先なんじゃないなどと嫌みの一つも言いたくなる。

横浜市は税金も高い(おまけに固定資産税も高い)のに、住民サービスが充実しているとも思えない。こんな時不快感を覚える。「住みたい町」と「住みやすい町」は必ずしも一致しない。そんな事を思いながら、<円紫さんシリーズ>を読み直している。何回目になるだろう。このシリーズは「ミステリ」にジャンル分けされているが、私はそうと意識しては読んでいない。

『図書』の記事に触発されて…

『図書』三月号に掲載された「その後のディズニーランド」(能登路雅子)に触発されて、『ディズニーランドという聖地』(岩波新書)を再読。一度は読んでいるはずなのに、ほとんど残っていないのが情けない。また、あの頃には読めていなかったのだろう。示唆されること多く、「ディズニーランド」をテーマパークとして見るのではなく、「アメリカ大衆精神」の形成史、拠り所として考察する視点を得ることができた。キーワードは、映画と演劇、ディズニーの子ども時代、永遠の子ども性の称揚、アメリカ中西部の自然、リアリズム追求の行方等々が挙げられる。

最近の『図書』は、執筆者も私好みで(斉藤美奈子、高村薫、高橋睦郎など)楽しみである。

kidle で読書

英語版Kindle はいち早く購入し、おもに著作権切れの作品を入れて、授業でも活用しているが、日本語版の購入はちょっと躊躇していた。最近夫とiPad を共有することになり、初めて日本語でのKindle読書を体験。寄る年波に勝てず(相変わらず39歳ですが)、夜の読書がきつくなってきたり、昔の文庫本の活字の小ささに疲れるようになっていたのだが、いいよKindle。宮尾登美子の『藏』上・下瞬く間に読了。内容もさることながら、字も大きいし、明るい! 

読書記録

松井今朝子『今朝子の晩ご飯』『吉原手引草』、<ビブリア古書堂>シリーズ1巻から3巻まで再読、その後図書館より4巻を借りて読了。そのほか、雑読。

読みました

原田マハ『#9 ナンバーナイン』を読みました。

富安陽子を読む

再読も含め富安陽子さんの作品を堪能した。

『クヌギ林のざわざわ荘』『小さな山神スズナ姫』『アヤカシさん』『ふたつの月の物語』『空へつづく神話』。<スズナ姫>の続きが気になるが、ユーストでもあまり安くない。さて、重い腰を上げて図書館にリクエストを出そうか?

なんと、図書カードの有効期限が切れていた! 


バーズオール 第三作目

the Penderwick

バーズオールの三作目ようやく読了。仕事が始まり、なかなかに進まなかった。

『光のうつしえ:廣島 ヒロシマ 広島』を読む

朽木祥の『光のうつしえ』(講談社)を読んだ。私は、日本児童文学に括られた戦争を主題にした作品は意識的に避けてきた。なぜなら、乱暴な言い方をすれば、あまりにもメッセージ性が強すぎて、文学作品として自律的に存在できているのかという疑問を感じさせられる作品ばかり読まされたような気がするからだ。

広島の記憶は、パレスチナや原発問題にまでつながっていること、識ることは記憶をつなぐこと、記憶をつなぐことが、また、新たな思想を紡ぎだしてゆくことにつながる。秀作。

有川浩にふたたび「はまる」

自衛隊ものと聞いて手が出なかった有川浩の作品群にはまっていた。きっかけは『クジラの彼』で、これは学生のおすすめだった。その後、『海の底』『空の中』『ラブコメ今昔』と立て続けに読了。エンタメ小説、ラノベと揶揄的にカテゴライズされることもあるけれど、いやいや、ストーリー・テラーとしてはすごい人だと思う。

★マゾンのカストマー・レビューで「設定があり得ない」というコメントを読んだが、細部にわたる技法的リアリズムが設定のリアリティ・レヴェルを上げることを読者が受け入れれば、楽しく読めるはずなのにと思う。巨大化した甲殻類を「あり得ない」とするか、そこは「自発的不信の停止」を作動させるかなんだろうけれど…。

『ひみつの王国:評伝 石井桃子』

2013年『新潮 一月号』(「石井桃子と戦争」)に掲載されてから、ずっと待っていた、この「評伝」の全貌が現れた。二日がかりでほとんど一気に読んだ。しかし、感想はまだ言語化できない。いまは、『幻の朱い実』を再読中(「再」読とは便宜上のこと。実際はもっと読んでるはず)。さらに、ミルンの自伝も読むべきだし、石井桃子の日本語を吟味しなくてはという気持ちに、せかされる。それは、この著作より少し前に出た、『なぜ石井桃子の翻訳は…』を相対化させるからだ。

ありがとう。

<ラモーナ・シリーズ>

部分的にしか読んでなかった<ラモーナ・シリーズ>を『ラモーナとおとうさん』を除いて、日曜から火曜日にかけてすべて読了した。うち3冊は英語で。英語から日本語、日本語から英語にスイッチするときにも、とくに違和感を持つことなく、ごく自然に移行できた。翻訳がよいのだろう。日本語の方が丁寧で端正であるとの印象をもった。

ラモーナのイラストレーションが時々で変わっていることに気づいた。一番新しいのは、原書版であるが、個人的にはこれが一番苦手。やはり、最初のイラストレーターであるダーリングが一番よいと思う。最近の日本語版はティーグリーンのイラストレーションを使っている。原書pbではジャクリーン・ロジャース、トレーシー・ドッカリーが使われているが、私の所有する版にはドッカリーのイラストレーションが使われていて、エスニシティに関してPCが配慮されていることに気づいた。しかし、現在はともかく(現在でもとくに黒人人口が少ないだろうが)、当時のオレゴン州の作品舞台になった地域は、ほとんどが白人人口だったろうと推測できる。PCが配慮されると、作品から風土性、地域性がそぎ落とされてしまうのではないかと思う。

半世紀以上前の作品ではあるけれど、いまの子どもたちが読んでも古くささなど感じさせることはないだろう。身近に、3人の少女が<ラモーナ>にぞっこんなのを確認している。私は時々名前が混乱する。<ロマーナ>? <マローナ>? <ナローマ>? いや、<ラモーナ>だ。たぶん、深層にローマがあるのかもしれない。

今朝方、『がんばれヘンリーくん』も終了。

今さらながらだけど…

ほんと、今さらながらだけど、リンドグレンの『ミオよ わたしのミオ』『はるかな国の兄弟』を読んだ。子どもという他者が象徴的に描かれている。これを同時代に読んでいたならば、自分自身がどのように感情移入したのかと興味がわいた。

友人のお嬢さんに<ラモーナシリーズ>をおすすめしたところ、すっかりはまった様子。まだ、一人読みは難しいので、夜のお話時間がとても長くなったようだ。

最近の読書

時ならぬ有吉佐和子ブームで、『仮縫』『更紗夫人』『処女連祷』『連舞』『乱舞』。吉田修一『悪人』。篠田節子『長女たち』。

仕事と昼寝とバレエの合間を縫って…

仕事と昼寝とバレエの合間を縫って読んだ本。

中脇初枝『きみはいい子』(ポプラ社)
山本兼一『弾正の鷹』、『白鷹伝』(ともに祥伝社文庫)
ジェフリー・アーチャー『時のみぞ知る』、『死もまた我等なり』(クリフトン年代記第1部、第2部/新潮文庫)

<クリフトン年代記第3部>は未邦訳なので、英語で読みはじめた。

飢えたオオカミのように…

公開講座やおはなし会の準備のために本が読めなかった。今年度の予定がようやくすべておわり、怒濤のように読みはじめた。再読、再再読を含めここ数日間に読んだ本を覚え書きとして列挙しておく。

藤本英二。『物語のかなた』『人気のひみつ、魅力のありか』、久山社。
竹内サトル。『ひとの自立と図書館』、久山社。
貴戸理恵。『女子読みのススメ』、岩波ジュニア新書。

長谷川郁<みおつくし料理帖>シリーズ(最新刊『美雪晴れ』が出たため)
上橋菜穂子。『月の森に、カミよ眠れ』、偕成社。
中脇初枝。『こんこんさま』、河出文庫。『祈祷師の娘』、福音館書店。ほか。

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